なにごとにも「初めての人物」というものがいる。オリンピックにも「初めて優勝した人物」というのがいるものだ。
記念すべきオリンピック初の優勝者は誰だったのか? そしてどのような種目で優勝したのか?
今回は知っているようで知らない、オリンピックの優勝者についての雑学を紹介しよう。
【オリンピック雑学】五輪初の優勝者とその種目は?
【雑学解説】オリンピック初の優勝者はアメリカ人!
記念すべき初のオリンピック優勝者は、アメリカ人のジェームズ・コノリーという人物だった。
アテネで開催された第1回オリンピックで、最初の決勝戦が行われたのが陸上競技の三段跳び。その名の通り「ホップ・ステップ・ジャンプ」とテンポよく3回跳んで、その飛距離を測るものだ。
現在のルールでは、三段跳びは「踏み切った足と同じ足でホップをし、反対の足でステップをし、そこから続けてジャンプをする」というものとなっている。
しかし、ジェームズがオリンピックに出た1896年ではルールがちょっと違う。当時のルールは、「踏み切りと同じ足でホップし、さらにまたホップ」といった具合に、2回ホップをするというものだった(現在ではこの跳び方は禁止されている)。
ジェームズは、この三段跳びで13m71cmの記録を出し、見事三段跳びで優勝した。
ちなみに、ジェームズは同じ第1回オリンピックで走高跳で2位に、走り幅跳びで3位になっている。さらに、パリで行われた1900年の第2回オリンピックでも男子三段跳びに出場。そこでは惜しくも2位の成績となった。
オリンピックに出場したのは2回だけだが、特に初めての出場で3個も成績を残している。どれも跳躍力が必要な種目なので、かなりのジャンプ力があったことが分かる。第2回オリンピック以降にも活躍してほしかったものだ。
ここまで、ジェームズを「優勝者」としてきたが、第一回オリンピックは金メダルがなかった。そのため、残念ながらジェームズは「金メダリスト」ではないのだ。
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1位は銀メダル。第1回アテネオリンピックで金メダルがなかった理由は?
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【追加雑学】オリンピックに出るために大学を中退した!?
初めての優勝者であるジェームズについて、もう1つトリビアを紹介しよう。ジェームズが第1回オリンピックに出た当時は大学生だったのだが、なんと彼はオリンピック出場のために大学を引退していたのだ!
初めてオリンピックが行われることを知ったジェームズは、大学を休学して出場しようと考えていた。しかし大学に申し出てみると、その答えは「NO」だった。
しかし、ジェームズはどうしてもオリンピックに出たかった。
「休学がダメなら、いっそのこと大学を中退しよう!」
そしてジェームズは大学を中退して、オリンピックが開かれるアテネへと向かったのだった。
ちなみに、当時ジェームズが通っていたのはハーバード大学。アメリカでも屈指の名門校だ。しかも、ジェームズは高校を卒業してなかったものの、一念発起でハーバード大学に入学していた。
入学するとしても相当な勉強や苦労をしただろうに、そんな名門大学を中退してでもジェームズはオリンピックに出たかったのだ。彼の並々ならぬ情熱を感じさせるエピソードである。
もしかしたら、ここまでの情熱や行動力がなければ、初の優勝者という結果には至らなかったのかもしれない。
三段跳びがどんなものか動画で見てみよう!
最後に、初めての優勝者であるジェームズが出場した三段跳びがどのようなものか、動画で確認しよう!
動画は、第100回日本陸上競技選手権大会の男子三段跳び決勝のものである。
こちらの選手もなかなかの跳躍力だ。
雑学まとめ
今回の雑学はいかがだっただろうか。
初のオリンピックで最初に優勝したのは、アメリカの選手ジェームズ・コノリー。三段跳びで見事な跳躍力を発揮し、記念すべき最初の優勝者となった。
名門大学を中退してでもオリンピックに出場したジェームズ。オリンピックに対する情熱や行動力がすごい男だ。