映画の合戦シーンなどではサラブレッドが撮影に使われているが、実は日本の戦国時代にサラブレッドはいない。日本の在来馬はポニーと呼ばれる小さな馬がほとんとで、わずかにいた大きな馬は絶滅したと考えられているのだ。
そう、日本の馬は小柄な日本人に合わせるかのごとく、総じて小さいのである。しかし小さいからといって、役に立たないわけではない。
日本で一番小さい在来馬の野間馬(のまうま)は、その小さな見た目に反してかなり頑丈だ。そしてサラブレッドなどにはない賢く温和な性格をもち、競争とは別の面で活躍するのである!
【動物雑学】日本で一番小さい在来馬は「野間馬」
【雑学解説】野間馬は今治市天然記念物で体高120cm以下
在来馬と呼ばれるのは、日本産で外国の馬と交雑することがなかった馬のことである。現在、生き残っている日本の在来馬は8種類で、絶滅を危惧されているものも多い。
国の天然記念物に指定されている御崎馬(みさきうま)を筆頭に、そのほかに5種類の馬が県や市の天然記念物となっている。
かくいう日本で一番小さい在来馬も、愛媛県今治市(いまばりし)の天然記念物だ。名前は野間馬である。
野間馬が生まれたきっかけは、江戸時代に伊予松山藩が軍用に馬を繁殖しようとしたことに始まる。当初政府が行った繁殖は疫病などにより、なかなか上手くいかなかった。
そこで伊予松山藩は、今治藩領内の野間郷一帯の農家に繁殖を任せたのだ。牧畜のスペシャリストである農家の人たちなら、良い馬を育てられると踏んだのだろう。
そして、育てられた馬の中でも体高4尺(約121cm)以上のものは引き取られ、報奨金が支払われることになっていたという。軍用に育てた馬なので、より多くの荷物を運ぶため、体の大きさが重要だったのだ。
一方で、4尺に満たない小さな馬は育てた農家に無償で払い下げられた。この払い下げられた馬が野間馬の原点である。
野間馬は小さな馬同士を掛け合わせて生まれた
農家には、伊予松山藩に引き取られなかった小さな馬だけが残り、必然的にそれらを交配させることになる。つまり、小さな馬同士が交配された結果、日本で最小の野間馬が生まれることになったのだ。
現代でも小さな動物同士を掛け合わせて、より小型の品種を作る例はあり、ペットのミニブタなどはこれに当たる。要するに野間馬は偶然に、ミニブタと同じような品種改良がなされていたというわけだ。
野間馬は小さな見た目に反して体が丈夫で、粗食でも問題なく飼育することが可能だった。加えて70kgぐらいまでなら、荷物を載せて運ぶこともできる。これは競馬のサラブレッドと比べても遜色ない耐荷重だ。
さらに野間馬は性格が大人しく、賢い。荷物を運んだりなど、地道な作業を行う農業にはうってつけの存在だったのである。その便利さから数も増えていき、江戸時代のころには300頭を超えていたという。
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明治になると需要がなくなり、野間馬の数が激減
江戸時代には重宝された野間馬だが、明治になると状況が変わってしまう。軍備増強が重要視された当時の日本では、より大きな馬が求められることになったのだ。
これにより、政府が小型の馬の育成や生産を禁止したため、野間馬の数はどんどん減っていくことになる。さらに昭和に入ると農業の機械化などが進み、次第に野間馬は必要とされなくなっていった。
一時はその数も日本全国で6頭までに減ってしまい、まさに絶滅の危機に陥ってしまうのである。
【追加雑学】野間馬は現在ではアニマルセラピーにも使われている
1978年、愛媛県松山市で飼育されていた野間馬4頭が、今治市に寄贈され、このとき野間馬保存会が結成されることに。また1985年には、8番目の日本在来馬として国にも認められている。
1988年には、今治市の天然記念物にも指定され、年月を追うごとに保護活動は積極的になっていった。一時は一桁まで減ってしまったその数も現在では、80頭ほどまで回復しているという。
温厚で賢い野間馬は観光用として利用されるようになり、今治市では野間馬と触れ合うことができるテーマパーク「野間馬ハイランド」も作られた。以下の動画は野間馬ハイランドを撮影したものだ。
温厚な性格からか…野間馬の表情も心なしか穏やかに見える。
野間馬は、小学校のクラブ活動やアニマルセラピーの一種・ホースセラピーなどにも利用され、地元の人たちから根強く愛されている。
ホースセラピーとは、馬とゲームをしたり、エサやりなどをして心を癒す、大人しくて賢い野間馬だからこそできる心理療法だ。江戸時代と違い、農業に貢献することはなくなったが、現代でも立派に活躍の場をもっているのである!
雑学まとめ
今回は日本で一番小さい在来馬・「野間馬」のトリビアを紹介した。見た目は小さくても頑丈な野間馬は、農耕馬として十分に活躍してきたのだ。
一時は体の大きな馬が求められ、絶滅寸前にまで追い込まれたが、現在では数も回復した。天然記念物にもなり、活躍の場も与えられているということで、今後も地元で愛される存在として大切に扱われていくだろう。