スポーツの試合は、当然ながら競技の規則をもとに開催されている。だが、ルールはそれぞれのケースによって詳細に定められているため、長年にわたり試合を見続けてきたファンでさえも、ときに混乱するケースがある。
たとえば、野球の規則にある「第3アウトの置き換え」はどうだろうか。このルールは、守備チームが3アウトを取った後でも、審判にアピールさえすれば、4つ目のアウトを取ることができるのだ。
この記事では、野球の試合において、ときに4つのアウトをとって交代となる雑学をご紹介する。
【スポーツ雑学】野球にはアウトを4つ取らなければいけない「第3アウトの置き換え」がある
【雑学解説】野球のルール「第3アウトの置き換え」はややこしい
野球のルールでは、3つのアウトで攻守が交代する決まりになっている。だが、ときに4つのアウトで攻守が交代するケースもあるのだ。それが「第3アウトの置き換え」と呼ばれるものである。
「第3アウトの置き換え」とは、1イニングに3つアウトを取った後、さらに守備側のチームが審判にアピールした場合、さらに4つ目のアウトを重ねることができるプレイのことをいう。
実は4つ目のアウトを取ることによって、いったん認められた攻撃チームの得点を無効にできるケースがあるのだ。実際のケースを見ていこう。まずは下の動画をご覧いただきたい。
2分過ぎから始まる試合のシチュエーションに即して解説していこう。
このケースでは、1アウト、2・3塁。バッターはライト方向にフライを放つものの、ライトがボールをかろうじてキャッチした。この時点で2アウト。これを見て、3塁ランナーは、タッチアップしてホームへ生還。攻撃側のチームは1点をもぎ取る。
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続けて2塁ランナーもホームへ生還していたが、ランナーはライトがボールを捕球した際、2塁ベースに帰塁せずに走り出していたので、守備チームは2塁へボールを送球して、3アウトが成立した。
この場合、通常であれば攻撃チームが取った1点は認められることになる。だが、ホームにタッチアップした3塁ランナーも、ライトが捕球する前に走り出していたことを確認していた守備チームは、3塁にボールを送球して、アピールプレイをおこなった。
このアピールが審判に認められて、4つ目のアウトが成立。野球のルールでは4つ目のアウトは認められていないので、3つ目のアウトは、守備チームがアピールした4つ目のアウトに置き換えられることになる。
結果的に、攻撃チームは無得点で終えることになったのだ。だが、もし守備チームが、4つ目のアウトを審判にアピールしなければ、攻撃チームの1点は認められていたことになる。
このアピールプレイは、守備チームの選手たちが競技場を去ったり、ベンチへ戻る前に審判にアピールをしなければ、その権利が失効する決まりがあるのだ。
ややこしいルールだが、実際のグランドで起こった際、平然とアピールできる選手もさることながら、ルールをもとに毅然としたジャッジをくだせる審判も、あらためてスゴイ! 筆者だったら間違いなく混乱しているだろう。
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【追加トリビア】なぜ投手と捕手の距離は18.44メートルなのか?
つぎに、素朴な野球ルールのトリビアをご紹介しよう。野球のルールでは、ピッチャーとキャッチャーの距離は、18.44メートルと決められている。ところで、なぜ18.44メートルなどと中途半端な距離に定められたのだろうか?
ご存知の方もおられるだろうが、アメリカでは日本と異なり、単位は「フィート」や「インチ」が採用されている。
ちなみに、1フィートは305ミリメートル、1インチは25.4ミリメートルとなる。さて、投手と捕手の距離となる18.44メートルを、フィートに換算すると、60フィート6インチとなる。
やはり、どこか中途半端な距離ではないだろうか。実は微妙な距離に定められた背景には、こんな逸話があったからである。
アメリカにおいて、捕手と投手との距離間を60.00フィートと定めていたが、どういうわけか、この数字がインクの滲みによって、60.60フィートと誤って印刷されてしまい、訂正されないまま、公式のルールとして採用された経緯があったのだ。
つまり、表記ミスによって、中途半端な距離に設定されてしまったのだ。ということは、本来は18メートルが正しい距離だったことになる。
仮に、本来の18メートルの距離間で試合がおこなわれていれば、各国の野球史は現在とはまた違ったものになっていたかもしれない。人的ミスから現行の野球のルールが定められたとは、驚くばかりである。
トリビアまとめ
以上、第3アウトの置き換えと、野球で定められた投手と捕手との距離にまつわる雑学をご紹介してきた。
スポーツ競技の要となるルール。選手たちや審判は試合中、瞬時の判断で最適なプレーを選択し、かつそのプレーに判断を下さなければならない。
スポーツ選手は身体能力や技術はもとより、さまざまなシチュエーションに応じた判断や最善のプレーが要求されるのだ。あらためて、選手や審判たちの凄さを思い知らされる。