「赤ずきん」の大まかなストーリーはあなたもご存知だろう。
森の中のおばあちゃんのもとへ、おつかいに行く赤ずきん。しかし、オオカミがおばあちゃんと赤ずきんを食べてしまう…。偶然おばあちゃんの家を通りかかった猟師が、家の中でおばあちゃんの格好をして、イビキをかいて寝ているオオカミを見つける。
オオカミは猟師にやっつけられ、おなかの中からおばあちゃんと赤ずきんは助けられて、めでたしめでたし…というものだ。
しかし、今となってはハッピーエンドとなっている「赤ずきん」だが、もともとは全然違った結末なのをご存じだろうか? 今回は、そんな「赤ずきん」に関する雑学を紹介しよう。
【面白い雑学】原作の「赤ずきん」のあらすじは超バッドエンド
【雑学解説】原作の「赤ずきん」のあらすじとは?
「赤ずきん」が童話として初めて登場したのは、フランスの詩人であるシャルル・ペローの童話集だ。ペロー版の「赤ずきん」の話の流れは、以下のとおりである。
赤ずきんは、病気で寝ているおばあさんのもとへ行くため、森の中を進んでいた。そこにオオカミが現れる。
おばあさんのことを聞いたオオカミは、赤ずきんが到着するより早くおばあさんの所へ。そしておばあさんを食べて、おばあさんが着ていた服を着て赤ずきんを待った。
赤ずきんは変装したオオカミに気づかずに、家の中へ入ってしまう。そして、オオカミに食べられて、そこで話は終わりとなる。
この後に猟師などが助けに来ることもなく、赤ずきんとおばあさんが、オオカミのお腹の中から出ようとする場面もない。ペロー版では、赤ずきんとおばあさんはオオカミに食べられたままなのだ。なんというバッドエンド…!
原作「赤ずきん」の教訓は?
ペローの童話集は、童話のあとに教訓が入る。これは、ペロー童話集が貴族の婦人向けに作られた童話集だからだ。
「赤ずきん」での教訓は、
「品の良いお嬢さんがたは、赤ずきんのように誰とでも気安く話すものじゃない。その結果、オオカミに食べられても不思議ではない。オオカミといっても色々だが、どんなオオカミの中でも、優しそうに見える奴が1番危険だと心得なさい」
というもの。
ちなみに、現在のように「猟師が来て、赤ずきんたちが助かる」という流れを作ったのは、グリム兄弟。グリム兄弟が作ったハッピーエンドの「赤ずきん」が日本に伝わって、現代に伝わっているのだ。
グリム版「赤ずきん」は、食べられても最後は助かるので、メルヘン感がある。しかし、ペロー版「赤ずきん」は「食べられたらそのまま」と、とても現実的だ。同じ童話でも、全く違う結末を迎えるのは面白い。
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【追加雑学】「赤ずきん」の元となった民話はもっと残酷
ペローやグリムの童話として親しまれている「赤ずきん」だが、この話はペローやグリム兄弟がイチから考えた話ではない。
たいていの童話もそうなのだが、「赤ずきん」は民間伝承や民話をペローやグリムが親しみやすく脚色した話である。つまり、もととなった民話をペローが脚色し、その脚色されて伝わった「赤ずきん」をグリム兄弟がさらに脚色した…というわけだ。
さて、どうしてペローはもとの民話から脚色したのか…それは、もととなった民話が残酷だったからだ。
「赤ずきん」のもととなった民話のタイトルは、調べても分からなかったが、ほとんどペロー版の「赤ずきん」と流れは変わらない。しかし、ペローが脚色を加える理由となったのは、おばあさんがオオカミに食べられた後にある。
- おばあさんに化けたオオカミに騙されて、赤ずきんがおばあさんの肉と血を、干し肉とワインだと思って食べてしまう
- オオカミは赤ずきんを食べる直前、食べやすいように赤ずきんに服を脱いでもらう
雑学解説のところで少し説明したが、ペロー童話集は、もともと貴族の婦人向けに作られた童話集だ。ご婦人たちが読むものに、上記のようなシーンはとても載せられない…。そのため、ペローはこれらのシーンを削除したのだ。
ペロー版「赤ずきん」は、赤ずきんが食べられたままで終わるバッドエンドだが、もとの民話を考えれば、マイルドになった方だろう…。
「赤ずきん」の雑学まとめ
「赤ずきん」に関する雑学をご紹介してきたが、いかがだっただろうか。「赤ずきん」は、もともとオオカミに食べられたまま終わるというバッドエンドな童話だった。これは、当時「赤ずきん」を作ったペローが、「怖い存在もいる」という教訓を読み手に伝えるために作った展開だろう。
童話の結末はたいていハッピーエンドだが、こういう現実的な終わり方も悪くないと思えるのは、私だけだろうか?
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