コンビニエンスストアやネットショップなどの普及により、市場規模は縮小傾向にあるものの、やっぱり夢があるデパート。
かつては、「小売りの王様」とも呼ばれていた。漫画「サザエさん」にも、一家でおめかしをしてデパートへ行く描写を観たことがある人も多いだろう。ちなみに、サザエさんとマスオさんがお見合いしたのもデパートなのだ。
今はその面影を垣間見ることができないほど衰退しつつあるが、デパートは憧れで華やかな場所であったことは間違いない。
今回は、デパートの成り立ちとその歴史についての雑学をご紹介するぞ。
【生活雑学】日本で初めてつくられたデパートは「三越」
「三越呉服店」が現在の「三越」。日本で初めてつくられたデパートは「三越」だといわれている。
【雑学解説】呉服店からデパートへ
呉服店から進化した「三越」。日本のデパートのほとんどが呉服店から始まっている。
その当時の呉服店の販売方式は、「座売り」であった。「座売り」とは、物を売るときに、ひとつひとつの商品を見せていき、値段を決めていくという販売方法のこと。
三越呉服店は「座売り」から「陳列式」に移行した。つまり商品を陳列し、来店客がその商品の中から、気に入った物を選ぶことができる販売方法に変更したのだ。
そして、1905年1月3日の新聞各紙に、東京にある三越呉服店が「三越呉服店は、これから最先端の品揃えとサービスを改良し、お客様に満足していただけるデパートを目指す」という内容の文章を掲載した。これがのちに「デパートメント・ストア宣言」と呼ばれるもの。
三越呉服店のこの宣言を受けて、多くの呉服店も「陳列式」など、同様の改革を行うようになった。
今では当たり前に思う販売方法だが、当時はとても画期的で店内を自由に見て回れることが、来店客のニーズと合致した。それに応えるため、呉服店が次々にデパートへと進化していったのだ。
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【追加雑学①】「三越」の名前の由来は?
なぜ、「三越」という名前になったのだろうか?
江戸時代初期に三井高利(みついたかとし)氏が「越後屋」という呉服店を、江戸日本橋本町1丁目にオープンする。
明治時代になってから、名字が「三井」であることから「三井呉服店」に改名。そして、1904年に「三井」の「三」と「越後屋」の「越」をとって、「三越呉服店」となり、現在の「三越」になったというわけだ。
【追加雑学②】時代の最先端のサービスを次々と展開!
「三越」は、「デパートメント・ストア宣言」をしてから、以下のような、まさに時代先取りのサービスを次々と展開していく。
- 1900年:女子社員の採用
- 1907年:食堂の設置(コーヒーの提供)
- 1914年:日本初のエスカレーター導入
- 1927年:日本初のファッションショー開催、美容室設置
- 1932年:地下鉄三越駅前開設
- 1944年:結婚式場開設
上記はあくまでも抜粋で、他にも様々な改革を世に繰り出している。今では当たり前のサービスだが、当時ではとても珍しく、それを体験しにデパートへ行った人も多いのだとか。
「三越」に負けじと、他のデパートも店内で展覧会や美術館・博覧会を開いたりと、デパートが文化の発信地であることをイメージづけるためのサービスが、次々と生まれていったようだ。
まさに、デパートは、進化する時代とともに発展してきたといっても過言ではないだろう。
雑学まとめ
今回はデパートの歴史についての雑学をご紹介した。「三越」から始まり、全国各地に名をとどろかせ、経済効果にも貢献してきたデパート。
品揃えが多いという意味では、コンビニエンスストアやネットショップも同じであるが、デパートは、商品にフィルターをかけて、より良いものを集めることができる。
物が溢れ過ぎて、本物かどうかの見分けがつかなくなっている今こそ、物の真価を提供できるデパート。創意工夫によって伸びる可能性は十分あると期待したい。
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