古代に神事として始まった相撲は、ただのスポーツではなく、日本の国儀。伝統行事だ。
なかでもプロの世界である大相撲は、力士たちの真剣勝負を毎年たくさんの人が心待ちにしている。若い人はなじみにくいかもしれないが、日本人なら少しは心得ておきたい行事だ。
そんな力士たちがしのぎを削る世界を、人呼んで「角界(かくかい・かっかい)」と呼ぶ。
…なんで? 相撲の世界なら、相撲界だよね?
うん、そう呼ぶのも間違っていない。しかし角界と呼ぶのもまた正解で、それにもれっきとした理由があるのだ。今回はそんな「どうして大相撲の世界が角界と呼ばれるのか」という雑学を紹介しよう。
【スポーツ雑学】大相撲の世界を「角界」と呼ぶ理由とは?
【雑学解説】「角力」と書いて「すもう」と読む時代があった
まず、お手持ちのスマホで、「すもう」を入力して変換してみてほしい。
「相撲」だけでなく「角力」という漢字が出てくるのではないか。実は「すもう」は「角力」とも書く。古代からの歴史をもつ相撲はその昔、角力と表記されており、相撲界を角界と呼ぶのはその名残からなのだ。
角力という表記は主に明治時代まで使われ、その時代には「角觝」と書いて「すもう」と読ませるようなこともあった。
…なんで? 角や力を「す」や「もう」なんて普通は読まないよね…? おまけに觝なんて漢字まで使われ始めて、さらに意味がわからない。
それもそのはず、角力や角觝はそもそも、中国からやってきた言葉だからだ。
相撲は中国の格闘技・シュアイジャオに由来する?
これには諸説もあるが、相撲はそもそも古代中国から日本に伝わった歴史があるといわれている。
中国には紀元前から続く「シュアイジャオ」という、伝統的な格闘技があり、これが相撲のもとになった説があるのだ。
シュアイジャオは時代によってその呼び方も異なるが、「角力」「角觝」と表記されることが多い。日本で相撲が角力と呼ばれていたのは、このシュアイジャオからの流れなのだ。
で、どうしてシュアイジャオの表記に角力の字が使われていたかというと、この漢字に本来「力比べ」の意味があったからなのだとか。
「角」といわれると、牛や鹿の角を思い浮かべる人も多いだろう。牛や鹿は角をぶつけ合ってケンカをする。古代中国の人たちはその様子から、角力という漢字に力比べの意味を見出したわけだ。
以下はシュアイジャオの試合の動画である。頭をグッと引き寄せ、掴み合う姿はたしかにどこか、角を突きつけ合う鹿のケンカに似ているような気もする。
それにしても、日本の相撲とは全然違う印象だ。選手も太ってないし…どっちかというとレスリングっぽい。相撲が日本に伝来してから、独自の進化を遂げたことが見て取れる。
ちなみに、中国から角力や角觝という言葉が伝来する以前には「須末比」「須末布」という表記が使われていた。…待てよ? じゃあ「相撲」は?
そう、実は相撲という表記も中国由来なのだ。競技だけ先に伝わって日本独自の呼び方がされていたものの、後から「中国ではこう呼ばれているらしいよ」と、伝わった感じだろうか。
ちなみに「すもう」の語源は「すまう」という動詞で、これには「争う・抵抗する」という意味がある。
なるほど! 「すもう」という響きは日本生まれで、「相撲」という漢字は中国生まれ。ある意味バイリンガルな言葉なのだな。
【追加雑学①】スポンサーを「タニマチ」と呼ぶのは?
角界と並んで相撲界隈で謎に思える言葉に「タニマチ」がある。これは力士を支援してくれるスポンサーを意味する隠語である。コマネチじゃないよ。
…なんでタニマチなんだ? なんかそんな地名もあったような気がするけど。
と、思ったらこれがその通りで、その語源は「大阪市中央区谷町」という地名から来ている。地元民から6丁目は「タニロク」、4丁目は「タニヨン」などの愛称で親しまれているぞ。
その成り立ちにも諸説があるのだが、ここでは有力なものを紹介しておこう。
明治時代、大阪の谷町6丁目に「薄病院(すすきびょういん)」という病院があった。
この病院の院長・薄恕一(すすきじょいち)さんは、大の相撲ファンで、収入の少ない幕下力士たちを無料で診察したり、ときには金銭的な支援をしたりなど、角界の若手育成にすごく献身的だったのだとか。
つまり恕一さんが当時の角界の若手を支えたことが由来となり、病院のあった地名から「タニマチ」という言葉ができたということだ。なるほど…タニマチには力士たちの感謝の念が込められていたわけか!
しかし…このほかにも、谷町の人たちが力士を支援した話がたくさん残っており、どれが語源なのかはっきりしない状態になっているのが現状だ。
谷町の人たちがこぞって力士の面倒を見たのか。それもそれで良い町じゃないか!
とにかくタニマチという言葉が、当時の力士たちと谷町の人たちの縁の深さを物語るものであることは変わらない。
【追加雑学②】力士の最軽量は62キロ・最重量は285キロ!
お相撲さんの武器はなんといっても迫力のある大きな身体だ。格闘技でも重量別に分かれていない相撲では、身体の大きさが非常に重要視される。
しかし、身体付きは生まれ持ったもので、力士にだって大きい人もいれば、小さい人もいる。
かつての舞の海関や現在人気の炎鵬関(えんほうぜき)など、小さな身体でも技術を磨き活躍できる力士はいる。しかしそんな小柄な力士のなかでも、史上に残る最軽量の力士がいた。育盛(そだちざかり)だ。
その体重はなんと62キロ。もはや太ってもいない、普通の成人男性である。
力士には67キロの体重制限がある。ボクサーとは逆で、体重が少ないと土俵に立てないのだ。
あれ? 育盛…届いてなくね? そう、届いてないから苦労したのだ。
これまたボクサーとは真逆の壮絶な増量で計量に挑んだという。その食べっぷりはフードファイターさながらだ!
しかしその後さらに体重が落ちてしまい、育盛は0勝1敗の成績で2014年に引退した。…やっぱり力士になるにはちょっと小柄過ぎたのか…? 以下の動画でその姿を確認できる。
およそ力士とは思えない体型だが、最軽量ということに誇りをもって土俵に立っていたのだな…。
ちなみに現代に至るまで最重量の力士は、今でもタレントとして人気がある小錦。現役の最重量時はなんと285キロもあったというぞ。わかりやすく動物で表すと、ゴリラの体重が150キロ。小錦はゴリラの倍ぐらい重いのだ。
以下は貴乃花VS小錦のダイジェストだ。同じ力士でも明らかに体格差がありすぎる…。それでも食らいついていき、勝つこともある貴乃花もまたすごい!
また大相撲の力士の平均体重はだいたい150キロ前後で、ゴリラとほぼ一緒である。そう思うと育盛の角界入りは、成人男性がゴリラに挑むようなものじゃないか。命懸けだぞ…。
まあ、人間とゴリラじゃパワーは全然違うけどね。
おすすめ記事
-
"ちゃんこ"って鍋だけのこと?力士が関係している由来とは?【動画】
続きを見る
スポンサーリンク
【追加雑学③】相撲の土俵には縁起物が埋められている
もともとは神事だった相撲。舞台である土俵は今も神聖な場所として扱われている。
「土俵の下には銭が埋まっている」とよくいわれる。
埋蔵金じゃあるまいし…と思うかもしれないが、実際に土俵の下にはいろいろな縁起物が埋められているのだ。主に埋められているのは米や昆布・スルメ・塩・勝ち栗など。
…なんだ掘っても金目のものは出てこないのか。などと罰当たりなことを考えてはいけない。
角界では、こうやって土俵の神様へお供え物をしているのだ。
以下は土俵が造られていく様子を映した動画。大勢の職人さんたちが技を尽くす姿に興味を惹かれる。
おすすめ記事
-
力士が取り組みの際に土俵で塩をまくのはなぜ?
続きを見る
-
力士が四股をふむのはなぜ?四股ふみダイエットもご紹介!
続きを見る
雑学まとめ
今回は相撲界を表す、角界にまつわる雑学を紹介した。
相撲はかつて「角力」と記されるのが一般的だった。その名残が今でも「角界」という言葉で残っている。言葉の成り立ちを辿ると、中国との関係性、相撲の伝統がさらに伝わってきた。
伝統を重んじながらも日々新しい力士が現れ、しのぎを削る大相撲。令和の新時代にもその歴史は変わらず受け継がれていくのだ!