大人にならない少年・ピーターパンが、ネバーランドを舞台に冒険を繰り広げる物語『ピーターパン』。空を自由に飛び回る無邪気な少年、それでいて勇敢という魅力的なキャラクターだ。
しかし…ピーターパンは現在のそのイメージと裏腹に、本当はけっこう闇が深い…。というか、ぶっちゃけ怖い。
ネバーランドに住んでいる子どもたちは歳を取らない。これって冷静に考えたらちょっと変だよね…?
単に「おとぎ話だから」と片付けることもできるが、ネバーランドの住人が大人にならない理由には、ある意味現実的ともいえる都市伝説がある。今回はピーターパンがちょっぴり怖くなってしまう、そんな雑学を紹介しよう。
【歴史雑学】本当は怖い「ピーターパン」
【雑学解説】ピーターパンは殺人鬼だった!?
永遠の少年・ピーターパン。彼が本当は恐ろしい殺人鬼だった…という都市伝説に触れる前に、この童話のあらすじをさらっとおさらいしておこう。
童話・『ピーターパン』のあらすじ
ロンドンに住むダーリング家の長女・ウェンディとその弟ふたりのもとに、ある日突然彼はやってくる。「以前忘れてしまった自分の影を取り戻しに」という、まるでおとぎ話のような理由を語りながら…。
そもそもウェンディはある日を境に、ピーターパンのおとぎ話を弟たちにするようになっており、父親から「妙な話を吹き込むんじゃない!」と、お仕置きで部屋に閉じ込められていた。彼はそんな最中、子どもたちの置かれた状況を知っていたかのようにやってきたのだ。
最初は驚いたウェンディたちも、ピーターパンが住む子どもだけの国・ネバーランドの話を聞くうち、とりこになってしまう。魔法をかけられ、空を飛べるようになった子どもたちは、そのままピーターパンの誘うままにネバーランドへ旅立っていく…。
こんな風に子どもたちを連れて行ってしまうピーターパンが実は殺人鬼だったって? だとしたらこのあらすじも、思いっきり誘拐なのだが…。
ネバーランドでは大人になると契約違反で殺される…?
ピーターパンが暮らすネバーランドには子どもしか住んでいない。童話ではこの理由に関して、まるで成長が止まってしまうかのような描写がされているが、原作ではちょっと事情が変わってくる。
なんと…子どもたちが大人になってしまうと、ピーターパンは「それ、契約違反っすよ」と言って、殺してしまうというのだ! 要するにネバーランドの住人は大人にならないのではなく、大人にならせてもらえないのである。
…ただの精神異常者じゃねえか…と、なるところだが、これはやっぱり都市伝説で、原作がかなり曲解されたものだ。
怖いピーターパンは言葉の微妙なニュアンスから生まれた誤解
ピーターパンの原作は、イギリスの作家ジェームズ・マシュー・バリーが1911年に発表した小説『ピーター・パンとウェンディ』だ。その内容を辿ると、たしかに子どもたちを殺していると誤解を生んでもおかしくない部分がある。
「子供たちが大人になったようなときには、それは規則違反なので、ピーターは彼らを間引いた」
…という趣旨の文章が登場するのだ。
"間引く"は、邪魔なものを排除するという意味だが、転じて"増えすぎたものを殺す"という意味にもなる。この微妙な言葉のニュアンスから、ピーターパンが殺人鬼などという誤解を生むことになってしまったのだ。
しかしちゃんと読めば"殺した"などとは一言も書かれていないし、単に大人になった子どもたちにネバーランドから出て行ってもらったのだと解釈できる。
日本人は文章に関して深読みしがちな民族だが、英語の表現は基本的にストレート。こういったギャップから、誤解の生れる表現に翻訳されてしまうことは珍しくないのだ。
まあ、解釈の問題というだけでこの翻訳も間違っているわけではないし、真意は知りようもないのだが…。
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【追加雑学①】ピーターパンは大人を憎んでいる
そもそもピーターパンはなぜ、子どもだけで暮らしているのか。
これは彼が大人に対してトラウマをもっているからだということが、原作で明らかになっている。母親に対する考え方に関して、ピーターパンとウェンディの意見が食い違う場面があるのだ。
ウェンディは母親のことを大切に思っていたが、ピーターパンはそうではない。彼はある種、母親に裏切られる形で孤児になってしまった経緯があるからだ。
ピーターパンは母親に裏切られてしまった?
まず、ピーターパンが親元を離れた理由は、生まれたその日に両親が彼の将来の話をしており、その内容に嫌気がさして「大人になんかなりたくない」と家を飛び出してしまったからである。
というか生まれたその日に両親の会話を理解できる時点でツッコミどころ満載だ。殺人鬼じゃなくても十分怖い。
ともあれ、ピーターパンはそこから家に戻ろうとしたこともあった。問題は戻ったときに直面した出来事だったのだ。なんと…母親の隣で自分とは別の、新しい子どもが寝ていたのである。
この経緯については、作者が1902年に発表した『小さな白い鳥』のなかでも触れられている。
こちらは生後1週間で自分は鳥であると勘違いしていたピーターが家から飛び立ってしまい、帰れなくなってしまったというストーリー。『ピーター・パンとウェンディ』で語られているものとは少し理由が変わっているが、新しい子どもができたという設定は引き継がれている。
こういったことからピーターパンは「大人はいつも自分を裏切る」と嫌悪感をもっているのだ。
私としては新しい子どもを大切にしているからといって、帰ってこないピーターパンを心配していないことにはならないと感じるのだが…。幼心には複雑なものがあったのだろうな…。
大人を嫌うピーターパンの行動
ピーターパンが大人を嫌っている描写は、作中でたびたび登場する。
印象深いのは第11章で"誰かが息をするたび大人が1人死ぬ"というネバーランドの伝承に基づき、ピーターパンが激しく息をする場面だ。その部分では…
「ピーターは執念深く、できるだけ速く大人たちを殺そうとしていた」
という、明らかに憎悪の念を感じさせる表現がされている。これは…殺人鬼と勘違いされても無理はないんじゃ…。
このほかにも以下のような、頑なに大人を嫌う描写が出てくるぞ。
- ウェンディたちが帰れないよう、先回りして家の窓に鍵をかける
- 結婚して子どもができたウェンディに激怒する
- ウェンディが帰ってからも年に1度はネバーランドに遊びに行く約束をしていたが、大人になってしまったので、代わりに娘のジェーンを連れて行くようになった
そしてこれもまた、原作のちょっと悲しい部分で、ピーターパンは大人が嫌いで、ずっと子どもでいたかったばかりに、最終的にひとりぼっちになってしまう。
普段の生活に戻らなければいけないと気付いたウェンディが、ネバーランドで暮らしていたほかの子どもたちも一緒にロンドンへと連れ帰ってしまうからだ。
結局、ネバーランドの生活をこのまま続けたいと思っていたのはピーターパンだけで、彼だけがネバーランドへと戻った。まあ…そうなるよね、という話ではあるが、彼が大人へのトラウマをもっていることを考えると、なんともやるせない気持ちになってしまう。
【追加雑学②】ピーターパンが大人にならないのはなぜ?
「大人になんかなりたくない」というピーターパンの心理はものすごく理解できる。仕事なんてせずにずっと遊んでいられたらそりゃあ楽だし、社会問題になったニートという言葉だって、そういう考え方をする大人が増えたことの象徴だ。
1983年にはアメリカの心理学者ダン・カイリーも、この大人になり切れない大人の心理状態を"ピーターパン症候群"と名付けて提唱している。大人になりたくない、ずっと遊んでいたい…というのは、現代よりずっと昔から問題視されていた価値観なのだ。
ただ…大人になりたくないと思ったとしても、実際に大人にならないことなんてできるはずもない。
しかし…それでもピーターパンはずっと子どもの姿のままだ。ウェンディが大人になっても、ピーターパンだけは子どものまま。実は若作りしたおっさんというオチでもない。彼だけが歳をとらない理由はいったいなんなのか…?
ピーターパンは子どもたちの想像のなかにしか存在しない
これはあくまで私の解釈だが、物語においてピーターパンは実在せず、子どもたちの想像のなかにしか存在しないのではないか。想像のなかの人物だから、歳を取らないということだ。
ピーターパンには、子どもたちの夢のなかにやってくるという設定がある。
ウェンディたちの夢にもたびたびやってきており、ある日、兄妹でも年長のウェンディにネバーランドの母親役をしてほしいという話の流れで、彼女は連れ出されることになるのだ。
これは「大人になりたくない」という感情を抱いた子どもたちが、ピーターパンと出会う夢を見ているということのように、私は感じる。
ウェンディやその弟たちは、大人になりたくない気持ちから、ピーターパンの夢を見るようになった。しかしネバーランドでの生活でいろんなことを経験し、大人にならなければいけない理由に気付く。
最後はロンドンの自宅に戻り、大人になったウェンディ。彼女に対してピーターパンは激怒するが、ウェンディは「私はもうネバーランドには行けないの」と言う。これは彼女の精神的な成長を表しているのではないか。
ピーターパンは子どもたちに"実際にずっと子どものままだとどうなってしまうのか"を示す夢。そう考えると作者が彼にネガティブなイメージをもたせたことも腑に落ちるものがある。
【追加雑学③】ネバーランドはけっこうおっかない世界
子どもだけの世界と聞くと、遊びにあふれた楽しい生活が思い浮かぶ。しかし、ネバーランドは決して楽しいことばかりではない。
海賊や現地の部族の争いごとが絶えず、ピーターパンたちは生き残るため、子どものうちから武器を取らなければならない。海賊に捕まれば恐ろしいのはいうまでもないが、現地の部族たちだって、ピーターパンの仲間の子どもたちを見つければ殺して頭の皮を剥いでしまうぐらい凶暴なのだ。
ピーターパンには、宿敵フック船長の右腕を切り落としたという設定があるが、彼が子どもであることを考えると、それもなかなかにおっかない…。
また妖精のティンカーベルには、ピーターパンが好きすぎてウェンディに焼きもちを焼き、隠れ家で待っている子どもたちに弓矢で彼女を暗殺するよう命じる場面がある。ネバーランドはまさに仲間も敵も関係なく、やったやられたの世界なのだ。
これもまた、「子どもで居続けるのはいいことばかりではないよ」という、作者の意図なのかも…?
【追加雑学④】原作ではウェンディの両親が悲しむ描写が如実に出てくる
原作のピーターパンでは、子どもで居続けることの身勝手さを表現する描写がまだまだ登場するぞ。
現代のピーターパンでは、ネバーランドの日々を通して成長していく子どもたちの様子だけが主に注目されている。一方で原作では、子どもたちが旅立ってしまったあと、悲しみに暮れる両親の姿が如実に描かれているのだ。
ピーターパンの話ばかりするウェンディをしかりつけてしまったことを後悔する父・ジョージと、子どもたちが帰ってくる夢を何度も見て、目が覚めては泣いている母・メアリー。
特に目を引くのがジョージの行動で、彼は子どもたちから愛犬のナナを取り上げてしまったことを悔やみ、その日からナナの犬小屋で生活するようになるのだ。会社に行くにも、馬車に犬小屋ごと積んでもらい、仕事を終えたらまた犬小屋ごと帰ってくる。
…完全に情緒不安定だが、そこはおとぎ話なのでつっこんではいけない。
両親の愛情深さを物語る場面として、子どもたちの養育費について真剣に相談し合っているシーンなんかも登場する。そういったダーリング家の日常を描いたシーンが、なんと前半3分の1ほどを占める割合で描かれるほどである。
こんな感じで、子どもたちの身勝手がいかに大人を困らせるかということが、原作のピーターパンでは痛々しいほどに表現されているのだ。そういう部分を見てもやはり、原作者の思う子どもへの教訓が詰め込まれた作品だと認識させられる。
愛犬のナナは乳母役
原作のダーリング家の様子を描いたシーンでは、愛犬ナナの扱いにもまた驚かされる。なんとダーリング夫妻は財政難で乳母を雇えなかったため、野良犬のナナを拾って子どもたちの乳母代わりにしているのだ。
乳母といわれると「え…? 子どもたちに母乳あげてたの?」と思わず想像してしまうが、そうではない。これは要するに子どもたちの世話係という意味である。
で、このナナが世話係としてはめっぽう優秀なのだ。
- 子どもたちをお風呂に入れる
- 幼稚園までの送り迎えをする(雨が降ると傘をくわえて持参)
- 来客があれば瞬時に子どもたちの髪をとかしたり、身なりを整えさせる
という感じ。これは余裕で忠犬ハチ公を超えている…。ウェンディがピーターパンの話ばかりしていたこともそうだが、父のジョージはこのナナの優秀さに自分の威厳を奪われることを嫉妬し、ナナを取り上げた面もあるのだ。
ていうか、やっぱその犬、マジでハンパないよ。
ピーターパンの雑学まとめ
ピーターパンが本当は殺人鬼だという雑学は、言葉の微妙なニュアンスから生まれた誤解ともいえ、あくまで都市伝説の域を出ないものだった。
曖昧な書かれ方がされている以上、ほんとのことはわからない。しかし子どもたちを殺しているなら、"殺した"という直接的な言葉が出てこないのはやっぱり不自然である。
とはいえピーターパンの抱く、大人になることへの嫌悪感が如実に描かれているのは事実だ。これに関しては闇が深いというか、ピーターパンって可哀想な子どもだよね…と、悲しい気持ちにさせられる。
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