1982年に発売された松田聖子の「赤いスイートピー」は、今でもカラオケで歌われる人気の高い曲であり、本人も好きな曲として挙げるという。
実はこの曲の発売当時、赤いスイートピーは存在しない花だったのだ! 正確には、赤っぽい色のスイートピーは昔からあったのだが、真紅のスイートピーはなかったのである。
今となっては普通に存在する赤いスイートピーは、この曲がなかったら今でも存在しなかったかもしれないのだ。今回はそんな赤いスイートピーにまつわる雑学をご紹介しよう!
【自然雑学】赤いスイートピーは松田聖子の歌がきっかけで生み出された
【雑学解説】「赤い」スイートピーは当時存在していなかった
スイートピーは、17世紀末にイタリアのシチリア島で発見され、原種は紫色で香りを楽しむ花であった。江戸末期に日本に伝わった花だが、商業用に栽培され始めたのは大正時代である。
1982年当時、スイートピーといえば白やピンクの花が主流だった。赤系のものはあっても、純粋に真っ赤なスイートピーは存在していなかったのだ。
「赤いスイートピー」がヒットしたことにより、「ほかの花には普通にある赤色を、スイートピーでも作りたい」と三重県の中川猛さんが発案。花の市場勤務から栽培農家に転身し、品種改良を始めたのが1987年のこと。
濃いピンクのスイートピーを掛け合わせ、赤い花を作ろうとした。しかし、黒ずんでしまったり、赤くなってもすぐに傷んでしまったりと、なかなか上手くいかなかったようだ。
しかし、諦めなかった中川さんの努力の甲斐あって、2002年にようやく1本だけ赤いスイートピーが誕生。2005年の12月から市場に出荷が開始されたのだ。
18年がかりで、ようやく日の目を見られた「赤い」スイートピー。人間なら、子供が大人に成長してしまうほどの年月をかけて品種改良されたというのがすごすぎる。自分だったら途中で諦めてしまいそうな時間だ…。
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【追加雑学①】続・赤いスイートピーが存在する
「赤いスイートピー」には続きの曲があって、1988年に「続・赤いスイートピー」が発売されている。その際、「赤いスイートピー」の歌詞の中に出てくる「半年経っても手も握らなかったシャイな彼」とは別れていて、なんとその彼は別の人と結婚していたのだ!
デビューから高音を響かせる、アイドルらしい歌を歌ってきた松田聖子。そんな彼女が落ち着いたスローバラードを歌い、男性だけでなく女性人気も高まったきっかけが「赤いスイートピー」である。
喉を酷使していた松田聖子に、無理なく歌えるようにということで作られたこの曲は、実は松任谷由実がペンネームの「呉田軽穂」で作曲していたのだ。
「続・赤いスイートピー」の作曲者は違う人なのだが、作詞はどちらも松本隆である。
あなたについていきたいと恋心を歌った「赤いスイートピー」と、あの頃を思い出して切ない気持ちを歌った「続・赤いスイートピー」。どちらも松田聖子のキャンディーボイスが心に沁みる名曲だ。
【追加雑学②】シクラメンにも香りはなかった
赤いスイートピーは、歌がきっかけで生まれた。同じように、なんと1974年に発表された布施明の歌う「シクラメンのかほり」からも、シクラメンの香りが誕生していたのだった!
シクラメンは観賞用で、良い香りがするどころか無臭、むしろ臭いと感じるような花だった。だが、1996年に埼玉県農業技術研究センターで、バラとヒヤシンスを合わせたような香りのする、芳香シクラメンを作ることに成功したのである。
これも、歌を聞いた人たちから出た、「シクラメンにも香りがあればよいのに」という声を実現させてくれた、研究機関の努力の賜物だ。
【追加雑学③】スイートピーの日
日本スイートピーの会という、全国の花の生産者・生花店・園芸店などで構成されている組織がある。その組織が、2017年に1月21日を「スイートピーの日」に制定し、それを日本記念日協会が認定している。
1月21日にした理由は、その時期のスイートピーが一番香りが豊かで輝いているから。また、スイートピーの3種類の花びらが、左右対称に1枚・2枚・1枚と並んでいることからとされている。
そして、実は「赤いスイートピー」の歌が発売された日も1月21日なのである!
もはやこじつけのようにも感じるが、スイートピーの存在を世間に広めてくれた松田聖子に、感謝の気持ちが込められているに違いない。
雑学まとめ
「赤いスイートピー」についての雑学、いかがだっただろうか。今でも老若男女に広く知られた名曲、「赤いスイートピー」があったからこそ、「赤い」スイートピーが生まれたのだった。
歌のおかげでスイートピーの認知度も上がり、品種改良までされてしまうなんてすごいことだ。人が想像できるものは実現するというのは、あながち間違いではないのかもしれない…。
もしそうだとしたら、あなたはなにを想像する?