「日本で一番人口が多い都道府県は?」と聞かれると、迷いなく「東京都!」と答えるだろう。
今では当たり前になっている東京の人口1位だが、かつては毎年のように首位が入れ替わっており、今よりも地方が元気な時代があったのだ。
なかでも、新潟県は19世紀の日本を代表する街といってもよいほどで、今の新潟県のイメージとは到底かけ離れていたようである。
今回は都道府県の人口推移から、日本の近代化の歴史についての雑学をご紹介しよう。
【歴史雑学】新潟県が人口第一位だった時代がある
【雑学解説】なぜ、新潟県が一番多かったのか?
1888年(明治21年)、新潟県は人口第一位の座に君臨したわけだが、続く1893年(明治26年)の調査でも、新潟県が171万人と首位の座を堅守している。
「なぜ、新潟県が一番多いの?」と疑問に思うのも無理はない。面積が約1万2500平方kmと、全国で5位の広さにも関わらず、人口は約230万人で、2018年の全国47都道府県人口ランキングでは15位。どちらかというと少なめだからだ。
なぜ、新潟県は人口が一番多かったのか? その理由は2つある。
1つ目は、稲作に適した地形と気候であったこと。お米の収穫量が豊富になったことで、多くの人々を扶養することができ、人口が増えていったと考えられる。
2つ目は、新潟県は日本海側の中央に位置しており、中国や朝鮮との交易も盛んに行われていたこと。その当時運送の主役だった「海運」にとって、黒潮の流れに逆らって走る太平洋側ルートより、日本海側の西廻りルートの方が簡単で安く運べたようだ。
その中でも、代表的な「北前船」という海軍の流通手段の中継地だったことも、大きく作用しているようである。
新潟県が、日本の産業の中心になっていたので、人口が一番多い県になっていったのだ。
スポンサーリンク
【追加雑学①】産業の変化とともに減少へ
それなのに、今では年々人口が減少している。
なぜなら、産業の変化に取り残されてしまったからだ。
戦後の日本は第一次産業(農業・林業・水産業)から、第二次産業(鉱工業・製造業・建設業)や第三次産業(金融・保険・サービス業)へと移っていく。
この流れにより、太平洋ベルト地帯の工業化が進み、新潟県から首都圏へ人口が流出していくのだ。
その人口流出が止まらなくなり、現在では、東京在住の他県出身者で最も多いのは新潟県民だ…ともいわれているほどなのである。
【追加雑学②】今や減少続きで深刻な問題に!
現在の新潟県は、1年で約2万人超の人口減少となり、深刻な問題になっている。
大きな原因となっているのは、若者たちの県外への流出である。やりたい職種などが新潟県に少ないことが主な理由のようだ。また、県外に出る女性が多く、出生数の低下も大きく影響しているようである。
このまま新潟県の人口が減り続けると、県民の生活も苦しくなるなどの影響を及ぼすといわれている。
県の担当者は、「にいがた子育て応援企業」などの対策を打ちだし、子育てに関して独自の有給休暇制度を設けた企業には奨励金を支給するなど、子育てしながら働きやすい環境づくりを進めている。
これが、新潟県全体の魅力に繋がるといいが…。
雑学まとめ
日本の人口に関する雑学をご紹介したが、いかがだっただろうか。今や、人口だけでなく何でもが東京に集中してるので、東京が日本を支えてきたように思っていた人も多いのではないだろうか。
しかし、明治時代からの人口推移をみていくと、日本海側にある新潟県が、日本の産業を支えていた時代もあったということだ。
冬の気候が厳しい新潟県で育った人々は、真面目で勤労精神が強いのが特徴といわれている。その新潟県民が東京へ流出して、活躍していることを考えれば、もしかしたら今も、新潟出身者が日本経済を支えているともいえるかもしれない。