日本には定番の「行事食」がある。暮れの年越しそば、お正月のお雑煮やおせち。小正月の七草がゆ。土用の丑の日にウナギを食べるのも有名だろうか。
そんな中、とうとつに聞こえてきた「七夕にそうめん」。筆者の地域ではそういった風習がなかったのでクエスチョンマークが出たのだが、7月7日は「七夕そうめん」が定番の地域もあるそうなのだ。
今では地域限定の行事食のようだが、調べてみたら由来はものすごく格が高い宮中行事だったから驚きだ。いったいなぜ、七夕にそうめんを食べる地域があるのだろうか?
今回の雑学では、この行事の由来について迫ってみる!
【食べ物雑学】七夕にそうめんを食べる地域がある
【雑学解説】今では東北や北海道に残っている風習
ここ最近、そうめん販売会社のアピールもあり、全国的に七夕そうめんが定番化しつつあるようだ。しかし、現代に残った地域としては東北や北海道が中心で、七夕まつりで有名な仙台では特に大切な行事食となっている。
そうめんの行事食としての歴史はたいへん古く、約1000年以上前から七夕の行事食にそうめんが用いられていたようである。七夕は季節の節目にあたる大切な「節句」。その節句ごとに行事食をお供えしたり食べることは、古来から格式高い宮中行事だった。
そのころ供えられていたのは今のようなそうめんではなく、そうめんのルーツにあたる「索餅(さくべい)」という食べものだ。中国伝来の揚げ菓子で、細長い小麦粉生地をねじったり編んで作られる。
中国ではこの索餅を七夕に食べると1年間無病息災でいられるという言い伝えがあり、日本でも宮中行事にそのまま取り入れたようだ。やがて索餅はそうめんへと変化し、江戸時代には親しい人たちのあいだでそうめんを贈り合う風習も定着した。
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どうして全国的にこの風習が残らなかったのか、はっきりした理由は見つからなかった。それでも天の川に見立てた涼しげなそうめんは、ここ最近行事食としてすっかり人気となり、全国的な復活をとげている。
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【追加雑学①】織物の上達を祈り、糸に見立てたそうめんを食べていた
そうめんを干している風景を見たことがあるだろうか? まるで白い糸がいっぱいにかけてあるような光景で、大きな機織り機に見えないこともない。
七夕は織姫と彦星が年に一度出会う行事でもあり、その織姫は機織りの名手だったことで知られている。このため、中国では七夕のことを「乞巧奠(きこうでん)」と呼び、女性が手芸や裁縫の上達を祈る行事でもあるようだ。
七夕にそうめんをお供えするのは、このそうめんを糸に見立てて、織姫のように機織りや手芸が上手になりますように…と祈るためでもあったらしい。
糸のほか、流れる天の川に見立ててそうめんを飾ることもよくあり、七夕そうめんは星型に型抜きしたハムや輪切りのオクラでかわいく盛り付けてある場合が多い。
【追加雑学②】五色の短冊、五色のそうめん
七夕まつりの本場仙台では、そうめんが野菜色素で染められて5色のカラフルな状態で出ることがある。七夕の歌にもあるが、「ごしきのたんざく~」というのにはちゃんと理由があるのだ。
そうめんのルーツである索餅(さくべい)も、乞巧奠(きこうでん)も元々中国の影響を強く受けている。
そんな中国では、「陰陽五行説」という考え方が中心とされている。この世のすべての事象は「木・火・土・金・水」という5つの要素で成り立っているという考えで、この5要素それぞれに「青・赤・黄・白・黒」の色が配当されているのだ。
このため、七夕の笹に飾る願い事を書いた短冊(たんざく)は「五色の短冊」。古来からの行事食であるそうめんもこの陰陽五行説の影響を強く受け、五色なのだそうだ。
そうめんと「走男」をかけちゃった!? 斬新すぎるリレーの動画が爆笑もの!
長崎県南島原市は、そうめんの生産量が全国2位。そんな南島原がそうめんのアピールのために始めた七夕マラソンが「走男」…と書いてソーメンである。
雑学まとめ
今回の雑学はいかがだっただろうか。いつのまにか、7月7日は「そうめんの日」に認定されていたようだ。おいしいし見た目も七夕むきだし、なによりもともと宮中行事。これからは毎年そうめんを食べるようにしよう。
それにしても、走る男にそうめんをかけた南島原のセンスには脱帽である。七夕にそうめんを食べる風習が生き残っていたのが東北中心の中、必死にアピールした長崎県に拍手を送りたい。
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