江戸時代

そもそも"吉田"じゃない!吉田松陰の名前は9つあった

雑学カンパニー編集部

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吉田松陰の名前は9つあったという雑学

「日本の教師といえばこの人!」と呼ぶに相応しい人物といえば、やっぱり吉田松陰(よしだしょういん)だろう。9歳にして明倫館(当時の大学)の師範を務めている時点ですでに異次元だし、伊藤博文や高杉晋作といった偉人に教えを説いた人物でもある。

そして何より「ペリーの黒船に忍び込もうとした」などのぶっ飛びエピソードからは、底知れぬ好奇心の持ち主だったことを物語っている。

そんな吉田松陰だが、これまた興味深いエピソードがある。彼はなんと呼び名を9つももっていたというのだ。

そんなに呼び名があったら、いざ自己紹介をされてもどれで呼べばいいのかわからないし、そもそも覚えられない…。いや、特定されないための作戦だったなんてこともあり得る…。これはいよいよ真相が気になる!

ということで、今回はそんな吉田松陰の名前に関する雑学に迫ってみた!

【歴史雑学】吉田松陰の名前は9つあった

秀吉くん
僕、『木下藤吉郎』とか『羽柴秀吉』とか5回くらい名前変わってるんっすよ!
信長さん
吉田松陰は、その生涯で全部で9つの名前を持っていたぞ。実際に本名が変わるタイミングもあったが、自分で考えた呼び名もたくさんあったんだそうだ。
秀吉くん
負けたっす…

【雑学解説】吉田松陰は幼い頃に養子になっている。そして二つ名を付けるのが好きだった

松陰は幼い頃に養子になっている。そして二つ名を付けるのが好きだった。というトリビア

吉田松陰の生まれ育った場所

吉田松陰が「松陰」という名前を名乗り出したのは、1851年ごろからの話。東北で遊学をするために脱藩する、20歳を超えたあたりからだ。つまりそれまでの20年ほどは、別の名前を名乗っていたことになる。

まず吉田松陰は元々の名字が「吉田」ではない。彼は長州藩士・杉百合之助(すぎゆりのすけ)の次男坊として生まれ「杉寅之助(すぎとらのすけ)」と名付けられている。

秀吉くん
けっこう勇ましい名前だったんっすね!

松陰には学びの才覚があったのだろう。5歳のころには、兵学師範をしていた叔父の吉田大助の養子となり、兵学を学び始める。

このときに名を「吉田大次郎(よしだだいじろう)」と改めている。そして同時に元の名の名残もあったのか、「寅次郎」という通称も付けられる。

中国文化からの影響…そして生涯に対する意気込みを表した吉田松陰

この先に本名が変わる出来事はないので、通常ならこれ以上呼び名が増えることはなさそうだが、吉田松陰はこの他にも自分で呼び名を付けた。

まずは「矩方(のりかた)」・「義卿(ぎけい)」というもの。中国には本名の他に諱(いみな)・字(あざな)と呼ばれる通称を付ける文化があったのだが、当時の日本の学者のあいだでは、それを真似るのがブームだったのだ。

他にも「生涯を通じて21回は偉業をやり遂げるぞ!」という自身の意気込みを表した「二十一回猛士(にじゅういっかいもうし)」という二つ名も自分で付けている。

信長さん
吉田松陰は志の高い人物だったんだな。
秀吉くん
それにしても、ちょっと安易すぎないっすか?

ここまで挙げた名前を数えてみると…

  • 吉田松陰
  • 杉寅之助
  • 吉田大次郎
  • 寅次郎
  • 矩方
  • 義卿
  • 二十一回猛士

…あれ? 7つしかない…と思わされるが、残りの二つは「虎之助」・「虎次郎」である。どういうことかというと、松陰の本名はしばしば「寅」の字ではなく「虎」の字で表されることがある。

どうやら松陰自身も「虎」という字のほうが気に入っていたようだ。「虎のほうが強そう!」といったところだろうか…。

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【追加雑学】]吉田松陰の二つ名・二十一回猛士の「21」の秘密

二十一回猛士の「21」は「杉」・「吉田」に共通する数字。についてのトリビア

松陰神社 吉田松陰像

吉田松陰が「21回の偉業をやり遂げるぞ!」といって「二十一回猛士」を名乗りだしたことを前項で触れた。しかしどうして21回なのだろうか。言っちゃ悪いが中途半端な数字である。

これには松陰の「杉」・「吉田」という名字がそれぞれ関係している。

まず「杉」という字を分解すると「十」・「八」・「三」という風に捉えることができる。そして「吉田」という字には「十」・「一」・「十」の文字が隠されているのだ。これを足すと、どちらも「二十一」になる。

松陰はここから「21」という数字を見出し、これを生涯の目標にしたのだ。杉家と吉田家、どちらにも思い入れがあったとみれる。

秀吉くん
漢字の中から数字を見つけ出すなんて、吉田松陰さんよっぽどヒマ…頭良かったんっすね!

吉田松陰が杉の姓を名乗っていたのは、生まれてからわずか5年だ。それでも、自分を産み育ててくれた両親への敬意に変わりはない…。そんな「二十一回猛士」の由来には、彼が優れた教師足り得た人柄を感じさせられる。

雑学まとめ

そもそも"吉田"じゃない!吉田松陰の名前は9つあった。についてのトリビア

松下村塾講義室

今回は、吉田松陰についての雑学を紹介した。吉田松陰は実際に本名が変わることもあったが、たくさんある呼び名のほとんどは自分自身で考えたものだ。その由来を辿ってみると、松陰には少年漫画に憧れる男の子のような…いわゆる中二病的な側面があったのではないか? と思わされる。

これは個人的には好感がもてる要素なのだが…こういう偉大な人をあんまり茶化すと怒られそうなので、この辺でやめておくことにしよう。

信長さん
猿、お前も調子乗って何回も改名したんだろ?自分で『日輪の子』って名乗ってた時もあったらしいじゃないか。
秀吉くん
あ!信長さん!!そのことについては触れないでくださいよ!僕の黒歴史なんっすから…。

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