歴史を学ぶ上で男子諸君が強く興味を惹かれる部分というと、おおよそ国取り合戦だろう。活躍した武将などの話を聞くと、超人的な武勇伝も多く、心躍らされる。
ときに、戦争は元を辿ればいつの時代から行われていたのか、気になったことはないだろうか。そこで今回注目する雑学は、世界最古の戦争記録だ。
文明の発達していない古代の戦いだから、ちょっとした小競り合いのようなものだろう…と筆者は高をくくっていた。しかし真相を辿ってみると、これまた心躍らされる壮大な戦いが繰り広げられていたのだ!
【世界雑学】世界最古の戦争記録は?
【雑学解説】古代メソポタミアのラガシュ・ウンマの戦いは記録されている最古の戦争。期間は100年にも及ぶ!
記録されているもので最古の戦争は、紀元前25世紀頃、現在のイラクの一部に当たる古代メソポタミア地方で起こった「ラガシュ・ウンマの戦い」だとされている。
当時ラガシュ王国の首都ギルスがあったとされるテルロー遺跡から、国王のエアンナトゥムが残した戦勝記念碑が発見されているのだ。
記念碑にはラガシュ王国が勝利した国が数多く記されているが、どれも具体的にどんな戦いだったかは残されていない。その中でわずかながら内容がわかっているのが、ラガシュ・ウンマの戦いなのだ。
ウンマ王国が国境を勝手に動かしたことが戦争の原因に
戦争の原因を作ったのはウンマ王国だった。ラガシュとウンマは当初、第三者国・キシュの仲裁によって、石碑を置くことでお互いの国境を定めていた。これをあるときウンマ側が勝手に移動させたのだ。
これを発端に勃発した両国の戦いは、100年にも及ぶ壮大なものへとなっていく。ラガシュの国王はこの戦争のあいだに2回も変わっているという。
記念碑に記されている通り、戦争に勝ったのはラガシュ。その後この二国間に結ばれた和平協定は、世界最古の国際条約とも呼ばれている。
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【追加雑学】詳細に記録が残されているものだと古代エジプト・カナン連合間の「メギドの戦い」が一番古い
ラガシュ・ウンマの戦いは、ただ「そういう戦争があった」というだけの記録だ。さらに詳細に記録が残されたものとなると、月日は大きく流れ紀元前15世紀、古代エジプト・カナン連合間に勃発した「メギドの戦い」になる。
カナン連合というのは、現在でいえばシリアに位置する地域だ。この戦いはエジプト側が勝利し、カナン連合がイスラエルのメギドに逃げ込んだところを、約7か月間にも渡って包囲したという。負けはしたものの、カナン連合も長期間よく耐え忍んだものだ…。
この戦いに関しては、使われた武器や死者数など、詳細な戦争記録が、エジプトのファラオと行動を共にした書記によって残された。エジプト・カルナック神殿外壁のヒエログリフがその記録だ。
神殿の外壁に残されているというのもまた興味深い。戦争の記録というと、もっと秘密裏に残しておくイメージがあるが…。当時は多くの人と共有するべき情報だったのだろうか。
このときエジプト軍の指揮を執ったファラオ・トトメス3世の戦術は、フランスの英雄ナポレオンも参考にしたといわれている。現代でも兵法書などがビジネスの参考にされることがあるように、戦略的なものに時代遅れという言葉はないのかもしれない。
雑学まとめ
世界最古の戦争についての雑学をご紹介したが、いかがだっただろうか。記録上では世界最古の戦争に位置付けられるラガシュ・ウンマの戦いは、100年にも及ぶ壮大な戦争だった。しかし原因を聞いてみると「そんなに事を荒立てる必要あるか?」と思ってしまう。
人が殺されたわけではないし、物や領土の問題なら話し合って取り戻すことはできるはずだ。わざわざ戦争を起こさなくても「いやいや、勝手に国境動かさんといて!」と注意して終わらせることはできなかったのだろうか…。
などという考えが浮かんだが、これもきっと平和な現代の日本に生まれたからこそだろう。古代の人たちとは価値観がずいぶんと違う。つくづく、この時代に生まれて幸せだなと感じさせられる次第である。
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