式神を使って、悪霊を退治!
陰陽師といえば、和風ファンタジーの魔法使いのようなイメージをもつ人が多いのではないだろうか? 私もその1人だ。陰陽師という魅力的な存在は、漫画や映画でも描かれている。
特別な存在を感じさせる陰陽師だが、実際はそんなにファンタジックな存在ではない。夢を壊すような事実だが、陰陽師は、今でいう公務員だったのだ!
今回の雑学を知ると、陰陽師に対するイメージが変わるだろう。
【歴史雑学】陰陽師は公務員だった
【雑学解説】天文学や占い専門の公務員
陰陽師といえば、悪霊を退治するファンタジーなイメージをもつことが多いだろう。たしかに「陰陽師」という職業は、平安時代に存在していた。
しかし、実際の陰陽師は、天文学や占いを専門とした公務員だったのだ。
陰陽師の仕事内容は、簡単にまとめると以下の通りになる。
- 天文観測を行う
- 観測をもとに暦(こよみ=カレンダーのこと)を作る
- 観測をもとに吉凶を占い、暦に記入していく
「吉凶を占う」とあるが、この場合は天文学的な視点と統計学的な視点で「今まではこの時期にこういう事象が起こっていたから、今年のこの時期もこうなるだろう」という予測を立てるようなものだった。
ようは、「9月前後には嵐が来る」と予想して、それを報告するといった具合だろうか。
このほかにも、漏刻(ろうこく)という水時計を計測して、「今は何時なのか」と時間を計測する仕事もしていた。
ファンタジーのような大活躍を期待していた私からすれば、現実の陰陽師の「公務員」という立場に、少々夢を壊されたような気がする。
しかし、「時間や暦を管理し、吉凶も見ることができる」ということから、当時の人たちは、陰陽師は「特別な力をもった人たち」というイメージを抱いていたのかもしれない。
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【追加雑学】なぜ「暦づくり」が大事な仕事なのか?
さて、「公務員」と聞くと、とても地味に思えてしまったことだろう。しかし、当時としては陰陽師というのはとても大事な役割だったのだ。
陰陽師の仕事は、主に暦づくりだ。今となっては、暦を気にする人も少ないだろう。しかし、平安時代において暦は、お祭りの段取りを決めるのに重要な存在だった。
お祭りといえば、屋台料理を楽しんでワイワイするイメージが強いが、昔は「神様にお祈りをする」という重大イベントだ。そのような大切な行事をするのなら、吉の日が好まれる。そこで出てくるのが、陰陽師というわけだ。
現代でも、カレンダーによっては「大安」・「友引」などといったものが書かれているのを目にすることがある。これらは「六曜(ろくよう)」と呼ばれるもので、以下の6つの運勢に分かれている。
- 大安:何をするにも吉
- 先勝(せんしょう):午前中が吉
- 友引:朝晩は吉だが、昼は凶。この日に葬式をあげるのを避ける風習がある
- 赤口(しゃっこう):正午の前後のみ吉で、それ以外は凶
- 先負(せんぶ):午後が吉。急ぎの仕事は避ける
- 仏滅:何をするにも凶
この六曜をもとに、結婚式やお葬式の日を決める人は、今でも多いと思う。実は、こういった考え方は、陰陽師の占いが起源となっているのだ!
陰陽師が「この日は大安、この日は仏滅」と吉凶を占った暦をもとに、お祭りなどの大切な日が決められる。当時においては、陰陽師の存在はなくてはならないものだったのだ。
実際の陰陽師は、「悪霊退散!」とかしてなくて、ちょっと夢が壊れたなぁ…と思ってしまうかもしれないが、このように国の大切な行事を左右する役割を担っていると思うと、悪霊退治とは違ったカッコよさを感じられるのではないだろうか?
雑学まとめ
今回は陰陽師にまつわる雑学をご紹介してきた。ファンタジーな話があふれる陰陽師は、現実では天文学や占いを専門とした公務員だった。そう聞くと「実際は地味な仕事だったんだなぁ」と思えるかもしれないが、時間や暦を管理し、吉凶を占うという大切な役職である。
当時はデジタル時計もコンピューターもない時代。陰陽師でない人たちは、時間を管理する彼らに、ある種の神秘性を見出していたのかもしれない。そう思うと、何かロマンを感じないだろうか?