特許とは、何か高度な発明を成し遂げたり、アイデアを思いついたときに、他の人に真似されないよう自分だけが使えるものとして権利化する制度のこと。
2017年の特許出願件数は世界で約317万件にのぼり、国別に見ると、日本が件数ランキング3位につけている。そんな特許大国ともいえる我が国日本において、最初に特許を取得したのは誰なのか気になりやしないだろうか?
気にならないと言われたらそれまでだが、いろいろと調べてみたのでぜひ気になっていただきたい! ということで今回の雑学では、日本での最初の特許について解説していくぞ!
【ルール雑学】日本で最初の特許は?
【雑学解説】日本で最初の特許は明治18年の「堀田式錆止塗料とその塗法」
日本で最初の特許は、芸術家の堀田瑞松が取得した「堀田式錆止塗料とその塗法」という特許だ。この特許は明治18年7月1日に出願され、その約一カ月半後の明治18年8月14日に取得となった。
このことから、8月14日は日本で最初に特許が付与された日として「専売特許の日」という記念日になっている。
ちなみに、彼が日本で最初の特許取得となったのは、当時の日本では、まだ特許という制度が始まって間もなかったためである。
アメリカ・フランス・ドイツなど、近代国家を形成した各国が特許法を作りだしたのを目にした日本は、自らも近代国家を目指すため、特許の仕組みを取り入れたのだ。
気になるのはこの日本最初の特許の発明内容だが、一言で言えば、船のさび止めの発明だ。「船のさび止めってそんなにすごいの?」という声が聞こえてきそうだが、堀田さんが発明した塗料によって、当時の世の中は非常に便利になったという。
日本で最初の特許が船のさび止め…ってなぜ?
貨物方法というと、今では電車や飛行機などの手段が考えられるが、当時は船による輸送しか方法がなかった。
しかし、当時の船に用いられた塗料はあまり長持ちするものではなく、半年に一度は塗り直しが必要だったのだ。
塗り直している間は当然のことながら船は稼働できないため、不便で仕方なかった。船による輸送は時間がかかるので、ただでさえ不便だというのに…。
ということで、日本のお偉いさんたちは「もっと長持ちする塗料はないだろうか」と困り果てていた。
この話を聞きつけたのが、今回の主役、堀田瑞松。彼は鞘に漆を塗って刀を仕上げる鞘塗師の息子で「船に漆を塗ればいい塗料になるのではないか!?」という案を思いつく。実際に漆を船の塗料に使ってみると、耐久性と防錆力(ぼうせいりょく)に優れた塗料が完成!
発明した塗料は海軍の船にも実用化され、「俺、もしかしてすごい発明したんじゃね!?」と思った掘田さんは、自分の名前を後世に残すために特許を出願したのだ。
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【追加雑学】あの所ジョージは特許を持っている!
日本第一号の次は、特許を持っている有名人についても紹介しておこう。
あの人気司会者「所ジョージ」は、実は特許を持っているという!
所ジョージは趣味のゴルフがこうじて、ビートたけしと共同で「アイアンクラブヘッド」という、パットをまっすぐ打てるゴルフクラブを開発した。このゴルフクラブはのちに「T×Tパラレルハンマーアイアン」として商品化されることとなり、こちらの商品で特許を取得しているのだ。
タレント以外にもマルチな才能を発揮している所さんだが、まさか特許まで取得しているとは驚きだ! とてもすごい人物でありながら、そのすごさを感じさせない自然さが素晴らしいなと感じさせる…。
そんな所さんが人生哲学を語っている動画を見つけたので、ぜひご覧いただきたい。
「あの時のほうが良かったというなら、今生きてる意味はない」という言葉が、胸にグサッと刺さる…。
雑学まとめ
いかがだっただろうか。日本で最初の特許は、芸術家の堀田瑞松が明治18年に申請した、錆びずに長持ちする船の塗料の発明だった。
日本最初の特許にしては、地味な内容の発明に感じる。しかし当時の日本では、長持ちする船の塗料をとっても欲していたので、社会的には非常に有意義な発明だったのである。
刀鞘師の息子という境遇が、漆を船の塗料に使うというアイデアを生み出したのだ。自分の持っているスキルがどんな場面で生きるのかわからないという、人生の楽しさを教えてくれる雑学だったのではないだろうか。
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