1964年、アジア初のオリンピックが東京で開催され、94の国と地域が参加した。その参加国の中で、10月10日の開会式と10月24日の閉会式とで名前が変わった国がひとつだけあるというのだ。
2週間のあいだにその国に何が起きたのだろう? 国の名前が違うということは、プラカードや国旗は一体どうなったのだろう?
そんな東京オリンピックにまつわる雑学をご紹介しよう。
【オリンピック雑学】1964年東京五輪の閉会式で「国名」が変わった国があった
【雑学解説】なぜオリンピック閉会式で国名が変わったのか?
北ローデシアは、東京オリンピックの閉会式が行われた1964年10月24日にイギリスから独立し、「ザンビア共和国」へと名前が変わったのである。
国名の由来は、世界三大瀑布(世界で最も有名な三つの滝)のひとつといわれているヴィクトリアの滝を有する、アフリカ大陸で四番目に長い川である「ザンベジ川」からきている。
アフリカの年と呼ばれる1960年、アフリカで多くの国が独立したことがきっかけとなり、北ローデシアでも独立運動が盛んになってきた。
そして東京オリンピックが閉幕する1964年10月24日、ついに独立が決まり、閉会式はザンビア共和国の名と新しい国旗が掲げられたのである。
空から見たヴィクトリアの滝は圧巻! 自然豊かなザンビアは2019年の世界平和度指数ランキングで163カ国中48位と比較的平和な国であると評価されている。
ちなみに、日本は9位にランクインしている。
スポンサーリンク
【追加雑学】1964年東京オリンピックと国旗について
開会式ではイギリス領北ローデシアとして初めてオリンピックに参加したザンビア。国旗も左にイギリスのユニオンジャック、右に国章が描かれた紺色の旗を掲げていた。
独立しザンビアとなった閉会式では、国旗は緑色に、国鳥のフレッシュ・イーグルと赤・黒・オレンジの三色の縦線が描かれた新国旗に変わっていたのだ。
この新国旗は、ザンビアが独立するという情報を得てすでに用意されていたのである。
当時大学生にして、国旗のスペシャリストとしてオリンピックの国旗担当職員に任命されていた吹浦忠正(ふきうらただまさ)氏は、選手村に自ら新国旗を届けに行き、大いに盛り上がったのだという。
また吹浦氏は、どの選手も頂点を目指して競技に参加しているのだからと、それまでの大会では上位になるであろう選手を予測して国旗を用意していたところ、表彰式用に参加国分の全ての国旗を用意し、どの競技でどの国の選手がメダルを取っても対応できるようにしたのである。
大量の国旗を作るのには予算もかかってしまうのだが、旗を製造する会社「国際信号旗」の三宅社長が、「これまで戦争のために作っていた旗を、平和のために作れるのだから利益などいらない」と快く引き受けてくれたため、予算を抑えて作ることができたのだという。
これまでのオリンピックでは、国旗の向きが逆だったり、裏返しだったりと残念なミスが起きていたのに対し、東京オリンピックでは吹浦氏の尽力によって一度もミスが起きなかったのだ。
そんな思いが、オリンピックの閉会式に名前と国旗を変えたザンビアにも対応できたというわけだ。
雑学まとめ
今回の雑学はいかがだっただろうか。東京オリンピックの開催中、ひとつの国が独立し、新国家となって閉会式を迎えたというすごい歴史的エピソードにはビックリだ。
1964年の東京オリンピックに参加していた国で、その後ザンビアのように独立したり、ソ連がロシアとそれぞれの国に分かれたり、ドイツが東西統一を果たしたりと世界は様々な変化を遂げている。
国名が変わっていなくても、2020年東京オリンピック参加国の中で、実に半数近くもの国がこれまでに国旗を変えているというのだ。
世界も人も国旗も変わりゆく時代の中で、変わらず平和の祭典であり続けるオリンピック。次はどんなドラマが待っているのだろうか?
おすすめ記事
-
平和の心…!オリンピックの閉会式が賑やかなのは"少年の手紙"がきっかけ
続きを見る