たまたま見た雑誌の占いページや、朝のテレビ番組で見た今日の運勢に、なんとなく気分が左右されることはないだろうか。
占いを強く信じる人もいるだろう。なにかに迷ったときに、自分の見えない将来を占い、その結果で決断する…といったこともあるかもしれない。
占いは、卑弥呼の時代からすでに日本にあるそうで、平安時代には最盛期を迎えた。
平安時代の貴族のあいだで大流行し、なんと風呂に入る日まで占いで決めていたというのだ。風呂に入るか入らないか、占いで決めるとはどういうことだ? 平安貴族にとって、占いはどのような存在だったのだろうか。
今回は、平安貴族の驚きの日常についての雑学をご紹介しよう!
【歴史雑学】平安時代の貴族は占いで行動を決めていた
【雑学解説】平安貴族にとって欠かせない占い
平安時代、貴族のあいだでは占いで1日の行動を決めるのが日常だった。今のようにあらゆる情報を知ることができるわけでもない、科学的な知識もないころだ。特に病気・天候など、占いに頼って安心したかったのかもしれない。
平安貴族が、朝起きて真っ先に行うのが、占いだった。まず自分の星(星座のようなもの)の名前を7回唱える…。こうすることで、福を呼ぶと信じられていたらしい。
そして、神や仏にお祈りをし、占い書のようなものを見て、今日1日の行動を決めるのだという。
この占い書は、陰陽寮(おんみょうりょう)という組織が発行していた。陰陽寮は、簡単にいうと、天文観測をして暦・時刻を作成し、それに基づいて吉凶を占う陰陽師(今でいう占い師のようなもの)たちの集まりである。
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科学が発達していない時代に、陰陽師が占う吉兆は、この時代では心の支えにさえなっていたのだ。占いといっても、タブーや物忌み(ものいみ:一定期間、行動を慎むこと)が多かったようだ。
その驚きの内容をいくつか紹介しよう。
- 運勢の悪い日は仕事を休む(認められていた)
- 入浴は、縁起の良い日のみ
- 手のつめは丑の日に切り、足のつめは寅の日に切る
- 外出の方位も占いで決める
とにかく日常生活のほとんどが、占いによって縛られていたのだ。
仕事を休めるのはラッキーだし、つめぐらいいつ切ってもいいのだが、風呂は毎日入りたい…。なぜ縁起の良い日にしか風呂に入れないのだろう?
実は、縁起が悪い日に風呂に入り体の垢を落としてしまうと、毛穴から「邪悪な気」が入り込み、病気になると信じられていたかららしい…。
しかし、縁起の良い日は1週間に1度ペース。特に、十二単(じゅうにひとえ)のように何枚も着物を着こみ、顔はおしろいを塗りたくっていた女性は、垢まみれで悲惨だったのではないだろうか…。
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【追加雑学①】政治も占いに頼っていた
陰陽師が占う吉凶や、特に天文現象の変化は、政治に大きく影響を及ぼしていたようだ。
このころは、天変(空に起こる異変:暴風・雷など)は、天の警告だと信じられていた。ふだん起こらないような天文現象が起きると、「今の政治がダメだと天が怒っているぞ」と陰陽師がいうわけである…。
陰陽師の言葉は大きな影響力をもっており、たとえば、日食や彗星出現で、縁起が悪いからと実際に改元したこともあったそうだ。
【追加雑学②】庶民の方が清潔だった
平安貴族は運勢の良い日にしか風呂に入らなかったが、この時代の庶民は、わりと頻繁に水で体の汚れを洗い流したり、蒸し風呂(今でいうサウナのようなもの)に入って汗を流したりしていたようだ。
今の私たちの生活を基準に考えると、優雅な貴族ほど不潔で、庶民のほうが体を清潔にしていたのだ。
雑学まとめ
今回は、平安貴族の意外な日常についての雑学をご紹介した。雅な貴族たちが風呂に週に1度ほどしか入らなかったとは、衝撃だった。
この時代の貴族は、皮膚病にかかるものも多かったようだ。あんなに着込んで垢まみれでは、皮膚病になっても不思議ではないな…。ちなみに、この時代、お香が流行していたようだが、これは体や髪のにおいを消すためだったともいわれている。
そこまで占いにすがる気持ちはちょっと理解に苦しむが、今のように天気予報や科学的な知識もなかった時代の人たちにとって、心のよりどころだったようだ。