1903年、人類は歴史に新たな1ページを記した。アメリカ人のライト兄弟が、世界初の有人動力飛行を成功させたのである。しかし、最初に人類発の有人動力飛行を成功させたのは、兄弟のどちらだったのだろうか。
この記事では、ライト兄弟についての雑学と、ライト兄弟より以前に大空を翔けることに夢を捧げた人物についてご紹介する。
【歴史雑学】最初に空を飛んだのはライト兄弟のどっち?
【雑学解説】飛行の順番はコインで決められた!?
1903年、ライト兄弟はエンジンを搭載した動力飛行機「ライトフライヤー号」で、世界初の有人飛行に成功した。
その偉業を達成したのが、1867年生まれのライト家の三男、ウィルバー・ライトと、1871年に生まれのライト家の五男、オーヴィル・ライトである。この兄弟のうち、人類発の飛行を成し遂げたのはどちらが先だったのだろうか。
結論からいうと、飛行機に初めてのパイロットとして搭乗したのは、弟のオーヴィル・ライトである。初飛行の際、兄弟は乗る順番をコインで決め、その結果、弟のオーヴィルが先に乗ることになった。
最初に空を飛行したオーヴィルの飛行記録は、12秒・距離36.6メートルだった。その後、兄・ウィルバーがこの日の最長記録となる、飛行時間59秒、距離260メートルをたたき出した。記念すべき人類初の動力飛行はこうして打ち立てられたのだ。
なお、兄は物事に慎重な性格であり、弟は冒険心に満ちた性格だったようだが、お互いを補完しあう関係だったからこそ、この偉業を達成できたのだろう。
ちなみに、ライト兄弟が人類初の有人動力飛行を成功させたという点については、異論も挙がっている。ドイツ生まれのアメリカの飛行技師、グスターヴ・ホワイトヘッドという人物が、1901年に初飛行を成し遂げたという説も存在するのだ。
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【追加雑学①】ライト兄弟より以前に、空に夢をかけたジョン・ケイリー卿
ライト兄弟が人類発の有人動力飛行を成功させる前に、飛行原理を考案した人物がいたことをご存知だろうか。それが『空中航行論』の著者であるイギリスの航空工学者、ジョン・ケイリー卿である。
彼は「航空学の父」と称されるほど、航空業界の先駆的な人物として知られている。ライト兄弟が人類発の有人動力飛行を成功させる約50年ほど前のことである。
ジョン・ケイリー卿は、有人グライダーの実験や、固定・回転翼機(プロペラのこと)などを考案して、模型まで製作した。
1849年、少年を乗せてグライダーによる滑空に成功。1853年には大型のグライダーを製作し、関係者の操縦によって100メートル以上の飛行に成功するなどの功績を残している。
1853年に飛行したそのグライダーのレプリカが、現在、ヨークシャー航空博物館に展示されているという。
【追加雑学②】ライト兄弟より以前に、飛行機の原理を考案した日本人
日本にも、ライト兄弟より以前に飛行機の原理を考案した人物がいる。それが、1866年、現在の愛媛県八幡市に生まれた、二宮忠八(にのみやちゅうはち)である。
1889年に二宮は陸軍在軍中に「飛行器」を考案し、その翌年にゴム製の動力で駆動する「模型飛行器」を製作している。これは風を受けとめるカラスの翼の動きから着想されたものだった。
二宮は有人型「飛行器」の実用を、軍に2度も却下されるなど、飛行器開発の理解を得ることはできなかった。そして、計画は幻のまま終わってしまう。
なお、「飛行器」の模型を製作した2年後、ライト兄弟の偉業を新聞で知ることとなった忠八は失望し、模型を破壊したといわれる。以後、飛行機の開発からは離れていった。
1954年、英国王立航空協会が「玉虫型飛行器」の模型を展示し、「ライト兄弟よりも先に飛行機の原理を発見した人物」として紹介されたとのエピソードも残っている。
近年では「日本の航空機の父」として評価が高まりつつあるようだ。なお忠八は、晩年飛行機事故で死去した多くの人を弔うために、京都府八幡市に飛行神社を創建し、自ら神主にもなっている。
また香川県仲多度郡まんのう町には、飛行原理の着想を得た土地との縁から「二宮忠八飛行館」が建てられている。
雑学まとめ
ライト兄弟にまつわる雑学と、飛行機の開発に夢をかけた2人の人物についてご紹介してきた。ライト兄弟が人類で初めて有人動力飛行を成功させた際、最初に飛行を試みたのは、弟のオーヴィル・ライトだった。
また、彼らより以前に、空を翔けることを夢見たジョン・ゲイリー卿と二宮忠八という人物が飛行機開発に力を注いでいたことがわかった。大空を翔けることに力を注いだ男たちを知ると、偉業の有無にかかわらず、夢を追うことの美しさと大切さを教えてもらった気がした。