花火が上がっているときに、「たまや」「かぎや」という掛け声をする人はいるだろうか? 今となっては珍しくなったこの掛け声だが、昭和の半ばごろまでは、盛んにこの掛け声が上がっていた。
どうして「たまや」「かぎや」なのだろうか? 「たまや」は、「花火が玉のように丸いからか?」と予想できるが、「かぎや」は何だろう?
この2つの掛け声の意味を探るには、花火の歴史をひも解く必要がある。今回は、そんな歴史の雑学を紹介しよう。
【生活雑学】花火の「たまや」「かぎや」とは何か?
【雑学解説】「たまや」「かぎや」は「花火の屋号を称賛するための声援」
「玉屋」と「鍵屋」というのは、江戸時代に有名だった花火師のことである。日本に花火が誕生した時代に関しては諸説あるが、日本で初めて花火大会が行われたのは江戸時代のことだ。
当時の花火大会は、両国橋を挟んで花火が打ち上げられる形をとっていた。両国橋の上流を「玉屋」が、下流を「鍵屋」が担当して、花火を打ち上げていたのだ。
そして、観客は「ここの花火は素晴らしい!」という気持ちを込めて、良いと思ったほうの花火師の屋号を叫んでいたというわけだ。
「玉屋」と「鍵屋」は、当時の花火師の中でも特に人気の高かった屋号だが、観客からの人気では圧倒的に「玉屋」のほうが上だった。そのため、今でもどちらかというと「玉屋」の方を口にする人のほうが多い傾向にある。
今となっては、もう「玉屋」「鍵屋」と言う風習は少なくなってきた。できれば、花火師の屋号を知っていたら、かつての「玉屋」「鍵屋」のように呼びたいものだ。
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【追加雑学①】「玉屋」と「鍵屋」の歴史を解説!
かつて、江戸の民衆に素晴らしい花火を見せていた「玉屋」と「鍵屋」。その歴史を簡単に解説しよう。
まずは「鍵屋」からだ。歴史的に古いのはこちらであり、日本最古の花火師でもある。創業は、なんと1659年! 実をいうと、今でも15代目まで続いている。
宗家花火鍵屋というホームページも開設されているので、興味のある人は見に行ってみよう。
「鍵屋」の歴史は、初代・弥兵衛(やへえ)が、葦(あし)の管に火薬を練った小さな玉を詰めたものを「花火」として売り出したことに始まる。
その後、将軍の命令による花火の打ち上げや、両国橋での花火大会での打ち上げなどで、徐々に名前を上げていった。
そして1810年。そのとき鍵屋は7代目となっており、この時に「鍵屋」からのれん分けされた花火師が登場した。それが「玉屋」である。
1代で途絶えた「玉屋」
「玉屋」は「鍵屋」と同じく、両国橋での花火大会に参加し、観客をにぎわせた。とても見事な花火を上げて、「鍵屋」よりも人気が出ていたほどだ。しかし、「玉屋」は1代で途絶えてしまうこととなる。
なぜ「玉屋」が途絶えてしまったのかというと、江戸で大火事を起こしてしまったからだ。江戸時代、火災の原因となってしまった人物は重い罪に問われる。出火の原因が「玉屋」だったので、「玉屋」は江戸から追放されてしまったのだ。
現代にも続く「鍵屋」とは違い、わずか32年で終わってしまった「玉屋」。まさしくパッと開いてすぐに終わる花火のような話だ。今でも「玉屋」が残っていたら、江戸の評判を呼んだ花火をぜひ見てみたかった。
今に続く鍵屋の花火を動画で見てみよう!
鍵屋が担当した花火の様子が見られる動画を見つけた!
シンプルながらも、美しく迫力のある花火だ。
【追加雑学②】「玉屋」と「鍵屋」にはお稲荷さんが関係していた!?
さて、この「玉屋」と「鍵屋」には、花火師であること以外にもある共通点がある。それが、屋号の名づけにお稲荷さんが関係していたことだ。
実は、「玉屋」と「鍵屋」は、守護神としてお稲荷さんを信仰している。お稲荷さんに置かれている狐の像は、一方がカギを、もう一方が玉を噛んでいる。
「鍵屋」はカギを噛んだ狐の像から、のれん分けされた「玉屋」は玉を噛んだ狐の像から屋号をとったのだ。
花火とお稲荷さんは、一見すると全然関係ないように思えるが、実は深い関係があるという意外なトリビアではないだろうか。
雑学まとめ
「たまや」「かぎや」についての雑学、いかがだっただろうか。
「たまや」「かぎや」という掛け声は、江戸時代に有名だった2つの花火師の屋号に由来する。今でも「鍵屋」は続いているので、もし花火大会で見かけたら「鍵屋~!」と言ってみたいものだ。
今となっては、様々な花火師も増え、「これは○○のところの花火だ」と判断するのは難しいかもしれない。できることなら、他の花火師にも称賛の掛け声をかけてみたいと思うのは私だけだろうか。
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