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大所帯のバンド!"CHAGE and ASKA"はもともと7人組

雑学カンパニー編集部

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「CHAGE and ASKA」はもともと7人組だったという雑学

1990年代に「SAY YES」や「YAH YAH YAH」など数多くのヒット曲を送り出し、絶大な人気を誇った音楽デュオ「CHAGE and ASKA」ことチャゲアス。2009年以降は、さまざまなトラブルなどもあって活動休止の状態が続いているが、いまでも根強い人気を誇る音楽デュオだ。

1979年のプロデビューから、長い期間2人組で活躍してきたチャゲアスだが、アマチュア時代は2人組ではなかったことをご存知だろうか?

いやいや、SMAPだって6人組が5人になってるし、1人や2人メンバーが増えたり減ったりするのはよくある話なんじゃないの…と思う方もいるかもしれないが、チャゲアスの場合は、ちょっとすごい。なんと、アマチュア時代のチャゲアスは7人編成のバンドだったのだ!

7人組のバンドが、なぜCHAGEとASKAの2人だけとなったのか? 今回はアマチュア時代のチャゲアスや、その後のメンバーについての雑学を紹介していくぞ。

【サブカル雑学】「CHAGE and ASKA」はもともと7人組だった!

ひかり
ゆいちゃん、『CHAGE and ASKA』ってデビュー前は7人組でコンテストに出場していたことがあるんだって~!
ゆい
…つまり、『CHAGE and ASKA プラス ゆかいな仲間たち』だったってことですの?
ひかり
いや、残りのメンバーがゆかいな仲間かどうかは知らないけど…

【雑学解説】アマチュア時代のチャゲアスについて

アマチュア時代のチャゲアスについてのトリビア

高校・大学と友人だったCHAGEとASKAだが、第一経済大学在学中は別々に音楽活動をしていたそうだ。

そして、1978年(昭和53年)に当時ヤマハが主催していた音楽コンテスト「ヤマハポピュラーソングコンテスト(通称「ポプコン」)」の福岡大会CHAGEがグランプリを獲得し、九州大会へと進む際に、ヤマハのディレクターからASKAとデュオを組むようにアドバイスされたという。

その後、大学の同窓生や後輩などと7人組バンド「チャゲと飛鳥」を結成し、翌1979年(昭和54年)の第16回ポプコンでは全国大会である「つま恋本選会」へと進出した。

そして、1980年(昭和55年)の第17回ポプコンでも、つま恋本選会に進んだチャゲと飛鳥。

ひかり
コレがそのときの音源だよっ!

実はこのとき、ASKAはサビの部分を間違えて歌ってしまったためにCHAGEがハモれず、それが原因で入賞止まりとなってしまったとのこと。しかし、グランプリを獲得することはできなかったものの、CHAGEとASKAにはプロデビューの話が届いたそうだ。

しかし、プロデビューの条件として提示されたのは、CHAGEとASKAの2人だけで活動するというもの。この条件について2人はかなり悩み、すったもんだもあったようだが、最終的にはほかの5人の了承を得てデビューすることになったのである。

ゆい
つまり、CHAGEとASKA以外のメンバーはプロデビューするうえでは邪魔だったってことなんですわね?
ひかり
ゆいちゃん、いくらなんでもズバッと言いすぎ!!

そして、デビューが決まった1979年(昭和54年)の第18回ポプコンにチャゲと飛鳥はゲスト出演しており、これが7人組編成としては最後の活動となった。

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【追加雑学】「チャゲ&飛鳥」メンバーの意外なその後

ここまで、アマチュア時代のチャゲアスについて語ってきたが、ChageとASKA以外の「チャゲ&飛鳥」のメンバーはどうなったのか気になる人もいるだろう。

かつて、テレビ番組でチャゲアスが7人編成時代のメンバーと再会することもあったが、そのときの様子がコチラである。

 

ひかり
アマチュア時代に一緒にがんばった仲間との再会、きっとうれしかっただろうな~!

若くして交通事故で亡くなったメンバーもいるなど、プロとして音楽活動をしているメンバーはほとんどいないようだが、このなかに意外な形で表舞台に立ってるメンバーがいたのである。

そのメンバーとは、西田和昭。彼は第一経済大学でCHAGEとASKAと同窓であり、おもにパントマイムをやっていたようだ。

西田和昭は、チャゲと飛鳥を出たあとに海外を放浪し、帰国後に突然お笑いに目覚めたとのこと。そして、お笑いコンビ「ゆーとぴあ」の弟子となると「コント・ぼん&正月」を結成し、「ぼんちゃん」の愛称でお笑い芸人としての活動を始めたのだ。

ちなみに、西田和昭は何度か相方を変えており、その1人にチャゲと飛鳥でベースを担当した田口もいたという。

そして、テレビのオーディション番組「お笑いスター誕生」に出場した際、審査員の水野晴郎に映画好きをアピールしたことがキッカケで「水野晴郎の付き人」として活躍することとなる。

その結果、水野晴郎が監督を務めた迷作映画「シベリア超特急」シリーズでは「佐伯大尉」としてレギュラー出演するなど、俳優としての活動も行なっているのだ。

ゆい
バンドメンバーからお笑い芸人、付き人を経て俳優…なかなかユニークな経歴ですわね。

「シベリア超特急」に深く関わった西田和昭は、水野晴郎の死後に自ら脚本・監督で「シベリア超特急」の新作を作ると発表したものの、残念ながら実現していない

その後、2018年には投資詐欺の疑いでメディアを騒がせると、西田和昭が表舞台には出てくることはなくなったようである。

意外な接点で繋がった、チャゲアスと「シベリア超特急」。さまざなトラブルがなければ、「シベリア超特急」の主題歌をチャゲアスが担当する…という夢の? コラボが実現していたかもしれない!?

ゆい
ちなみに西田さんは2020年からはYouTuber活動を開始させているそうですわよ。
ひかり
じゃあ今は復帰してるってこと?それは良かった!

雑学まとめ

大所帯のバンド!"CHAGE and ASKA"はもともと7人組についての雑学まとめ

今回は「CHAGE and ASKA」についての雑学を紹介した。

息の長い人気を誇るチャゲアスだが、アマチュア時代の活躍については詳しく知らなかった方も多いのではないだろうか?

それにしても、チャゲアスにASKA以外にもお騒がせメンバーがいたなんて…。最近はトラブルが多いイメージのチャゲアスだが、根強いファンが多く、実力もあるデュオだけに、いつの日か活動再開される日がくることを祈るばかりである。

ゆい
2019年にはASKAさんが『CHAGE and ASKA』脱退を発表してしまいましたけど、また2人で一緒に活動してほしいですわね。
ひかり
ホント、また復活してほしいよ!

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