今回の雑学テーマは、カルピスについて。ドリンクバーにも当たり前のように入っている、日本人で知らない人はいないであろう乳酸飲料である。
そんな我々が気軽に飲んでいるカルピスが発売されたのは、大正時代の頃と意外に昔のことなのだ。しかも、発売当初は滋養強壮を猛アピールした商品として販売されていたというから驚きである。
カルピスはどのような理由で世に誕生したのか、聞けばあなたもカルピスの見方が変わってくるはずである。というわけで今回は、カルピスについての雑学をご紹介しよう!
【面白い雑学】カルピスの歴史とは?
【雑学解説】カルピスはこうやって誕生した!
カルピスはカルピス社の創業者である三島海雲によって開発された乳酸飲料なのだが、開発のきっかけは、海雲が貿易商を営んでいた時代にモンゴルへ軍馬の調達へ行ったことから始まる。
モンゴルに滞在中、海雲は体調を崩してしまうが、現地の住民が用意した「ジョウヒ」という乳酸発酵させた飲み物を飲んだことで回復する。そう、このジョウヒこそが、カルピスのもとになった食品なのである。
ジョウヒの栄養素に注目した海雲は、日本へ帰国した後、同じような飲み物が作れないかと研究を始める。
大正時代、すでにヨーグルトなどの乳酸を使用した食品は出回ってはいたが、それ以上に美味しく、なにより病気に負けないジョウヒは絶対にヒットすると、海雲は考えたのだ。
研究の末ついに、ジョウヒに似た乳酸飲料に砂糖を加え、飲みやすくした「醍醐味(だいごみ)」というカルピスの前身となる製品を発売した。しかし、原材料が高いなどの理由で大量生産することができず、すぐに販売中止となってしまうのである。
超ロングセラー「カルピス」へ
それでも諦めずに研究を重ねていると、醍醐味の生産時に出る汁を発酵させ、砂糖を加えたものが美味しいことに気がつく。そして、海雲はその液体の改良を行ってゆく。
大正8年7月7日、当時の人々に不足気味であったカルシウムなども添加した、滋養強壮ドリンク「カルピス」が発売となったのである。カルピスの「カル」はカルシウムの「カル」なのだ。
発売後は乳酸菌ブームであったことや、美味しさなども評判となり、カルピスはあっという間に人気商品へ。現代でも人気が高い乳酸飲料として愛されているのである。
今では滋養強壮というのは少々大げさにも聞こえるかもしれないが、カルピスはたしかに、発売当初は健康をアピールした飲料製品として開発されたのだ。
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【追加雑学①】昔のカルピスの広告がヒドい【画像】
カルピスが滋養強壮目的で作られたということはわかっていただけたかと思うが、実は昔のカルピスの広告も、滋養強壮を強くプッシュした内容のものがとても多いのだ。
発売当初のキャッチフレーズは「初恋の味」。大正時代のあの頃には刺激が強い内容のようにも聞こえるが、それ以外にもインパクトが強い広告が多く作られた。
その他に、大正時代の人気子供雑誌「赤い鳥」の中に掲載された広告は、子供の目に入る広告のためか、漫画などを使ってわかりやすくカルピスの健康効果を説明したものが多い。
たとえば、記録が伸びない円盤投げの選手がカルピスを飲むと世界記録を更新したとか…
赤ちゃんにカルピスを飲ませたら急に大きくなってしまい、おばあちゃんが「もうおぶれません」と困ってしまう、などオーバーな表現が面白い。
さらに! その中でもさすがに誇大広告すぎやしないだろうか? という内容の広告もある。
ある男女(カル雄とピス子)が梅園へ行くも、まだ梅は咲いておらず、「仕方がないのでお湯で薄めたカルピスを飲んでいきましょう」と、瓶入りのカルピスを取り出す…。
すると梅の枝にカルピスの湯気があたり、梅が咲いたという展開に…。カル雄いわく「カルピスは精気をつける飲料だからな」だそう。梅園の親父はカルピスを梅に与えるようになったというトンデモ広告である!
いくらなんでも梅にカルピスを与えてはいけないような気がするが、この時代の広告は現代ではクレームが来そうな内容の広告が稀にあるのである。
時代を感じる広告内容であり、カルピスをいかに滋養強壮をアピールして売り出していたかが、伺える内容であった。
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【追加雑学②】カルピスは日本軍の補給品でもあった
みなさんはカルピス原液派だろうか? それともカルピスウォーター派だろうか? 筆者はむせるほど濃い目のカルピスが好きなので前者だ!
原液のメリットは好みの濃さで作れることにあると思いがちだが、実は、最大のメリットは他にある。原液のカルピスは高濃度なので、常温保存でも腐りにくいのだ。
そのため、カルピスは日本軍の補給物資でもあった。海軍では嗜好品だったラムネと違い、カルピスはれっきとした健康飲料!
戦闘中は大きなタライに大量に作り置き、誰でも好きに飲めるようにしていた。しかし、艦や戦闘状況によっては薄める水がないため、せっかく出されても原液のままで、かえって喉が渇いたとか…。そりゃそうだ…さすがの筆者も原液そのままは遠慮したい。
【追加雑学③】カルピスは海外では「カルピコ」
先ほどカルピスの「カル」はカルシウムであると記述したが、カルピスという名前は、元々お寺育ちだった海雲の発想なのだ。
いろいろ考えた末に仏教で味を意味する言葉の中から、孰酥(じゅくそ)のサンスクリット語である、「サルピス」からネーミングを借り「カルピス」と命名したという。
「カルピス」という言葉を考え付いた海雲は、言葉の専門家に語源的にどんなものかと意見を聞きたくなった。
そこで音声学の専門家として有名であった、「赤とんぼ」の作曲者でもある山田耕筰に意見を求めに行くと、「とても素晴らしい語感だ」と絶賛されたのであった。
しかしそんな可愛い名前のカルピス、海外では「カルピコ」という名前で販売されているという。それがまた、外国ならではの事情があってのことなのである。
「カルピス」という言葉を英語でいうとどうやら「COW(牛)PISS(おしっこ)」に聞こえてしまうらしいのだ…これは酷い。山田耕筰も絶賛できない…。そのようなことから、海外では「カルピコ」なのである。
カルピスの雑学まとめ
カルピスは発売当初、滋養強壮飲料だったという雑学をご紹介した。昔のカルピスは今のイメージとは違う商品に思える。
カルピス発売から4年後の大正12年に関東大震災が起こり、瓦礫の街となった東京に、海雲は冷たいカルピスをもって駆けつけたという。飲水に困り、住む家を失った人々は、カルピスを飲んで生きる力をもらったそうだ。
多少大げさな広告もありながら、実際には人々の健康のために真剣に考えられた飲み物なのである。みなさんも、カルピスを飲んでみて、海雲がどういう気持ちでこの飲み物を開発したのか、考えてみてはいかがだろうか。
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