ペットはもはや、家族の一員といえる時代になった。動物のなかでも、とりわけ猫や犬はその代表格といえる。
飼い主と動物との関係を考えるとき、まっさきに脳裏によぎるのは、主人が亡くなってもその帰りをじっと待っていた「ハチ」である。
その銅像は待ち合わせ場所の定番にもなっている。…ところでこの像は、とある理由でハチの生前中に建てられたことをご存知だろうか。この記事では、ハチ公の像が生前中に建てられた理由についてご紹介する。
【動物雑学】ハチ公の銅像は「ある事情」でハチの生存中に建てられた
【雑学解説】ハチ公の銅像がハチの生存中に建てられた理由とは?
忠犬ハチ公の名で知られる「ハチ」は、渋谷駅で約10年間飼い主の帰りを待ち続けたとされる秋田犬である。現在、待ち合わせ場所の定番となっている渋谷駅前の銅像は誰もが知っているだろう。
実はこの銅像が制作される過程において、ある逸話が残されている。それはハチの飼い主だった東京帝国大学教授の上野英三郎が、1925年に逝去した後のことである。
主が逝去してもなお、ハチが渋谷駅前に通い続けていることが新聞によって報道されると、それに感銘を受けた彫刻家・安藤照(あんどうてる)という人物が、ハチの銅像を作るために、「日本犬保存会」と協力して像を制作することになった。
安藤は上野の死後に飼い主となっていた人物をアトリエに毎日通わせて、銅像の制作に励んでいた。しかし、その計画にストップをかけようとする不届き者が現れた。
銅像の制作が進むなか、上野家から像の制作を依頼されたとする謎の老人が登場する。「おまえは誰だ?」とツッコミたくなるような怪しさ全開の老人である。
おまけに老人はよっぽどお金に困っていたのか、像を製作するための資金集めとして絵葉書まで売り始めたというのだ。悪だくみが過ぎるではないか!
安藤は老人の邪魔がこれ以上入らないようにするため、早急に銅像を作る必要に迫られた。そしてハチの生前に像を完成させたわけである。
こうして1934年4月21日、渋谷駅前に「忠犬ハチ公像」が無事に設置されたのである。当日の除幕式にはハチをはじめ、その関係者が300人も列席したという。
さすがに、ハチも自分そっくりの像を目にして、首をかしげたに違いない。
ここで、安藤照のご子息にあたる士(たけし)氏が生前のハチの様子を語ったインタビューをご紹介する。きっと心が洗われるはずだ。
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【追加雑学】秋田県にもハチ公像があった!
ハチの銅像は、いまや渋谷のシンボルになっている。ところで、都内のほかにも像が設置されている場所があることをご存知だろうか。
ハチの生まれ故郷である秋田県大館市である。同市の駅前には、1935年に渋谷駅前の像と同じ型で作られた像が設置された。
戦時中に一時失われたこの像がふたたび復活したのが、1987年のことである。渋谷駅前のハチ公像とは異なり、この像は両耳がピンと立っているなどの違いがある。
また、1989年には映画『ハチ公物語』の公開を記念して、大館駅の構内に「JRハチ公神社」も作られた。下の動画は当時公開された映画の予告編である。
当初は発泡スチロール製の約2メートルの像が設置されていたが、2009年10月に、全長85センチ・重さ30キロの青銅製のハチ公像に交換されたのだ。
ちなみに2代目の像は、2019年5月に開館した観光交流施設「秋田犬の里」に移設された。この他にも、ハチの生家やその関連施設では、同様に像や碑文が置かれている。
また大館市のストリートビューは、なんと秋田犬にカメラを付けて撮影しているのだ。下の動画をご覧いただきたい。なんとも愛くるしい表情ではないか!
ハチが亡くなった現在でも、生まれ故郷の秋田県大館市では、ハチおよび秋田犬が地元の人々に愛されていることが分かるエピソードである。
雑学まとめ
以上、ハチ公像は仕方なくハチの生存中に建てられたトリビアと、ハチの生まれ故郷である秋田県には銅像が建てられている2つのトリビアをご紹介してきた。
ハチの生存中に銅像を完成させなければならなかったのは、怪しい謎の老人の登場によって、その権利を侵害させられる危険性があったからだ。
従順に主を待つ姿が広く人々に親しまれた「ハチ」。現在も生まれ故郷で、人々に広く愛されていることを思うと、人間と犬は、これからも最良のパートーナーであり続けることに変わりないだろう。