五輪のスゴい人

オリンピックで活躍した日本人の雑学まとめ19選!トリビア&豆知識を一覧にしました

雑学カンパニー編集部

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オリンピックで活躍した日本人の雑学まとめ

左から、円谷幸吉 人見絹枝 金栗四三 高橋尚子

4年に1度開催されるスポーツの祭典・オリンピック。開催中は、母国の選手がメダリストに輝くと、国中挙げてのお祭り騒ぎとなるものだ。

オリンピックには当然ながら選手や関係者をはじめ、さまざまな人物たちのドラマが隠されている。このまとめ記事では、オリンピックで活躍した日本人にまつわる雑学を一挙にご紹介するぞ。

オリンピックで活躍した日本人の雑学まとめ19選!トリビア&豆知識を一覧にしました

気になる雑学をチェックだ!

日本の五輪初参加のプラカードに関する雑学

日本のオリンピック初参加のプラカードは「JAPAN」ではなく「NIPPON」だったという雑学
NIPPON!日本のオリンピック初参加のプラカードは"JAPAN"ではない

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日本が五輪に初参加した際のプラカード表記に関する雑学である。現在では「JAPAN」と統一されているが、オリンピックに初参加した当時は表記が異なっていた。

その理由には、関係者たちの意見の対立があったという。オリンピック初参加を巡って起こった微笑ましいエピソードである。

日本人女性初のメダリストに関する雑学

日本人女性初のメダリスト・人見絹枝の栄光と夭折に関する雑学
切ない…。日本人女性初のメダリスト"人見絹枝"の栄光と夭折の人生とは?

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日本人女性として初のメダルを獲得したのは、人見絹枝(ひとみきぬえ)だった。彼女はそれまで未経験だった陸上女子800mに出場し、見事にメダリストに輝いたのだ。

その舞台裏をのぞくと、彼女の負けず嫌いな性格が幸いしたことが分かる。オリンピック後に人見選手が選んだ進路にも注目して読んでほしい雑学だ。

アジア初の日本人IOC委員に関する雑学

日本がオリンピックに初参加した際の団長・嘉納治五郎は、東京オリンピック開催に尽力したという雑学
東京オリンピックに尽力した嘉納治五郎は、アジア初のIOC委員。柔道だけじゃない!

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柔道の創始者だった嘉納治五郎(かのうじごろう)。実は彼は柔道のみならず、日本とオリンピックの関係を語るうえで、かかせない人物だったのである。

彼は1964年の東京オリンピック以前に一度、幻の東京大会を招致しているのだ。日本スポーツ界における嘉納治五郎の偉大さが分かる雑学である。

2人の日本人女性メダリストに関する雑学

人見絹枝と有森裕子にある「8月2日」の因果に関する雑学
人見絹枝と有森裕子の"8月2日"の因果。女子メダリストの奮闘

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かつて日本の女子選手がオリンピックに参加することに偏見があった時代。その逆境に、果敢に立ち向かい、見事にメダルに輝いた人物がいる。

先ほどご紹介した「人見絹枝」だ。そんな彼女と、偶然では片づけられない数奇な縁をもった女性マラソン選手がいた。2人のメダリストたちの数々の共通点に感嘆してしまう雑学である。

女性メダリストを育てた名コーチに関する雑学

金・銀・銅のメダリストを育てた小出義雄に関する雑学
金/銀/銅のメダリストを育てた小出義雄。マラソン指導に革命を起こしたパイオニア

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選手にとって指導者との出会いは大変重要な要素である。なかでもマラソン競技で、数々のメダリストを育てあげた名コーチ・小出義雄の育成方法は、従来とは一線を画すものがあった。

有森裕子や高橋尚子を育てた名コーチの神髄とは何か。その指導方法には選手を思いやり、スポーツを楽しむことの重要性を説く、独自の指針があったことが分かる。

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日本最年少の金メダリストに関する雑学

日本最年少の金メダリストは?に関する雑学
14歳だと…?日本最年少の金メダリストは岩崎恭子。中学生スゲえ…

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世界が注目するオリンピックの大舞台では、年々新たなヒーロやヒロインが誕生するものである。なかでも、「いままで生きてきた中で、いちばん幸せです!」と発言した、あの女性アスリートの活躍は記憶に新しい。

シンデレラガールが誕生した、あの感動の試合がよみがえること間違いなしだ!

モントリオール五輪に出場したあの有名政治家に関する雑学

麻生太郎はオリンピックに出場したことがあるという雑学
クレー射撃の天才!?麻生太郎はモントリオールオリンピックに出場した

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安倍内閣を支え、第92代内閣総理大臣を務めた麻生太郎氏。麻生氏は、かつてオリンピックに出場したこともある選手だったことをご存知だろうか。

1976年のモントリオールオリンピックで日本代表に選出された経歴の持ち主なのだ! その競技とはいったい何か。気になる方は記事をどうぞ!

大河ドラマにもなった金栗四三に関する雑学

金栗四三は約55年かけてゴールしたマラソン選手という雑学
大記録すぎる。金栗四三は約55年かけてゴールしたオリンピックのマラソン選手

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2019年の大河ドラマ「いだてん」の主人公のモデルとなった金栗四三。日本で初めてオリンピックに出場したマラソン選手であり、陸上競技を「スポーツ」として確立させた人物でもある。

初のオリンピックで不本意な記録に終わってしまう金栗だが、関係者のはからいによって、彼のために記念式典が開催されたという。その式典とは? これは泣ける雑学だ!

初の日本人メダリストが誕生した種目に関する雑学

日本人の初メダリストが誕生した種目はテニスという雑学
初の日本人メダリストが誕生した種目は?まさかのアレです。

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皆さんは、日本人が初のメダルを獲得した競技をご存知だろうか。それは決して強豪とは言えない、あの競技だった。

また日本人が獲得した最多のメダル数も紹介されている。あなたは何個だと予想するだろう。答えは記事でチェックしてほしい!

ベルリンオリンピックにまつわる日本人メダリストに関する雑学

日本人メダリストが作った、銀と銅が半分ずつの「友情のメダル」に関する雑学
ベルリンオリンピックの"友情のメダル"の真相。美談かと思ったら面白い話だった

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オリンピックで授与されるメダルは、当然ながら金・銀・銅の計3つである。そしてなんでも、オリンピックで獲得した2つのメダルをつなぎ合わせた日本人がいるという。

記事には、当時の決勝の様子がわかる動画も紹介されている。その真相を知ると、腰を抜かすかもしれないので、要注意だ!

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東京オリンピックの日本人マラソン選手に関する雑学

東京オリンピック・マラソン競技で銅メダルを獲得した円谷幸吉の悲劇に関する雑学
【遺書全文】円谷幸吉、悲劇の自殺。東京オリンピックマラソンで銅メダルを獲得したのち…。【動画】

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1964年の東京オリンピック。この大会で銅メダルを獲得した日本人の男子マラソン選手がいる。円谷幸吉(つぶらやこうきち)だ。

彼は次のオリンピックの準備のために練習に励むさなか、私生活や環境面に不幸が重なり、その結果、悲劇的な最期を迎えてしまう。彼が遺した遺書は、痛切な響きをもって読者の胸を震わすだろう。

東京オリンピックの女子バレーチームに関する雑学

1964年東京オリンピックの女子バレーではさまざまな流行語が生まれたという雑学
流行語が5つも!1964年東京オリンピックの女子バレーのスゴさとは?【動画】

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1964年の東京オリンピック。大会のハイライトのひとつが、「東洋の魔女」と恐れられた日本女子バレーボールチームの大活躍だ。

当時の日本女子代表チームには、強力なライバルとなるチームがいた。スポーツの世界では、そういったライバルの存在がチーム力を底上げすることを痛感させられる。追加雑学も興味をひくものばかりで、必見だ!

メキシコオリンピックの日本サッカーチームに関する雑学

オリンピックメキシコ大会で、日本サッカーはフェアプレー賞も受賞しているという雑学
銅メダル+フェアプレー賞!日本サッカーの偉業を振り返る【メキシコオリンピック・動画】

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1968年メキシコオリンピック。この大会でサッカー日本代表は銅メダルを獲得した。このとき、日本代表チームは同時にある賞を受賞しており、それはいまの日本代表チームの底流にも流れている。

いまや日本サッカーの代名詞であるその精神は、あるドイツ人指導者がもたらしたものだというが…。日本サッカーに大きな影響をおよぼしたその人物の正体を記事で確認してほしい。

日本人女性初の金メダリストに関する雑学

日本人初の女性金メダリストの金メダルは復元されたものという雑学
戦争で…日本人女性初の金メダルは復元されたもの【前畑秀子】

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オリンピックで選手たちに授与されるメダル。メダルは選手たちにとってかけがえないものだが、ときに自らの不注意ではなく、不可抗力でメダルを喪失してしまう場合がある。

日本人初の金メダリストに輝いた女性がまさにそうだった。時代の不幸によってメダルを失った日本人メダリストの、隠された悲話を知れる雑学である。

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馬術金メダリストに関する雑学

馬術金メダリストのバロン西と愛馬の悲しい最期に関する雑学
悲しい最期。馬術金メダリストの"バロン西"と愛馬の"ウラヌス"とは?【動画】

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人と人の出会いの大切さを説いた言葉に「一期一会」がある。しかしその言葉は、人の場合に限らず、動物との出会いにも当てはまるのかもしれない。

戦前に活躍したある日本人メダリストの逸話を読むと、そんな思いに駆られるのだ。彼がたどり着いた人生の最期は、その言葉にぴったりだったように思えてならない。

日本人初の金メダリストの表彰式に関する雑学

日本人初の金メダル受賞の表彰台では「君が代」が途中から始まったという雑学
"さざれ石の"から。日本人初の金メダル受賞の表彰台では"君が代"が途中から始まった

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オリンピックの表彰式では、国歌が流れることが通例だ。だが、日本が初めてのオリンピックに参加した際、思わぬハプニングに見舞われた。

選手にとって感動的なシーンは、主催者側のある思い込みにより、違う意味で歴史に名を残すことになってしまったのだ…。国にとっても選手にとっても、忘れられない表彰式になってしまったことは間違いない。

東京オリンピックの開会式に関する雑学

1964年の東京オリンピックの開会式では8千羽のハトが放たれたという雑学
8千羽のハト!1964年東京オリンピックの開会式で放たれたハトの数がヤバい。

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平和の祭典として知られるオリンピック。かつては開会式にて、大空にハトを放つセレモニーが必ずおこなわれていた。1964年の東京オリンピックも同様である。

東京大会のセレモニーでは、はたして何羽のハトが用意されていたのだろうか。なお、この大会が10月に開催されていたことにも注目してほしい。

東京オリンピックの最終聖火ランナーに関する雑学

1964年東京オリンピックで最終聖火ランナーとなったのは「アトミック・ボーイ」という雑学
原爆投下日が誕生日。最終聖火ランナーを務めた"アトミック・ボーイ"って誰?

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1964年の東京オリンピックは、戦後の復興の象徴する大会でもあった。この大会で最終聖火ランナーをつとめた人物が決定された舞台裏は、そのことを如実に物語っている。

大きな災禍に遭った時代の不幸から、日本でオリンピックを開催するまでには、選手のみならず、関係者の間にもさまざまなドラマが隠されていたのである。

親子で金メダリストを獲得した体操選手に関する雑学

親子で金メダリスト。体操一家の塚原家に関する雑学
オリンピック史上初!親子で金メダリストになった塚原家とは?【体操競技】

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オリンピックの大舞台でメダルを獲得することは並大抵ではない。だが、選手のなかには父子そろってメダルを獲得する人たちもいる。

この一家は父子のみならず、母親も体操の選手であり、いわば体操一家だった。一家の華麗なる経歴を、とくとご覧あれ!

 

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