映画の草創期において、数々の傑作映画を世に送り出したチャールズ・チャップリン。バスター・キートン、ハロルド・ロイドとともに、「世界の3大喜劇王」の1人に数えられる映画監督(俳優)である。
ハリウッドで映画を製作したことから、アメリカのイメージが強いチャップリンだが、彼は21歳のとき、アメリカに渡ったイギリス生まれの映画監督・俳優である。彼は異国の地でアメリカン・ドリームを体現した人物でもある。
だが、大きな成功をおさめた彼の地位を利用して、ひと山儲けようと悪だくみした人物がいたことをご存知だろうか。そう、チャップリンは死後に営利目的で誘拐されたのである。今回は、喜劇王・チャップリンの驚きの雑学をご紹介しよう!
【歴史雑学】チャップリンは亡くなってから誘拐されたことがある
【雑学解説】完璧主義者で知られた、喜劇王・チャップリン
映画の第1線から身を退いた後、チャップリンはスイス西部の村で家族とともに晩年を過ごしていた。1977年、クリスマスの日の朝、数々の名作映画を世に送り出した喜劇王・チャップリンは、スイス西部の自宅で88歳の生涯をとじた。
しかし、彼は死後、数奇な運命にさらされることになる。世を去った約2ヶ月後、チャップリンの遺体を収めた棺は、何者かによって墓地から盗まれてしまったのである。
数日後、夫人の元に犯人から身代金を要求する電話がかかってきた。犯人が要求した金額は、現在に換算すると、1億円にも上るものだったという。しかし事件は、意外にもあっさりと解決する。
犯人がふたたび脅迫電話をかけようとしたところを、巡回中の警察に見つかり、あっさり御用となったのである。犯人は近所に住むブリガリア人国籍とポーランド国籍の2人組の男だった。
犯人は逮捕されたものの、肝心のチャップリンの遺体を収めた棺は、しばらくのあいだ発見されなかった。というのも、チャップリンの映画よろしく、犯人が棺を隠した場所を思い出せなかったからだった。
棺は2か月後に発見された。盗難された墓地から約20キロ離れた湖畔の畑に置かれていたのだ。喜劇王・チャップリンといえども、この奇妙奇天烈な筋書きは、彼にも書けなかったに違いない。
事実は小説よりも奇なり。それを地でいく逸話である。なお、この遺体盗難事件は、『チャップリンからの贈りもの』として映画化されている。
映画には、チャップリンが埋葬された墓地や実際の邸宅が登場するほか、チャップリンの孫娘や息子も出演している。興味のある方は、ぜひ映画をご覧いただきたい。
スポンサーリンク
【追加雑学①】チャップリンは映画のワンシーンに1年以上もの歳月を費やしたことがある
チャップリンは、自らが納得するまでカメラをまわし続けた、完璧主義の監督として知られている。特に有名なエピソードが、1931年に公開された『街の灯』の撮影時のエピソードである。
『街の灯』は、チャップリン扮する浮浪者の男と、盲目の花売りの娘との関係を描くヒューマンタッチの映画である。作中には浮浪者の男と花売り娘とが出会う、わずか3分ほどのシーンが登場する。
チャップリンはこの男女の出会いのシーンを、342回も撮り直したとされる。映画全体の撮影日数からすれば、同シーンはその半分以上にあたる約1年の歳月が費やされている。
一説には、主演をつとめた女優との相性が悪く、チャップリンが彼女の演技を気に入らなかったことに原因があるといわれている。彼がいかに完璧主義の映画監督だったか分かるエピソードである。
【追加雑学②】チャップリンは日本人の秘書を雇っていた
完璧主義者で知られたチャップリン。彼は生前に日本にも来日した大の親日家としても有名だ。そのチャップリンは、日本人の秘書を雇っていたことをご存知だろうか。その人物こそ、高野虎市(こうのとらいち)である。
高野は広島県に生まれ、15歳のときにアメリカに移民として渡った。1916年、チャップリン付きの運転手の求人を見かけ、応募したところ正式に採用された。
当初はチャップリンの運転手として採用された高野だったが、チャップリンは彼の仕事に対する真摯な姿勢に感銘を受け、後に家付きの秘書の職を得ることになった。
チャップリンの内縁の妻ポーレッド・ゴダードの散財癖が原因で、両者が仲たがいをする1934年まで、高野は秘書を務めている。チャップリンは彼の仕事ぶりがいたく気に入り、自宅の使用人をすべて日本人にしたほどだったらしい。
彼が秘書をやめる際に、チャップリンは特別なはからいを見せている。チャップリンがふたたび秘書として戻ってくるようアプローチをしたこと、高額な退職金と映画配給会社の要職を準備したことなど、彼を敬愛したエピソードには事欠かない。
チャップリンが高野を厚く信頼していたことが見てとれる。なお高野は、チャップリンが監督した『チャップリンの冒険』という映画に、運転手役として出演している。
雑学まとめ
以上、チャップリンにまつわる雑学をご紹介してきた。映画のワンシーンにさえ、いっさいの妥協を許さず完璧主義を貫いた、喜劇王・チャップリン。
そうした彼の性格は、仕事が熱心な高野を秘書に採用したことからも伺える。偉大な喜劇王を影で支えたのは、同じく真摯に仕事をこなした日本人だった。たとえ、両者が仲たがいしようとも、ふたりのあいだには揺るぎない絆で結ばれていたのである。
おすすめ記事
-
世界の喜劇王。チャップリンの名言41選!人生/笑い/映画/心に響く格言もご紹介!
続きを見る
-
五・一五事件!チャップリンは日本で暗殺されそうになった
続きを見る