誰しも一度は訪れる逆境。そんな不調やスランプに陥った際、人は新たな活路を見出すこともある。
現役通算868本のホームラン記録をもつ・王貞治もそのひとりである。
王の代名詞といえば、右足を長く挙げる一本足打法が有名だ。別名・フラミンゴ打法とも呼ばれる。じつはこの打法は、王がスランプに陥った際に生みだされたものだ。
今回はそんな、王貞治と一本足打法にまつわる雑学を紹介していこう!
【スポーツ雑学】王貞治の一本足打法はスランプから生まれた
【雑学解説】名コーチ・荒川博打撃コーチとともに磨き上げた、王貞治の一歩足打法
王貞治は読売巨人軍の元一塁手で、通算868本のホームラン世界記録をもつ人物である。王が記録を塗り替えるまでホームランの世界記録は、メジャーリーグで活躍したハンク・アーロンがもつ755本だった。
1977年、王は755号のホームランを放ち、ハンク・アーロンの世界記録を見事に破った。そして、現役を引退するまで、通算868本のホームランを積み重ねることになる。現在でも破られることのない不滅の大記録だ。
王の一本足打法が生まれる背景には、プロ4年目で直面したスランプが関係している。シーズン当初、極度の不振に陥った。ボールとのタイミングがとれず、ピッチャーに差し込まれては、打球がつまる打席を繰り返していた。
そんな王にアドバイスを送ったのが、読売巨人軍のバッティングコーチを務めていた荒川博である。
それまで試行錯誤を繰り返していた王に、荒川はあるとき、右足を早くあげてタイミングをとり、ボールを呼び込んで打てとアドバイスした。
その成果は早くも現れる。打撃フォームを一本足打法に替えた試合で、王はいきなり5打席3安打4打点の活躍をみせたのである。
その後も、王はホームランを打ち続けた。結局、シーズンを通してホームラン38本、85打点の成績をあげて、ホームラン王と打点王のタイトルに輝いたのである。
【追加雑学①】王貞治はユニークな練習方法で才能を開花させた
約150キロに近いボールをバットで打ち返し、スタンドにアーチをかける。ホームランは観客が待ち望む野球の醍醐味のひとつである。野球の華ともいえるホームラン。
その世界記録をもつ王貞治は、ボールを遠くに飛ばすために、ユニークな練習をおこなっていた。
それが武道である。王は武道の稽古から、投手との「間」の取り方、バッターボックスに入った際の「気」のもち方を学んだというのだ。
王が野球の練習に武道を取り入れたのは、当時、読売巨人軍のバッティングコーチだった荒川コーチが現役時代に取り入れた練習方法だったからである。
王はこんな練習もおこなった。天井から吊るした千切りの新聞紙を、日本刀で斬る練習も行ったというのだ。
日本刀をバットに見立て、ボールとの「間」の取り方や刀のあたる角度を掴むことで、バットのヘッドを走らせ、切るようにボールをインパクトする感覚を身につけようとしたという。
世界のホームラン王と称賛された王は、その練習方法も非常にユニークなものだった。
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【追加雑学②】王貞治をおさえるために用意された特別シフトがある
対戦チームも、王の前にただ手をこまねていたわけではない。当時の野球界では珍しい「王シフト」と呼ばれる守備隊形を敷いて、王に対抗したのである。
そのシフトを始めて敢行したのが、広島カープの元監督・白石勝巳である。1964年、後楽園球場でおこなわれたダブルヘッターの第2試合目。広島カープと読売巨人軍とが対戦したこの試合で、「王シフト」が敷かれた。
白石監督は、王が飛ばした打球の傾向を分析すると、その約7割がライト方向に打球が集中していることを掴んだ。そしてこの試合で、野手6人をライト寄りに守らせる「王シフト」を敷いたのである。
しかし結果は王に軍配があがった。広島側が敷いた王シフトに動じることはなく、彼は難なくバックスクリーンの右へホームランを叩き込んだのである。
この試合、王は4打数3安打を打ち、広島側の奇策ともいえる「王シフト」は失敗に終わった。
なお、「王シフト」によって珍記録も生まれている。
1972年の日本シリーズ第1戦、阪急ブレーブスが巨人と対戦した試合でのこと。阪急ブレーブスはショートをセンターに守らせ、外野手を4人にする「王シフト」を敷いた。
王の第2打席目は、ショートフライと記録されているが、ショートがボールをキャッチした場所は、本来はセンターの守備範囲となるバックスクリーンの手前だった。
センターフライと記録に残るはずのものが、王シフトによってショートフライという珍記録が誕生したのである。
「王貞治の一本足打法」の雑学まとめ
以上、王貞治にまつわる雑学をご紹介してきた。「世界の王」の代名詞といえる一本足打法は、まさに彼のスランプから生まれたことがわかった。
またホームランの世界記録は、選手の並々ならぬ努力と、王に熱心に指導した荒川コーチとの二人三脚によって打ち建てられた。
極度のスランプに直面した際に、一本足打法を習得した王貞治。打撃が生み出される経緯を見ていくと、人が不振やスランプに陥った際にこそ、未来を切り拓く大きなチャンスが潜んでいるのかもしれない。
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