平和の象徴ともいえるスポーツの祭典・オリンピック。
オリンピックの父、ピエール・ド・クーベルタンは「スポーツを通じて平和な世界の実現に寄与する」という目的で近代オリンピックをつくりあげ、その精神はオリンピック憲章にも明記されている。
オリンピックのシンボルマークにしても、「フェアプレー精神を培い、各国の選手が手を取り合って世界平和を目指す」というコンセプトでデザインされたものだ。
実際に競技を見ていても国籍や人種、宗教などの垣根を越え、選手たちがお互いの健闘を讃えあったり、懸命な姿に拍手を送ったりと素晴らしい光景が多く見られる。
しかし…そんなオリンピックが、ときとして悲惨な事件の舞台となることもある。今回は、「オリンピック最大の悲劇」と呼ばれる、ある事件の雑学を紹介しよう。
【オリンピック雑学】五輪第20回大会で起きたテロ事件とは?
【雑学解説】「ミュンヘンオリンピック事件」は五輪最大の悲劇
1972年9月5日、オリンピック選手村にテロリストが立てこもり、人質11名・警官1名の計12名を殺害しする事件が発生した。
イスラエルのパレスチナ問題から発展した前代未聞のこの出来事は、オリンピック最大の悲劇といわれている。
民族意識の違いから、長きに渡って争ってきた両国の火花が、オリンピック開催地であった西ドイツを巻き込む騒ぎとなったのだ。以下、時系列にその経緯を追っていこう。
午前4時40分頃
パレスチナのテロ組織「黒い九月」のメンバー8人がイスラエル選手団の宿舎に侵入。その際、レスリング選手とコーチの2名を殺害し、9名を人質に取り立てこもる。
このとき実は、犯人グループが選手村のフェンスを乗り越えて侵入する様子を、電話線の整備に訪れていた郵便局員が目撃している。
しかし選手村にはこのようにして、遊びに抜け出したあと、コッソリ朝帰りする選手も珍しくなかったといい、郵便局員は気にも留めなかったという。
犯人グループは自動小銃や手榴弾をスポーツバッグに入れて侵入するという役者っぷり。選手たちが朝帰りをしている事情も周知していたのだろうな…。
このあと警察官が庭先に投げ捨てられたレスリングコーチの亡きがらを発見し、事件が発覚。犯人グループとの交渉が進められることになる。
午前8時40分頃
犯人グループがイスラエルに収監されているパレスチナ過激派を含む234名の解放を要求。西ドイツ政府はイスラエルに交渉をするが、イスラエルはこれを拒否する。
ドラマなんかで「我々はテロには屈しない!」というシーンがあるがまさかそんな感じなのか…。たしかにテロリストの仲間234人が野に放たれるのは恐ろしいが、解放しなければ9人が死んでしまうかもしれない…。
イスラエル側は代案として特殊部隊を事件解決に向かわせようとするが、西ドイツでは他国の軍隊の介入が規制されていたため、これも実現されなかった。
その後も西ドイツ政府は「イスラエルとは依然交渉中だ」と誤魔化し、犯人グループとの交渉を続けるも人質の解放にはいたらず。事態は武力による自力解決しか残されていない状況となってしまった。
午後5時頃
オリンピック関係者が宿舎内への潜入に成功。犯人グループの人数が確認できたため、西ドイツ政府は突入作戦を企てる。
…しかし、事件の経過は朝方から常に実況中継されていたため、突入作戦も犯人グループに筒抜け。こうして作戦は断念せざるを得なくなる。…え、マヌケすぎないか?
午後10時頃
結局、犯人グループはエジプトのカイロに脱出することを要求し、この条件で西ドイツ政府と合意にいたる。
…といってもこの合意は、おびき出した犯人グループの狙撃作戦を決行するためのもので、エジプトへの入国についても「許可が出た」と、西ドイツ政府は犯人グループに嘘をついていた。
作戦が成功していればまだよかったのだが…。
午後10時30分頃
犯人グループはエジプトに向かうため、選手村からヘリに乗り、西ドイツの空軍基地に移動。しかし、基地にて脱出用の航空機に乗り込んだ際、案内役の警官が誰一人として乗っていなかったため、犯人グループが不審に思い、作戦がバレてしまうことに。
実は西ドイツ政府も機内で犯人グループに抵抗するため、事前に警官を待機させていたが、なんと全員が職務を放棄し、逃げ出してしまっていたのだ。
なんでも犯人グループが自動小銃などの装備を有しているのに対し、待機させられた警官たちは拳銃しか持たず、しかも特殊な訓練など受けていない一般警察官だったという。そりゃあ逃げ出したくもなるわな…。
同時に狙撃も行われたのだが、これも失敗してしまう。というか以下が狙撃時の条件なのだが…、これを見れば成功するほうがおかしい作戦であることがわかる。
- 狙撃を担当したのも一般警察官。そのなかでは射撃の成績が良いという程度
- 狙撃銃にはスコープが付いておらず、現場の照明も不十分。暗がりの中で作戦が決行された
- 狙撃銃がオートマチックタイプではなく、一度外せば装填に時間がかかる
- 犯人グループを乗せたヘリが予定していた場所に着陸しなかった
- 犯人グループは全員で8人なのに、政府は5人だと勘違いしていた
用意が不十分すぎる…。
こうして作戦が失敗すると、事態は銃撃戦に進展。人質9名・犯人グループ5名・警察官1名が死亡し、終結を迎える。
なんでも最後の抵抗で犯人グループがヘリごと爆破してしまったため、人質は誰も助からなかったのだとか。…壮絶である。
この事件を教訓に、オリンピックでは警備費用にあてられる予算がどんどん増えている。観戦の際は安心だが、平和の象徴ともいえる祭典に警備費用が必要というのも…ちょっと皮肉な話だな…。
スポンサーリンク
【追加雑学①】事件後、ミュンヘンオリンピックは中止にならなかった
これだけの大惨事が起こったにも関わらず、ミュンヘンオリンピックは中止にならなかった。中止を求めるデモまで発生していたというのに…。
しかもオリンピックの決行は会議の結果などでもなく、当時のIOC会長アベリー・ブランデージ氏の独断だというから、なおのこと驚かされる。テロ当日にしてもエジプトの選手が出場を拒否するまで、普通に競技が行われていたというぞ。
ブランデージさん…ちょっと感覚おかしくないか? と思っていたらこの人、兼ねてから人種差別発言で問題視されていたのだとか。IOC会長の風上にもおけねえ!
おすすめ記事
-
すべて戦争のせい…。オリンピックは過去に5回中止になっている
続きを見る
【追加雑学②】その他のオリンピックにまつわるテロ事件
ミュンヘンオリンピック事件は間違いなく「最大の悲劇」だ。しかしオリンピックにまつわるテロ事件は決してこの一度だけではない。
行事が大きくなればそれだけテロのリスクも高まるということか…。
1996年 アトランタオリンピック
開催中に会場近くの公園が爆破され、2名が死亡・100名以上が負傷した。被害者の数でいえばミュンヘンオリンピック以上ではないか…。
その後、首謀者の逮捕まで7年を要する。犯人は元軍人であるエリック・ルドルフ。テロリストというよりも、とても偏った思想の持ち主だったという。危険なのはテロリストだけではないということだな…。
2014年 ソチオリンピック
開催の前年までに相次いでオリンピックを意識したと思われる爆破テロが発生。その影響もあって4万人の警官や軍隊を集める危機管理体制が作られることになった。
もはやオリンピックのテロ騒ぎは昔のものでもなく、現代にも危険は付き物である。
雑学まとめ
今回はミュンヘンオリンピック事件の雑学は紹介した。
平和の象徴であるオリンピックにおいて、このような事件は絶対に起こってはいけない。しかし…いつの時代も争いがなくなることはなく、テロリストは依然として存在している。やはり警備を厳重に行う以外には、手立てはないみたいだ。
クーベルタンが夢見たように、いつか本当の意味でオリンピックが世界平和の懸け橋になってくれればいいのだが…。