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日本のスケート靴は下駄に刃をつけていた【カネヤマ式下駄スケート】

雑学カンパニー編集部

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スケートは当初、下駄に刃をつけていた?に関する雑学

札幌ウィンタースポーツミュージアム

スポーツ競技の歴史は、スポーツ用具の進化の歴史でもある。その歴史をさかのぼると、現在とは異なった形状や材質だったことは決して珍しくない。

スケートも例外ではない。日本にスケートが普及していく過程において、当時スケート靴は大変に高価なものだった。そこで日本人に馴染みの深い下駄で、その代用にしたのである。

この記事では、日本にスケートが普及することに役立った「下駄スケート」の雑学についてご紹介する。

【スポーツ雑学】スケートは当初、下駄に刃をつけていた?

マッチョ課長
明治時代、スケートシューズはとても高価なものだった。だからその代用として、下駄にブレードをつけた『下駄スケート』というものが生み出されたんだ。
新人ちゃん
『下駄スケート』?!下駄でスケートって斬新すぎっすよ。

【雑学解説】日本独自のスケート靴「下駄スケート」

日本独自のスケート靴である「下駄スケート」についてのトリビア

長野県下諏訪町にある銅像

日本オリンピック委員会によれば、日本人が初めてスケートを滑った時期は、札幌農学校の生徒たちが、新渡戸稲造(にとべいなぞう)が留学先のアメリカから3足のスケート靴を持ち帰った1891年だった、と紹介されている。

だが、スケートが一般の人々に普及するには、まだまだ時間を必要とした。当時のスケート靴は高価なものであり、庶民には手が出せなかったのだ。そこで日本独自のスケート靴が考案された。

それが1906年に長野県下諏訪町の金物細工職人・河西準乃助(かわにしじゅんのすけ)が考案した「下駄スケート」である。実際にどんな用具だったか、映像で確認していただこう。

新人ちゃん
足袋を履くにしても、下駄でスケートリンク滑るのって寒そうっすけど…。

このスケート靴は外国製のスケート靴をまねて、下駄の底面に金属製のブレードが取り付けられている。河西が発明したスケート靴は、彼が営んでいた店名「カネヤマ」(現在:株式会社カネヤマ)から「カネヤマ式下駄スケート」と呼ばれた。

「下駄スケート」の普及によって、スケートは庶民のあいだで手軽に楽しめるようになり、日本国内で急速に広まったのである。1908年2月には、諏訪湖で下駄スケートを着用した「諏訪湖一周スケート大会」が開催された。

現在、諏訪大社下社にある「秋宮リンク場」では、当時のレプリカである下駄スケートを無料で貸し出しているという。また長野県・諏訪湖近くにある「諏訪湖博物館」では、「下駄スケート発祥の地」の碑と、この靴を履いてスケートに興じる子どもたちの像が置かれている。

マッチョ課長
この下駄スケートは、昭和30年代中頃くらいまで使われていたんだ。

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【追加雑学①】日本初のスケート場は、横浜の根岸村で生まれた

「下駄スケート」の考案からさかのぼること約30年前。日本初のスケート場が横浜に誕生したのをご存じだろうか。このスケート場は、1876年1月16日に横浜に「氷滑り場」として開設された。

このスケート場を開設したのは、横浜港に近い根岸村に住む農家・青木安兵衛(あおきやすべえ)という人物である。彼は自分の水田に氷を張って、屋外スケート場を造った。これが日本初のスケート場といわれている。

新人ちゃん
日本のスケート場の元祖は、水田を使ったものだったんっすね。

彼がスケート場を造った理由を調べてみたが、明確な理由は分からなかった。根岸村は、横浜港に近く、当時の日本人にはスケートがそれほど浸透していなかった。そう考えると、おそらく外国人向けに開設した施設だったことが推察される。

日本人がスケートを楽しむようになるのは明治30年代以降。この施設が開設されたのは、当時としては先進的な試みだったに違いない。

【追加雑学②】日本のフィギュアスケートの発祥地は、宮城県・仙台市にある五色沼?

日本のフィギュアスケートの発祥地は、宮城県・仙台市にある五色沼というトリビア

五色沼の内の一つ、毘沙門沼!

冬のスポーツ競技として非常に人気がある「フィギュアスケート」この競技の発祥地が、宮城県仙台市の五色沼(ごしきぬま)とされていることをご存じだろうか。

五色沼は、同市の仙台城の三の丸と大手門前に広がる池で、かつては冬になると氷結し、絶好のスケート場になっていた。1887年頃には、すでにこの池で外国人らがスケートに興じていたという。

さらに10年近く経った1897年頃、アメリカ人のデブィソンという人物が、この場所で日本人の子供たちにフィギュアスケートを教えたとされる。

さらに決定的だったのは、1905年、仙台市内の旧制第二高等学校の学生だった佐藤幸三・田代三郎・河久保子朗(かわくぼしろう)という3人の青年が、同校のドイツ語教官・ウェルヘルという人物に、この池でフィギュアスケートの基本を学んだことにあった。

基礎を学んだ彼らは、後輩たちにフィギュアスケートを教え、日本各地で普及活動をおこなった。特に河久保は、アメリカ人が書いたフィギュアスケートの書籍を翻訳したり、実際に演技指導をしたりと、日本スケート会の黎明期に重要な役割を果たした。

マッチョ課長
彼らはその功績から、『フィギュアスケートの功労者』と呼ばれているんだぞ。

河久保は後に「日本スケート会」も発足させている。仙台の五色沼は、こうしたさまざまエピソードから「フィギュアスケートの発祥地」とされるようになった。現在、この地には「フィギュアスケートの発祥地」の碑が建てられている。

雑学まとめ

日本のスケート靴は下駄に刃をつけていた【カネヤマ式下駄スケート】についての雑学まとめ

以上、下駄に刃をつけた「下駄スケート」と、日本初のスケート場および、フィギュアスケートの発祥地の雑学についてご紹介してきた。現在、日本代表選手の活躍もあり、冬のスポーツとして非常に人気の高い「スケート競技」。

スケート靴が日本に伝えられた当初、人々が「下駄スケート」で氷上を滑っていたと、あなたは想像できるだろうか。下駄を履いたことのある筆者の経験からすると、鼻緒が指の股に食い込み、氷上でバランスをとることさえ非常に難しそうに感じる。

昔の人は、この用具でよく氷上を滑ったものだと感心させられる。

マッチョ課長
ところで新人ちゃん、どうしてフィギュアスケートの選手があれだけ回転しても目が回らないか知ってるか?
新人ちゃん
さぁ…なんでなんっすかね?
マッチョ課長
これはトレーニングのおかげなんだ。その一部は乗り物酔いの人にも応用できるものなんだぞ!

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