皆さんは飛行機に乗ったことがあるだろうか。筆者は地方住まいなので、東京などに行くときにたびたび利用するのだが、いまだに飛び立つ瞬間の独特な感覚に慣れずにいる。わかりやすくいえばちょっと怖いのだ…。便利なことには違いないのだが。
そんな今では普通の交通手段となっている飛行機。鉄のかたまりが空を飛んでいるなんて、あらためて考えてみれば不思議なものだ。では、飛行機を発明した人が誰かはご存知だろうか。そう、あの有名な「ライト兄弟」だ。
が! 実はライト兄弟よりも早く飛行機を作った人物がいるという雑学を耳にした。本当なら科学の歴史がくつがえることになりそうだが…。
その真相を調べてみた!
【歴史雑学】ライト兄弟より早く飛行機を作っていた人物がいた
【雑学解説】ライト兄弟より2年早く飛行機を作った人物がいた
ライト兄弟が有人動力飛行、いわゆる飛行機の実験に成功したのは1903年。それよりも2年前に有人飛行に成功したといわれている人物がいた。その名も「グスターヴ・ホワイトヘッド」。
グスターヴは生まれはドイツだが、後にアメリカに渡り航空技師となった人物。グスターヴは1901年に自らが設計した「ナンバー21」という機体で飛行実験を行った。その結果はなんと成功した…かどうかはわからない。
というのも、当事はグスターヴが飛行実験に成功したという記事は出たのだが、肝心の飛行に成功したという記録や写真が残されていなかった。つまり、本当に空を飛んだという証拠がなく、科学界では正式に認められなかったのである。
また、グスターヴが行ったその後の実験では正式に記録できる飛行を再現できなかったそうだ。最初の実験が本当に成功していたのだとしたら、なんとも悲しい話である。
ちなみに最初の実験が成功していたという話が嘘なのでは? という説もあるが、後の技術者たちがグスターヴの機体を再現したところ、飛行に成功したそうだ。
当事の飛行機は今のようにジェットエンジンやコンピュータが搭載されていないので、操縦のテクニックに大きく左右される側面があった。グスターヴが実験をやり直しても再現できなかったのは、そのあたりに理由があるのかもしれない。
かのライト兄弟が飛行した機体も本人たちにしか操縦できないほど扱いが難しく、ぜんぜん売れなかったそうである。
科学の進歩に大きく貢献した人たちには知られていない悲しい現実がたくさんあったということだろう。
おすすめ記事
-
兄?弟?最初に空を飛んだのはライト兄弟のどっち?それ以前にも…
続きを見る
スポンサーリンク
【追加雑学】日本にもライト兄弟より早く「飛行”器”」の実験を行っていた人物がいた
さて、ここにきて日本にもライト兄弟より早く飛行機を考案していた人物がいたことが判明した。その名も「二宮忠八(にのみやちゅうはち)」。
二宮忠八は明治時代の航空機研究者であり、ライト兄弟が有人飛行に成功する14年も前に「飛行器」を考案した。当事は「飛行機」ではなく「飛行器」」と名付けられていたのである。
二宮忠八は飛行器という概念に疑問をもつ周囲の反発にあいながらも、独自に研究開発に着手。人が乗ることのできる飛行器の実現を夢見ていたが、悲しいことに完成にはいたらなかった。
ただ、世界で有人飛行が成功していない時代に「空を飛べる原理」を見つけていたのはたしかなので、日本では「日本航空機の父」と呼ばれている。
二宮忠八が飛行器の着想を思いつくキッカケを得た場所とされる香川県まんのう町には「二宮忠八飛行館」というミュージアムがある。興味のある人は訪れてみてほしい。
雑学まとめ
今回は飛行機の歴史にまつわる雑学を紹介した。今や当たり前に空を飛んでいる飛行機だが、そこには先人たちの涙ぐましい努力と苦労が詰まっている。これからは技術の進化に感謝しながら利用したいものだ。
ちなみに筆者は空港の金属探知機を通過するときになぜだか毎回のようにブザーが鳴ってしまう。もしや、宇宙人の手によって謎の金属が埋め込まれているのだろうか…。