NHKの大河ドラマの主人公にもなった西郷隆盛。西郷さんといえば、上野にある銅像を思い浮かべる方もいるかもしれない。だが、西郷隆盛の銅像は上野だけではなく、生まれ故郷の鹿児島にも建っていることをご存知だろうか。
じつは、上野と鹿児島の西郷像には、大きく異なる点がある。この記事では、上野と鹿児島に置かれている西郷像の違いについての雑学をご紹介する。
【歴史雑学】上野と鹿児島の西郷隆盛の銅像は着ている服が違う
【雑学解説】銅像には人間の想いがさまざまに込められている
西郷隆盛は、鹿児島県薩摩地方に生まれた政治家・軍人である。明治維新を実現した立役者のひとりとして知られ、江戸城の無血開城を実現し、明治10年、西南戦争の指導者として明治新政府に反旗をひるがえした人物だ。
その西郷隆盛の銅像が上野恩賜(おんし)公園に置かれていることはご存知だろう。この西郷像は浴衣姿で犬をつれているが、彼の生まれ故郷にある西郷像は、陸軍時代の軍服をまとっている。その違いはどこから生まれたのか。
西郷隆盛は西南戦争の際に、明治新政府と対立したことから反逆のイメージがつきまとっていた。だが、大日本帝国憲法が発布された恩赦により、西郷の汚名が解かれたことをきっかけで、薩摩藩出身の藩士たちが中心となって建設計画がもち上がった。
当初の設置場所は馬に乗った軍服姿の西郷像が皇居外苑に設置される予定だったが、資金不足や逆賊の根強いイメージなどの反対意見があがって、現在のかたちに落ち着いたという。こうして西郷像は、明治31年、上野公園に設置された。
つまり、生まれ故郷の鹿児島にある銅像の方が、本来の計画に近い銅像だったことになる。なお、上野の西郷像は高村光雲の作で、西郷の銅像のモデルは、元・山形県議の男性だったことが判明している。
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【追加雑学①】長崎にはサッカー日本代表のユニフォームを着た巨大な坂本龍馬像が建っている
西郷隆盛と同じく、幕末の志士として非常に人気の高い坂本龍馬。長崎県・島原市では、いっぷう変わった龍馬像を拝見することができる。それが、島原復興アリーナ内に建つ、サムライブルー姿の巨大な坂本龍馬像である。長崎と龍馬の関係については、こちらをご覧いただきたい。
島原復興アリーナは、長崎県島原市に所在する屋内スポーツ施設で、1990年に発生した雲仙普賢岳(うんぜんふげんだけ)の大火砕流による復旧事業の一環として建設された。2000年7月にオープンしている。その施設内には、サムライブルー姿の坂本龍馬像が建っている。
巨大な龍馬像は、日本代表のユニフォームを着て足もとにボールが置かれている。この龍馬像はもともと、2010年の南アフリカワールドカップにあわせて東京・国立代々木競技場に設置されていた。それを島原市が、日本サッカー協会とアディダスジャパンから譲り受けたものだ。
日本の将来像を描いた龍馬のように、日本の将来を背負う第2・ 第3の龍馬がこの地から生まれてくるかもしれない。
【追加雑学②】日本でもっとも古い銅像は兼六園にある日本武尊
もうひとつ銅像関連のトリビアをご紹介しよう。日本でもっとも古い銅像は、どこに設置されているかご存知だろうか。日本で初めて作られた銅像は、石川県・金沢市にある兼六園(けんろくえん)に設置されている。
日本の伝説的英雄である日本武尊像(やまとたけるのみこと)の銅像である。この銅像は、明治13年に富山県・高岡の鋳物(いもの)職人たちによって設置された。
それにつづいて古いのが、明治26年に建てられた、靖国神社内にある大村益次郎の銅像だ。なお、上野に設置された西郷像は、明治31年に作られた日本で3番目に古い銅像になる。
雑学まとめ
上野公園と鹿児島にある西郷像の違いについての雑学をご紹介してきた。いまはすっかり上野の代名詞になった西郷隆盛像。この銅像は同郷の藩士たちが中心になって、建立されたことが分かった。
銅像には人々の想いが込められている。普段なにげなしに通過している銅像に、あなたも注意を向けてはどうだろうか。これまで知らなかった歴史のエピソードが眠っているかもしれない。
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