縄文時代の日本に争いはなかったなんてことが、まことしやかにささやかれている。縄文人はケンカをせず、何をされても笑って許したというのか。
だとしたら同じ人間だとは到底思えない。全員がお釈迦様のような心の持ち主だったのだろうか。そんなこと絶対にあり得ないと思い、調べてみるとなるほど納得の事実がわかった!
今回は、気になる縄文時代についての雑学を紹介していこう!
【歴史雑学】縄文時代の日本に争いがなかった理由は?
【雑学解説】縄文時代は食料確保の手段が狩猟だったので争いが少なかった
縄文時代には争いがなかったのかと問われると、「あるにはあった」というのが答えになる。というのも、縄文時代の遺跡から発掘された人骨を調査してみると、武器による外傷がある人骨もたしかに存在するのだ。
それは狩りを行う際の単なる事故だったとも考えられるが、明らかに対象に対して殺意があるものもなかには存在するのである。
しかし、武器による外傷を受けた人骨があったとはいえ、それも調査された1275体のうちたったの23体。後の弥生時代には大量に殺傷が行われた跡があるのに比べて、明らかに少ないのだ。
なるほど、縄文人というのは平和的で朗らかな心の持ち主だったのだな! などと和やかな気分にさせてくれそうなところだが、これにもきちんと理由がある。なぜなら縄文人は狩りを主体として暮らしていたからだ。
モンスターハンターの世界ではあるまいし、狩りを一人で行う縄文人などいない。すなわち、狩りをするためには仲間が必要だったのだ。仲間割れなどしている場合ではないのである。
そして狩りを主体にしていた彼らの生活は、狩っては食べ、また狩っては食べの繰り返しだ。食料を長期間蓄えておく術など当然持っておらず、いわばその日暮らしの生活が繰り広げられていた。
蓄えがないということは奪うものもない。奪うものがないのなら争う必要もないのである。だから縄文人の人骨にあった武器による外傷は、単に個人間の小競り合いのようなものだったのだろう。
どんなに平和な社会だといっても、ケンカをしないなんてことはあり得ないのだから。
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【追加雑学①】数少ない争いの跡からわかる縄文時代の人の優れた知性
狩りを主体に生活していた縄文人が使う武器は、動物を狩るための武器だった。人を殺傷するための武器としては作られていないので、そもそも人同士が争うのには向いていなかったのである。
しかし、縄文人の人骨に残された争いの跡を調べると、その武器で相手を倒すために彼らが相当な工夫を凝らしていたことがうかがえる。
たとえば弓矢にしてみても、確実に仕留めるために、木の上から至近距離で頭部を狙った跡がある。石斧で襲うにしても、一人ではなく二人で体制を固めてそれぞれ前方と後方から、頭部へ目掛けて振るわれた跡があったのだ。
これは単純に挟み撃ちにして逃げられなくするだけではなく、殺傷能力の低い石斧を考慮して、二発で仕留めようということだろう。まるで必殺仕事人である。
これらの事例から、人同士で争った経験が少ないにしては、かなり綿密な計画の元に攻撃が行われていることがわかる。縄文人は優れた知性の持ち主だったのだ。
【追加雑学②】縄文時代の人が農耕や牧畜を知らなかったわけではない?
弥生時代になると、中国からの渡来人によって水田の技術が持ち込まれ、狩り主体の社会が終わりを迎える。人々は農耕や牧畜によって、「蓄える」ということができるようになったのだ。
米のおいしさを誰よりも知っている日本人の我々からすれば、これはいかに素晴らしいことか。渡来人さん! 米を伝えてくれてありがとう!
…と、これも良いことばかりではないのだ。蓄えることができるようになるということは、蓄えの多い者と少ない者がでてくる。つまり貧富の差が生まれるのだ。
そして農耕を行うには土地が必要だ。こうして、蓄えや土地を奪うための争いが起こるようになったのである。
ここで縄文人がまったく農耕や牧畜を知らなかったかというと、実はそうではない。彼らは農耕や牧畜を試みたことはあったが、辞めたのである。
これは、縄文人たちの間で宗教的な観念が強かったことが理由ではないかといわれている。土偶にストーンサークル、街の真ん中に墓があるなど、縄文時代にはそのことを物語る文化がたくさんあるのだ。
彼らは宗教的な観点から、自ら自然の摂理に背くことを嫌って、農耕や牧畜を辞めたのである。
雑学まとめ
縄文時代についての雑学を紹介したが、いかがだっただろうか。縄文時代に争いが少ない理由は、彼らの狩りを主体にしたライフスタイルにあったが、そもそもそれ自体も自然の摂理に従った生き方だ。
動物の世界は弱肉強食といえども、戦争なんて概念はない。文明を持ったからこそ人は争うのだ。
かといって、文明を持つことは当然悪いことばかりではない。それによって実現された素晴らしいこともたくさんあるのだ。
ただ人が争わずに手を取り、自然のあるがままの姿に従っていた時代があったのだと想いを馳せると、心が洗われるような気持ちになる。歴史を学ぶ意味というのは、そういうところにもあるのではないだろうか。