「シャーロック・ホームズ」で有名な作家コナン・ドイル。
あのコナン・ドイルが、実はオリンピックに競技役員として参加していたらしい。しかし、なぜ作家であるコナン・ドイルがオリンピックで競技役員をすることになったのだろうか?
というわけで今回の雑学では、コナン・ドイルとオリンピックの関係について調べてみたぞ! さすがコナン・ドイルというべきか、オリンピックにまつわる有名なエピソードが残っている。
ついでに、コナン・ドイルが参加したオリンピックでの歴史に残る珍レースを紹介させてくれ! 当時の歴史的背景がダイレクトに影響していて面白いぞ。
【オリンピック雑学】五輪第4回大会マラソンの競技役員にコナン・ドイルがいた
【雑学解説】オリンピック第4回大会マラソンでコナン・ドイルが粋なことを…
コナン・ドイルは作家として有名だが、もともとの本業は医師だ。コナン・ドイルは医師として1908年の第4回ロンドンオリンピックのマラソン競技に協力していたのである。
コナン・ドイルが競技役員を務めた第4回オリンピックのマラソン競技には、あるエピソードが残っている。
イタリア人選手ドランド・ピエトリは先頭でスタジアムに戻ってきたが、疲労からトラックで何度も倒れ込んでしまった。なんとか1位でゴールしたのだが、スタッフの手を借りたため優勝が取り消しとなってしまった。これが「ドランドの悲劇」である。
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失格となってしまったがその健闘ぶりに観客は感動し、当時のイギリス王妃はドランドに失ったメダルの代わりに銀のカップを授与することにした。
競技役員だったコナン・ドイルは銀のカップの授与式を提案し、さらに「シャーロック・ホームズより」と刻まれた金のシガレットケースをドランドに贈ったとされている。
ゴール地点でメガホンをもってドランドを応援していたという説や、ドランドを手助けしたスタッフの中にコナン・ドイルがいたという説もある。
コナン・ドイルはドランドの走る姿を見て「ゴールという目標と、極限まで疲弊した体とのあいだでもがく姿は悲惨でありながらも惹きつけられる」と語ったそうだ。
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【追加雑学】第4回オリンピック400m走の決勝戦は一人だけ!
コナン・ドイルが協力した第4回オリンピックでは、ドランドの悲劇以外に、歴史に残るレースがもう1つある。400m走の決勝戦がたった1人で行われたのだ。
第4回オリンピックの開催国であり、世界に大きな影響力をもっていたイギリスと、急速に国力を伸ばしつつあるアメリカがお互いに対抗意識をもっており、その関係性がレースにまで影響してしまったのである。
当初、400m走の決勝戦は3人のアメリカ選手と1人のイギリス選手で行われたが、アメリカ選手の1人がイギリス選手の走路を妨害したとしてレース自体が無効となってしまった。
アメリカ選手がイギリス選手をブロックしたことは事実のようだが、このブロックはイギリスルールではNGであり、アメリカルールではOKだったらしい。
アメリカのルールではOKなのに失格となってしまったことで、ほかの2人のアメリカ選手は再レースをボイコット。
結局イギリス選手1人が走る決勝戦になってしまい、400mを50.0秒で走って金メダルを取った。アメリカ選手はボイコットしたので銀・銅メダルは該当なしという珍しいレースになったのだ。
大国同士はいつの時代もバチバチ対抗していることがよく分かるエピソードである。ちなみに、この騒動後にルールの統一化が図られたことはいうまでもない。
雑学まとめ
コナン・ドイルとオリンピックにまつわる雑学を紹介してきた。
コナン・ドイルにオリンピックのイメージは全くなかったが、医師として参加していたなら納得である。しかし金のシガレットケースをプレゼントとは、シャレていて格好いい。
イギリスとアメリカが険悪なせいで当時の選手たちはものすごくピリピリしていたのだろうが、決勝戦を1人で走ることになるとはある意味運が良い。
どれだけゆっくり走ってもオリンピックで優勝できるレースなんて、羨ましすぎる…。