正月の風物詩である「凧あげ」。なぜ凧をあげるのかはよく分からないが、飛ばしていると楽しい。しかし、実は「タコあげ」はもともと「イカあげ」だったらしい。
イカが何らかの理由で使えなくなり、似たような生き物のタコが使われるようになったのだろうか?
というか、そもそも「イカあげ」だったのなら、なぜイカを空に飛ばすことになったのだろうか? 不思議すぎる…
というわけで今回の雑学では、凧あげの名前の由来を調べてみたぞ! イカではなくタコが使われるようになったことには、意外すぎる理由があったのだ。
ついでに、凧が作られることになった理由も紹介させてくれ! 漫画のようなことを実際に凧を使ってやっていたようだぞ。
【生活雑学】凧あげはもともとイカあげだった
【雑学解説】「イカあげ」→流行りすぎて「タコあげ」
凧あげはそもそも日本発祥ではなく、平安時代に中国から入ってきた文化だ。四角い形に足がついていたことから「イカ」や「いかのぼり」と呼ばれていた。
紙鳶は「しえん」とも読むが、江戸時代には紙鳶と書いて「いかのぼり」と読んでいたという。今では紙鳶は「しえん」・「いかのぼり」・「イカ」・「タコ」と読み方がたくさんある。ちなみに、紙鳶の鳶は鳥のトンビのことなので、「紙のトンビ」という意味だ。
驚いたことに、平安時代から江戸時代に入るまではイカあげは庶民の遊びではなく、貴族や武士の一部だけの遊びだったようだ。そして、江戸時代になると庶民にもイカあげが広まり、大流行。
屋根にイカが墜落しすぎて修理にすごくお金がかかったり、大名行列の中にイカが墜落したり、農作物に被害が出たり、イカあげのせいでケンカが勃発して死人が出たりと、ものすごい熱中ぶりだ。
流行りすぎて幕府が「いかのぼり禁止令」を出すほどだったという。
しかし、「イカあげは禁止でも、タコあげにしたらOKでしょ?」というノリで、名前がタコあげに変更された。それでいいのか!?
当時のタコあげには競技用のタコもあり、相手のタコを落とすために自分のタコの糸に樹脂でガラスの粉をつけたり、刃を仕込んだりとやりたい放題していたようだ。
幕府がイカあげを禁止したことで逆に人気ぶりに拍車がかかったようで、もう手に負えない。もともと日本にはなかった「凧」という漢字まで作ってしまったらしい。
幕府は禁止しても止めようとしないので、いかのぼり禁止令を出した後、さらに「たこのぼり禁止令」まで出したという。
しかし、明治時代に入ると文明開化の鐘とともに、人気は落ち着いていった。電線が張り巡らされたことでタコをあげるスペースが十分に確保できなくなったためだ。
スポンサーリンク
【追加雑学】凧あげはもともと軍事利用目的だった
凧あげは中国発祥だが、凧が作られたそもそもの目的というのは戦争に利用するためだ。中国で最初に凧を作った人は春秋時代の魯班(ろはん)だといわれているが、ほぼ同時期に墨翟(ぼくてき)も凧を作ったとされている。どちらも軍事目的で、形は鳥型だ。
日本の戦国時代でも連絡手段として凧を使っていたようだが、中国では凧を使って敵軍との距離を測量したり、味方に信号を送ったり、捕虜の中にわざと文字を書いた凧を墜落させ反乱を起こすように促したりと、漫画に出てきそうなエピソードが残っている。
ちなみに、中国では凧あげのことを風箏(ふうそう)と呼んでいる。「風の琴」という意味があり、唐時代に凧の足に笛を付けて飛ばすと琴のような音が聞こえたことからこの名になったようだ。なんとも風流だ…日本の凧とは大違いである。
日本とは違い、本場中国では季節を問わず凧をあげているらしい。老若男女に人気があり、一種の健康法になっているようで、中国に行ったら凧があちこちで見られるかもしれないぞ。
雑学まとめ
今回の雑学では、凧あげの名前の由来や、凧が作られることになった理由を紹介したが、いかがだっただろうか。
中国では「風の琴」なのに、日本では「タコ」…日本でももう少し風流な名前にしてほしかった。
江戸時代にはタコの糸に刃を仕込んでいたとは…もう何でもありの戦いである。どれだけ勝ちたかったのか。
シンプルな遊びだが、それゆえに奥が深いということだろうか。たしかに、やり始めると夢中になって遊んでしまう中毒性があるのは事実だ…。