みなさんは「すき焼き」は好き?(ダジャレのつもりではない)。ちょっと豪華な牛肉に新鮮な野菜、ホクホクの豆腐なんかを濃厚な溶き卵にからめて…。
すき焼きは、贅沢なおかずというイメージもあり、これが食卓にあがる日は大人子ども問わずテンションもアガることだろう。
ところで、冒頭ですき焼きは好き? と記述したが、すき焼きはなぜ「すき」焼きというのだろうか。
素朴なクエスチョンかもしれないが、今回すき焼きのすきとはなんぞや? という疑問について調べてみたところ、身近な食べ物でありながら、大変面白いルーツがあることがわかった。以下、食べ物の雑学として、気軽に読んでいってほしい!
【食べ物雑学】すき焼きはどうして「すき」焼き?
【雑学解説】農夫が作った料理が発祥
まず鋤という道具なのだが、土を耕す農具の一種である。これは同じく農民の道具であり、畑を耕すための鍬(くわ)よりも古くから使われていたという。
江戸時代の農夫たちは、キツい農作業で減ったお腹を満たすため、この鋤の金属部を火で熱して、魚や豆腐などの食材を乗せ焼いて食べていたという説がある。
つまりこの「鋤焼き」がすき焼きの名へと変化したといわれているのだ。ここは筆者の勝手なイメージだが、鋤焼きはバーベキューの元祖日本版といったところだろうか(屋外で食べているとは限らないが…)。
だが、実はすき焼きの「すき」についてはもう一つの説が存在する。そのもう一説とは、すき焼きのすきは、薄切りの肉を指す「剥き身」という言葉から発祥したというものだ。
しかし、上記の農具・鋤から発祥したという話の方が数に多く、信憑性が高い。さらに1832年頃に書かれた「鯨肉調味方」という本の中にも、「鋤焼きとはよく擦れてピカピカになった鋤を、火で熱してそこに肉を乗せて焼く…」といったことが書かれており、これは鋤焼き→すき焼きの名の由来に対して、たしかな裏付けとなっている。
明治時代になると…
なお、文明開化の明治時代に、関西では「すき焼き」。関東では「牛鍋(関東でのすき焼きの呼び名)」が人々の間で流行した。
この時代くらいまで日本では魚食がメインであり、牛などの動物を食べる習慣はほぼなかった。これは、荷物を引いて活躍する牛や馬を食べるなんてそもそも罰当たりだ、という考え方が古来より根強かったためである。
そのため、飛鳥時代から明治時代までは、おおやけに肉を食べることを禁じていたそう。しかし庶民のあいだでは、猪や鹿などのジビエ的な肉を昔からこっそり食べていたという話もあり、なんなら牛肉も隠れて食されていたという話まであった(庶民の根性は、さすがたくましいといったところだろうか…)。
やがて、かの明治天皇が牛鍋を食べたのが火付けとなり、そこから庶民のあいだでもおおっぴらに肉を食べることが解禁されたという。
要するに、天皇陛下が食べたらオレらもいいんだよね? となったワケだ。こうして関西ではすき焼き屋、関東では牛鍋屋が庶民のあいだで大変繁盛した。なお、日本初のすき焼き屋だが、実はこれ以前に幕末の京都・三条河原で誕生していたともいわれている。
さらに時代が進み、1923年に関東で大震災があってからは、牛鍋屋は軒並み大打撃をうけ、かわりに関西のすき焼き屋が関東へと進出した。
結果、関西と関東の食文化がミックスし、すき焼きは割り下を使って肉と野菜を煮て食べるスタイルの「関東風すき焼き」に変わっていったのだった。ちなみに割り下とは、みりんや酒、醤油などで調味した煮汁のことである。
こうして呼び名も「すき焼き」が一般的になり、家庭でも作られるメジャーな日本食の一つになったというわけだ。
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【追加雑学①】関西・関東での違い
地域により名物や食べ物の文化が異なるように、すき焼きも東・西でつくり方が違ってくる。
たとえば上記でも話にあったとおり、関東では割り下を使って、肉と野菜を煮て一緒に食べるスタイルが一般的である。こちらは水から具材を同時に煮込む、ほかの鍋料理とも似ているつくり方だ。
一方、関西だと割り下を使わずに最初に肉を焼き、砂糖や醤油を入れて味付けしてから野菜を入れ、さらに酒や水を使って味を調節したら食べるというもの。
具材は、主役の牛肉をはじめ、ネギ・白菜・豆腐・シイタケ・春菊などが共通で使われてはいるが、関東・関西ではつくり方が異なるということだ(割り下を使うか使わないかが、もっとも大きな違いだろう)。
なお、溶き卵につけて食べるのは、東・西どちらも共通のようである。はてさて、みなさんの家庭のすき焼きスタイルは関東・関西のどちらだろうか?
【追加雑学②】美食家の好んだすき焼き
ちょっと視点は変わるが、マンガの美味しんぼの中には「魯山人風すき焼き(ろさんじんふうすきやき)」というものが出てくる。
それは、主人公・山岡士郎の父親である美食家・海原雄山がすき焼きを食べに外出したときの話なのだが、店で出されたすき焼きを邪道だといって気に入らず、自分を納得させるには「魯山人風すき焼きでも出してみろ」的な場面があるのだ。
なお、マンガ内での雄山は財界の大物ですら頭が上がらないという凄い人物設定だが、知らない人にどんな人物かを簡単に説明するとなると、他人の出した料理が自分の舌に叶わなければ、いちいちキレるただの怖いおじさん…という感じの人だ。
この雄山が言った魯山人風すき焼きの「魯山人」とは実在の人物であり、正確には「北大路魯山人(きたおおじろさんじん)」という。名前がすごく変わっているが、これはあくまで別名であり、ご本人はれっきとした日本人。
魯山人は日本の芸術家で、絵画・陶芸・書道…さらに料理にも通じた人物でもあり、実に多彩な、知る人ぞ知る文化人なのだ。
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魯山人風すき焼きとは?
さて、この魯山人の名を冠したすき焼きだが、調べによると関西でのすき焼きのつくり方に似ているという。しかし、似ていてもそもそも美食家が好んだすき焼きなので、我々が知っているすき焼きのそのレシピとは一風変わっており…
ざっくりまとめると、だいたい以下の感じの食べ方である。
- 鍋に牛脂を入れ、あぶりだしたら霜降り肉を入れて軽く焼き目を付ける。
- 醤油と酒、わずかなみりんで味付けしたら、焼き過ぎないうちに溶き卵を付けて肉を食べきる(卵の代わりに大根おろしを使うこともある)。
- 鍋に出汁を入れて、野菜や豆腐を入れて炒りあがったら、それも食べきる。
- また肉を焼いて~同じ行程の繰り返し。
どうだろうか、このすき焼きの特徴をまとめると、肉と野菜を別にして食べることと、砂糖を使わないということだ。
作法? をもう少し噛み砕くと、食べたいだけの肉を焼いて「絶妙のタイミング」で食べ終えてから、そこへ食べたいだけの野菜を入れて少量の出汁で味付けて食べ、それを繰り返す。
筆者はとてもじゃないけれど、この美食家の食べ方をコンスタントにはマネしづらい(そもそも霜降り肉が高くて手が出づらい…)。
ただ、このすき焼きに興味がある方は奮発して、霜降り肉ほか上等な材料を揃えて、ぜひ「魯山人風」を食してみてはどうだろう。
なお、この食べ方を再現している動画も見つけたので、参考にしてみてはいかがだろうか?
「魯山人風すき焼き」ってこんな感じ
動画の人は材料にもしっかりこだわっているようで、とっても美味そう…ジュルリ…。後半はしゃぶしゃぶっぽい食べ方になっているが、これはこれでまた美味そうである(これも魯山人が好んだ食べ方なのだとか)。
雑学まとめ
すき焼きについての雑学を紹介してきた。もとが農具の話から始まり、日本食としてすき焼きはここまで一般的になった。そして、現在はすき焼きもバリエーションが増え、豚肉や鶏肉を使ったものも普通に食べられるようになったのだ(筆者の場合も、豚・鳥すきはコスパも味も良いので、比較的良く食べる)。
なお、これは食べ物としての話ではないのだが、歌手の故・坂本九氏の「上を向いて歩こう」の英語版のタイトルが「Sukiyaki」というタイトルとなっている。
これが海外でもミリオンヒットしたことで、諸外国でも「すき焼き」の名が知れ渡ることとなった。すき焼きがジャンルを超えた影響力すらある、凄い食べ物であるということがわかるエピソードである。
実際にすき焼きが「すき」な外国人もたくさんいるワケで…。最後にこんな風にシャレっぽくしたところで記事の締めとしたい。このシャレの感じを冒頭でも見たような気がするのは、ご愛敬ということで!