アスリートの誰もが目指すものといえば、五輪でメダルを獲得することだろう。
1つでもメダルをとれば人生が変わるほどの成功であるが、五輪史上、陸上競技において1つの大会で4つのメダルを獲得した選手がいる。その選手とは、ジェシー・オーエンスとカール・ルイスの2人。
この2人のアメリカ人選手は、ともに100M・200M・走り幅跳び・4×100Mリレーの4種目で金メダルを獲得しているのだ。
そのうちの1人、カール・ルイスの4冠達成は1984年のロサンゼルス大会のことであり、テレビでその活躍を観た方も多いだろう。
しかし、もう1人のジェシー・オーエンスが参加したのは1936年のベルリン大会であり、まだテレビ中継が普及していない時代のことである。
そこで今回の雑学では、ジェシー・オーエンスの活躍を中心に、2人の4冠選手の偉業を解説していきたい。
【オリンピック雑学】五輪の陸上4冠を獲得したのは誰?
【雑学解説】五輪で初めて陸上4冠を達成したジェシー・オーエンスとは?
先ほども述べたが、ジェシー・オーエンスが参加したのは1936年のベルリン大会。
ジェシー・オーエンスは、大会の前年1935年に、たった45分間で3種目の世界新記録と1種目の世界タイ記録を叩き出すという偉業を達成しており、五輪での活躍に期待が高まっていた。
しかし、この大会は1933年に台頭してきたアドルフ・ヒトラー率いるナチス政権によって開催されたものであり、ナチスの権力を世界中にアピールするためのプロパガンダ的な意味合いをもつ五輪だったのだ。
そして、当時のナチスはユダヤ人迫害などの人種差別的な政策を掲げており、それに反発したアメリカやイギリスなどの国が参加をボイコットする可能性もあったという。
そのため、ジェシー・オーエンスのベルリン大会出場に黄色信号が灯ったが、最終的にナチスは五輪期間中はユダヤ人迫害政策を緩和することとなり、アメリカも参加することとなった。
ベルリン大会に出場したジェシー・オーエンスは、3日間で100M・200M・走り幅跳びの3種目で金メダルを獲得すると、当初出場予定のなかった4×100Mリレーにも出場し、史上初となる陸上競技の4冠達成という偉業を成し遂げている。
これがそのときのジェシー・オーエンスの姿だ。観客は偉業達成にとても盛り上がっているのがわかるだろう。
しかし、先ほども述べたように、この大会はナチスによる国威発揚が大きな目的であり、ドイツ民族の優秀性を示す必要があった。
そのため、本来金メダルを授与するはずのヒトラーは、黒人選手であるジェシー・オーエンスの前に姿を表さなかったという。
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不遇なジェシー・オーエンス
4つの金メダルを胸にアメリカに帰国したジェシー・オーエンスは、アメリカ中から大絶賛され、その後の成功も約束されていた…というわけではない。
当時のアメリカは黒人差別が激しく、彼の名声にふさわしい仕事などを得ることができなかったのだ。そのため、お金に困った彼は馬との競争という見世物的なオファーなどを受けざるを得えなかったらしい。
その後、第二次世界大戦で五輪の開催が中止となった影響などもあり、ジェシー・オーエンスの偉業と存在は一時忘れ去られてしまう。
しかし、アメリカ国内で公民権運動の高まりなどにより黒人差別が薄くなると、ジェシー・オーエンスの業績は再評価されることとなった。
ベルリン大会の40年後となる1976年に大統領自由勲章を授与され、彼の名誉は回復されたのである。
このように波乱万丈だったジェシー・オーエンスの生涯は、映画にもなっている。
ジェシー・オーエンスの偉業についてもっと知りたい方は、ぜひこの映画を御覧いただきたい。
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【追加雑学】カール・ルイスの偉大なる記録
さて、もう1人の陸上競技4冠の達成者カール・ルイスについて語っていきたい。
カール・ルイスが4冠達成した1984年のロサンゼルス大会は、テレビ放映権やスポンサーからの協賛金を潤沢に利用した「商業五輪」への転換期となった大会であり、開会式の派手な演出などもあって世界中の注目を集めていた。
1983年の世界陸上で100M・走り幅跳び・4×100Mリレーの3種目を制覇し、全米のスター選手となっていたカール・ルイスは、地元開催の今大会でも圧倒的な強さを見せつけて、100M・200M・走り幅跳び・4×100Mリレーの4冠を達成。
ジェシー・オーエンス以来となる48年ぶりの陸上競技4冠に、全米が歓喜したのである。そして、これがカール・ルイスの4冠達成の動画だ。
そして、カール・ルイスのさらなる偉業は、ロサンゼルス大会だけでは終わらない。
1988年のソウル五輪では、100Mでライバルのベン・ジョンソン(カナダ)に破れたものの、のちにベン・ジョンソンのドーピングが発覚したことで、繰り上げで金メダルを獲得。
同大会では、100Mに加えて、走り幅跳びで金メダル、200Mで銀メダルを獲得しており、ロサンゼルス大会に続き、陸上界のスーパースターとしての実力を見せつけた。
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そして、1992年のバルセロナ大会でも走幅跳と4×100mリレーの2冠を達成すると、35歳で参加した1996年のアトランタ五輪でも走り幅跳びで金メダルを獲得し、走り幅跳びにおいて個人種目4連覇の偉業を達成したのだ。
ちなみに、夏季五輪において個人種目4連覇を達成しているのは、カール・ルイスのほかには、アル・オーター(男子円盤投げ・アメリカ)・マイケル・フェルプス(男子競泳・アメリカ)・伊調馨(女子レスリング・日本)だけである。
なお、カール・ルイスはアメリカがボイコットで参加しなかった1980年のモスクワ大会にも走り幅跳びの選手として選考されており、もし出場していたら前人未到の夏季五輪5連覇を達成していたかもしれない!?
雑学まとめ
ジェシー・オーエンスとカール・ルイスについての雑学、いかがだっただろうか。
当時の世界情勢の影響で、ベルリン大会のみの活躍だったジェシー・オーエンスと、長期に渡って陸上界のスーパースターとして君臨したカール・ルイス。
同じように五輪4冠を達成したアメリカの黒人選手の2人ではあるが、その華やかさはまったく異なっていたようだ。
21世紀の陸上界では、100Mで圧倒的な強さを見せたウサイン・ボルトが目立つものの、走り幅跳びには出場しておらず、2人がいかに総合力で優れた選手だったのかがわかるだろう。
今後、2人のようにオールマイティーな運動能力をもつアスリートが出現し、五輪の舞台で活躍してくれることを期待したいものである。