第一次世界大戦といえば、誰もが知っている歴史的大事件だ。
しかし、この戦争の原因はなんだろう? サラエヴォ事件から始まったと習うけれど、サラエヴォ事件ってどんな事件だろうか?
というわけで、今回は知っていて損はない世界史の雑学を紹介するぞ。
【歴史雑学】第一次世界大戦は「たった一つの銃弾」から始まった
【雑学解説】第一次世界大戦のきっかけは、皇位継承者を暗殺した一発の銃弾
ヨーロッパ諸国を中心に世界中を巻き込んだ第一次世界大戦は、セルビア人の少年ガブリロ・プリンツィプが放った一発の銃弾から始まった。彼がオーストリア=ハンガリー帝国の皇位継承者を銃殺したことで、オーストリアがセルビアに宣戦布告し、第一次世界大戦が勃発した。
この銃殺がいわゆる「サラエヴォ事件」というわけだ。せっかくなので、少しこの暗殺劇の様子をのぞいてみよう。
暗殺のあった1914年6月28日は、晴れた日曜日だったという。オーストリア=ハンガリー帝国の皇位継承者フランツ・フェルディナンド大公とその妻ゾフィーは、併合したばかりのボスニアの首都サラエヴォを訪問していた。
市庁舎での演説を終えた大公たちは、軍用病院へ兵士たちを見舞いに行くため、オープンカーで出発したという。しかし、あろうことか、運転手が道を間違えたのだ! 道を戻るために運転手は車をとめたが、そこにはプリンツィプが待ち構えていた…。
世界史学者マーガレット・マクミランの『平和を終わらせた戦争(原題:The War that Ended Peace)』(2013年)によると、プリンツィプは大公の車によじ登り、至近距離から大公夫妻を撃ったという。プリンツィプは最初の銃弾で大公に致命傷を負わせ、2発目で夫人の命を奪った。
この暗殺事件から1ヶ月後、オーストリアはセルビアに宣戦布告。第一次世界大戦が始まった。
オーストリア=ハンガリー帝国の皇位継承者という重要人物を死に追いやった一発の弾丸が、世界を巻き込む国家間の戦争を招いたのだ。
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【追加雑学①】「ヨーロッパの火薬庫」に火がついた?
では、なぜオーストリアとセルビアの戦争であったはずの戦いが世界大戦になってしまったのだろう?
その理由は、この暗殺が起きた場所にあるらしい。暗殺事件のあったボスニアも暗殺者プリンツィプの故郷セルビアもバルカン半島にある。
実はこの半島、様々な民族がおり、多くの周辺国家が利害関係をもつ「ヨーロッパの火薬庫」! バルカン半島で何か事件が起きれば、まるで火薬庫に火がついて爆発するように、大ごとになるといわれていた。
結果としてオーストリアの宣戦布告後、民族的背景を共有する国、そして参戦国の同盟国が芋づる式に参戦し、オーストリアとセルビアの2国間の問題は世界を巻き込む争いになった。
【追加雑学②】実行犯プリンツィプは捕まった後、死刑にならなかった?
暗殺者プリンツィプは、1894年7月25日生まれ。皇太子夫妻を暗殺したとき、彼はまだ19歳だった。
未成年のプリンツィプは死刑を免れ、20年の禁固刑を言い渡された。当時の法律では、死刑は20歳以上の者にしか宣告できないと定められていたのだ! 結局プリンツィプは、23歳のとき、獄中で病死した。第一次世界大戦の終わる7ヶ月ほど前のことだった。
雑学まとめ
今回は有名な第一次世界大戦の原因についての雑学を紹介した。ひとりの青年の放った小さな銃弾が大きな世界大戦につながったということが分かった。
関わった人物の身分、事件の起きた国、そしてその国を取りまく状況の偶然の取り合わせが、予想を超えて、世界をひとつの戦いに巻き込んでいった。ひょっとすると普段耳にしているニュースや事件も、未来に語られる大事件に繋がっているのかもしれない。
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