超ド級。現代では「とてつもなく大きい」や「すごい迫力」といった壮大なイメージを連想させる言葉として、イベントや広告のキャッチコピーとして使われるが、「超ド級」とは一体何だ?
言葉にこそ迫力を感じるが、その由来はあまり知られていない。実はこの超ド級の「ド」はイギリスのある軍艦が由来となっている。その軍艦の名は「ドレットノート」。
イギリス軍艦「ドレットノート」はその当時、最大の戦力を装備し、話題となったことから、その頭文字をとって「ド」級と呼び、「ドレットノート」の備える戦力を超えた軍艦を超ド級と呼ぶようになった。
日本でも「ド」を「弩」と漢字で当て、軍艦の階級を表す表現として使われている。イベント業界の作りだした造語かと思いきや、実はれっきとした由来が存在した。今回の雑学ではこの由来についてご紹介していくぞ!
【歴史雑学】超ド級の「ド」とは、イギリス軍艦の「ドレットノート」の「ド」
【雑学解説】ド級戦艦「ドレットノート」とは
ド級戦艦「ドレットノート」は1906年にイギリスで造船された軍艦で、「勇敢な」「恐れを知らない」などの意味をもつ造語が名前の由来となっている。
ドレットノートは中間砲・副砲を装備せず、主砲のみを搭載することで大幅に火力・命中力を増大させ、それまでの戦艦の概念を一変させた革新的な軍艦であった。このドレットノートの誕生で、各国の軍艦の火力は飛躍的な進化を遂げていくことになる。
こういった背景から、ドレットノートは軍艦の戦力を比較する上での基準とされるようになり、ドレットノートの戦力を超えるものを「超ド級」と呼ぶようになった。つまり「ドレットノートを超えた階級」、略して「超ド級」である。
副砲をもたず主砲のみを搭載したドレットノートは、砲の口径が12インチ(30.5cm)と大型で、この主砲の口径がドレットノートを超えているか超えていないかが一つの基準となっている。
最初にドレットノートを超える性能を備えたのは、同じくイギリス軍艦の「オライオン戦艦」だ。
「オライオン戦艦」は13.5インチ(34.3cm)の主砲を搭載した新型で、完成当時マスコミがドレットノートを超える「スーパー・ドレットノート」と宣伝したことから、超ド級戦艦時代に突入していった。
ちなみに、超ド級の上も存在し、主砲の口径が15インチ(38.1cm)~16インチ(40.6cm)のものを「超々ド級」、18インチ(46cm)を超えたものを「超々々ド級戦艦」と呼ぶ。
もちろん、時を同じくして、日本でも超弩級戦艦は作られている。しかし、日本最初の超弩級戦艦には、欠陥船だったのでは? という噂があるという。
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【追加雑学】日本最初の超弩級戦艦は欠陥船?
日本で最初に作られた超弩級戦艦「扶桑(ふそう)」は1915年に竣工(しゅんこう)され、完成当時は、世界で初めて3万トンを超える大型戦艦として名をはせた。
主砲はオライオン戦艦を超える35.6cmと世界一を誇り、速力も当時の戦艦としては比較的高速の22.5ノットを記録。世界最大最武装最速の戦艦であった。
しかし、ほどなくして「扶桑」の欠陥が露呈されてしまう。主砲(火薬庫)を3か所に分散して配置したことから、被弾危険箇所が全長の50%に達するほどになってしまったのである。
これは防御の面で非常に弱く、被弾した際に弾薬庫に引火すれば沈没を免れない。つまり危険性が高いことを意味している。
そんな欠陥は2回にわたる改装でも、予算不足などの理由から改善されず、太平洋戦争の頃には旧式化、練習用戦艦にされるなど、二戦級の扱いとなっていった。
しかし、1944年10月25日、ついにこの欠陥が災いしてしまう。スガリオ海峡夜戦の際、敵軍艦から放たれた4発の魚雷のうち1発が、被弾危険箇所に命中してしまうのである。
被弾は弾薬庫へ引火、大爆発を引き起こし、艦長以下生存者ゼロという、もっとも危惧していた悲劇を起こして沈んでしまった。
日本の戦艦としては、大和や長門が有名であるが、日本で最初の超弩級戦艦は欠陥により大和・長門のように、歴史にその名を刻むことができなかった。
雑学まとめ
「超ド級」についての雑学、いかがだっただろうか。現在では広くキャッチコピーなどに使われる「超ド級」だが、なにげなく使っている言葉でも、しっかりとした意味と由来があった。
もちろん現在でも軍艦のクラスを表す表現として用いられているので、現在もド級の基準は変わっていない。今後、「超ド級」というフレーズを使う際には、「ドレットノートの火力を超えているかどうか」を基準に使ってみてはいかがだろうか。