男なら1度は夢見る天下取り。現代では天下を取るなどという夢に現実味はないが、戦国時代において、天下取りは誰もが憧れる野望だったといえる。
戦国時代に天下を取った人物といえば豊臣秀吉に徳川家康、そして明智光秀も忘れてはいけない。主君の織田信長を本能寺の変で暗殺し、「三日天下」といわれる短期間ではあるが、天下を手中に収めたのは間違いないのだから。
ちなみに、明智光秀が本能寺で織田信長を暗殺したのが1582年6月2日で、羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)に破れた山崎の戦いは6月13日のこと…。
あれ? 10日以上、天下取ってますけど!?
それでも「三日天下」といわれているのは、いったいなぜなのか? 今回はこの「三日天下」の雑学を解説していくぞ!
【歴史雑学】明智光秀の「三日天下」の由来と意味とは?
【雑学解説】なぜ3日じゃないのに「三日天下」なのか?
どう考えても数え間違いとは思えない「三日天下」…。
なぜこの日数が使われているのだろうか?
「三日天下」の由来には2つの説がある。それぞれ解説していこう。
「三日」=「きわめて短い期間」という意味
そもそも、「三日」という言葉には「きわめて短い期間」という意味がある。
そのため、単に「きわめて短い期間の天下」を表したのが「三日天下」だというのが有力な説だ。
いわれてみれば典型的な使い方として有名な「三日坊主」は、「きわめて短い期間しか続かないこと」である。1日だろうと1週間だろうと「三日坊主」。「三日以上続けたし!」というのは屁理屈である。
というか「三日天下」が三日坊主と同じニュアンスって…けっこうバカにした意味合いだったんだな…。
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明智光秀が実際に政務を執った期間から
明智光秀が織田信長を暗殺後、京で政務を執った期間が3日だったことから「三日天下」になったという説もある。
なんだ、こっちのほうがそれっぽいじゃないか!
…となるところだが、残念ながら明智光秀が実際に3日間政務を執ったという記録は存在しないようで、信憑性は薄い。
どうやら、「三日=短い期間」という意味で「三日天下」とするのが妥当そうだ。とはいえ、こんなに覚えやすいキャッチコピーで取り沙汰されているのだから、光秀もやはり大物なのである。
ちなみにフランスの英雄・ナポレオンにも「百日天下」という言葉がある。
彼は1814年に退位させられたのち、後を担ったルイ18世の悪政などもあり復権を試みた。しかし結局戦争に負けて、わずか95日で再度退位させられたのだ。
ナポレオンと同じ! やっぱり大物じゃないか!
【追加雑学①】「三日天下」の使い方【例文】
三日天下は単に明智光秀のことを表しているだけでなく、れっきとした故事成句だ。よって現代の会話でも使うことができるぞ!
例としてはこんな感じだ。
「三日天下」の使い方
- 「アイツ、前期のテストは学年トップだったけど、結局三日天下に終わっちゃったな…」
- 「今度の部長…すごく人使いが荒いよな! あんなヤツ、しょせんは三日天下だよ」
- 「三日天下でも、一時は営業成績トップだったんでしょ? 大したもんじゃないか!」
三日天下のおもしろいところは、「短い期間しか続かなかった」という悪いニュアンスと、「トップになった」という良いニュアンスが合体しているところだろう。だから例文のように、捉え方次第で悪い意味にも良い意味にもなる。
うーん…でも、実際に使っている人ってあんまり見たことない気がする…。
うまくいけば「お! 気の利いた表現知ってるな!」と思われるかもしれないが、さりげなく使うのはちょっと難易度が高そうだ。
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【追加雑学】明智光秀にまつわる故事成句
「三日天下」だけでなく、明智光秀にまつわる故事成句はいくつかある。ここでは、それらを紹介していこう。
天王山
プロ野球などのスポーツにおいて、首位攻防戦のことを「天王山」という。
この「天王山」は京都にある山で、明智光秀と羽柴秀吉が相まみえた「山崎の戦い」において重要拠点とされた場所である。
そう、光秀と秀吉の両者が天王山を取り合ったことから、現在の「天王山」という言葉が生まれたのだ。やはり三日天下とはいえ、光秀もしっかり天下人の一員に数えられてるわけだ!
だが、天王山はさほど重要ではなかったという説もあり、実際に天王山の戦いが天下分け目の決戦だったのかは疑問もあるらしい。
ちなみに、山崎の戦いの山崎は京都府にある地名で、現在はサントリーのウイスキー「山崎」を生み出す山崎蒸溜所で有名だ。
洞ヶ峠を決め込む
「洞ヶ峠(ほらがとうげ)を決め込む」とは、「2大勢力がぶつかり合うときに、どちらにもつかずに日和見する」という意味である。
洞ヶ峠は京都と大阪の境目にある地名。
明智光秀が織田信長を暗殺したのち、盟友である筒井順慶に味方につくよう要請したが、筒井順慶は洞ヶ峠に布陣したまま光秀と秀吉の戦いの行方を見守っていたという逸話から、この言葉が生まれたという。
しかし、実際には筒井順慶が洞ヶ峠に布陣したという記録はなく、どうやら史実ではないらしい。
「天王山」も「洞ヶ峠を決め込む」も、実際の出来事とは異なる可能性があるのは興味深い。つまり話を盛る人がたくさんいたということではないか! 光秀と秀吉の決戦はそれだけ注目されていて、後世においても影響を与える戦いだったのだ。
三日天下の雑学まとめ
2020年には、晴れて大河ドラマ「麒麟がくる」の主人公となった明智光秀。今回は彼に関する雑学を紹介した。
現在においても「なぜ信長を暗殺したのか?」という大きな謎を残す光秀は、ダークサイドながら人気が高い。
わずかな期間でも天下を取ったのだから、大人物であったのは間違いないだろう。
今回の雑学を読んで、たとえ「三日天下」でもいいから自分も天下を取ってみたい…と思った方。クーデターは慎重に…。