現代日本の幹線道路はさまざまなレストランチェーンであふれ、小さな通りに入ると小さな個人経営のレストランも見つけることができる。テーブルに座って料理を注文し、美味しい料理に舌鼓を打つ。
現代に深く浸透した「レストラン」だが、その語源には興味深いエピソードがあるのだ。今回の雑学では、そのエピソードについて詳しく解説していこう!
【食べ物雑学】「レストラン」の語源と由来とは?
【雑学解説】ラテン語までさかのぼる「レストラン」の語源
14世紀に生まれた「restauer」はフランス語で「回復させる」という意味であり、そこからできた「restaurant」はフランス語で「回復する場所」という意味である。
「restauer」の言葉の語源をたどると、ラテン語の「instauro」と「restauro」に行き着く。前者の意味は「良好な状態にする」、後者は「再度良好な状態にする」・「立て直す」である。
当初、「回復させる場所」という意味だった「restaurant」が「食事を出す店」という意味に変わっていくまでに、この言葉はどんな道を歩んできたのだろか。
レストランができる前の外食
世界初のレストランは、革命前のフランスで開店した。
当時のフランスにレストランはなく、外食のかたちは富裕層と一般庶民で大きく異なる。
富裕層は個人で宴会や食事会を開いて、シェフが用意したコース料理を食していた。
一方、庶民が利用できる飲食店は25のギルドで分けられていた。豚料理屋は豚料理ギルド、ロースト料理屋はロースト料理ギルドといったそれぞれのギルドに所属していた。
例えば豚料理屋が色々な料理を出せば、各ギルドから苦情が殺到する。そのため現代のレストランのように様々な料理を出す店はなかった。「餅は餅屋」を極めすぎたのだ。
居酒屋や宿屋では、簡単な料理や各料理屋から仕入れた料理がふるまわれた。しかしその食事方法は現代のレストランとは大きく異なっていたのだ。
まず、どでかいテーブルにどでかい皿に乗ったどでかい料理が運ばれる。自分の他に座っているのは全員他人である。そこに切り分けされていないワイルドな肉料理が運ばれてくると、全員の手に持っているフォークが我先にとその料理に突き刺さる。奪い合いである。
隣のおじさんは聞いてもいない身の上話を延々と話し続け、テーブルの反対側では食事を取り合って殴り合いが始まる。地獄絵図である。
おじさんの身の話が終わるころに残っている料理は、冷え切った余り物しかない。
それでいて料金は他全員と同じなのだ。神経が大木のように太くない人間にとって、この食事はストレスでしかないだろう。
世界初のレストラン「マチュラン・ローズ・ド・シャントワゾー」
フランスの首都であり人口も多いパリには、職を求めて田舎からやってきた多くの若者が住んでいた。田舎から出てきた彼らは都会疲れを起こし、気分転換に居酒屋に行こうにもそこは修羅の国だった。
そんな状況の中、シャントワゾー村の商家出身のマチュラン・ローズ・ド・シャントワゾー(別名ブーランジェ)という人物が、体調の悪い人のために消化の良い料理を出す店を始めた。
お客は別々の机に座り、メニューの中から好きな料理を注文して食べた。体調不良の人の食事の邪魔をする不届き物は、即刻店から退場させられたことだろう。
会計はもちろんテーブルごとに行われ、居酒屋や宿屋のように大食漢が得をするということもない。
さらに現代のレストランと同じようにメニューがあり、ギルドの垣根を越えて肉や野菜を煮込んだブイヨンやライスプティング等を提供した。これらは「元気になる食べ物」という意味で「レストラン」と命名された。
また、羊の足をホワイトソースで煮込んだ料理も出していた。
しかし、この料理が原因で煮込みギルドから訴訟を起こされてしまう。そこで彼は、「これは煮込み料理ではない、レストランだ。」と反論し、訴えを退けた。
裁判で勝てた理由は定かではないが、すでにフランス革命が直前に迫っていたため、旧体制であるギルドの勢力が弱くなっていたという理由が考えられる。この裁判を受けて、同じような業務体系の店が続々と開店していった。
レストランの流行
また、その後のフランス革命に伴って解任された王侯貴族のコックたちは、その腕を活かしてパリ各地でレストランを開いた。
こうして、新しい外食のかたちである「レストラン」はパリで流行していったのだ。
レストランは当初、体調不良の人ための料理であったが、普及していくにつれて味そのものを楽しむための料理屋へと変わっていった。こうして現代の意味になった「レストラン」はパリでさらに大流行していくのだ。
1782年には、アントワーヌ・ボーヴィエリエという人物が富裕層向けの高級レストランを開店した。これにより上流階級にもレストランが認知されるが、フランス革命と共にこのお店は閉鎖されてしまう。
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【追加雑学①】レストランの世界への普及
19世紀、イギリスが作ったパリの観光パンフレットには、「パリに寄ったらぜひレストランを」ということが書かれている。
このことから当時のパリのレストランは、世界から見ても観光資源になるほど珍しいものだったことがわかる。
そのレストランが世界に広がるのは19世紀中ごろのことである。
【追加雑学②】日本初のレストランは?
江戸時代の終わり、長崎出身の草野丈吉はオランダ人のもとで料理修業をし、「自由亭」を創業した。
メニューはビフテキ・カレー・ コーヒー・スポンジケーキなどである。料金は現代の価値にして1万3千円で、完全予約制である。
このお店は「旧自由亭」として長崎に現存しており、現在はリーズナブルな喫茶店として営業している。
レストランの雑学まとめ
今回は、レストランの語源についての雑学を紹介した。
もしマチュラン・ローズ・ド・シャントワゾーさんがレストランを始めなければ、私たちはいまだに大きい机で、赤の他人と料理の奪い合いをしていたかもしれない。
それはそれで面白そうだが、少なくとも「いつでも気軽に好きなものを食べる」ということができなくなるのは非常に痛い。
これからレストランで食事をとるときは彼に感謝しつつ、ゆっくりと味わって食べなければ。