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出来レース!?足利義教は"くじ引き"で将軍になった|歴史雑学

室町6代将軍「足利義教」はくじ引きで将軍になったという雑学

室町幕府第6代将軍 足利義教

室町幕府の将軍といえば足利氏。

私が小中学生の頃は、室町幕府を建てた初代 足利尊氏(たかうじ)・金閣寺建立の3代 足利義満(よしみつ)・銀閣寺建立の8代 足利義政(よしまさ)・最後の将軍15代 足利義昭(よしあき)の4人は覚えるようにいわれた記憶がある。

あとの11人は、申し訳ないが名前は聞いたことがあっても何代将軍かわからない、または何をした人かわからない。

しかし、6代将軍 足利義教(よしのり)は、なかでも有名な将軍だったようだ。何が有名かというと、まさかのくじ引きで将軍に選ばれたことと、かなりの暴君だったこと。

くじ引きで将軍を決めるとか大丈夫なの!? 今回はそんな「くじ引き将軍」足利義教についてご紹介しよう。

【歴史雑学】室町6代将軍「足利義教」はくじ引きで将軍になった

前の将軍に男の子が生まれず、将軍職を継ぐ人がいなかったため、くじで決めることになった。

【雑学解説】将軍候補が複数人いたため公平にくじで決めたように見えたが…

足利義教は、3代将軍 足利義満の子どもで4代将軍 足利義持(よしもち)の弟。兄が2人いたため、若くして出家させられ、父である義満の後継者候補から外れた。

寺では大僧正(僧の中のトップ)や天台座主(天台宗でトップのお坊さん)にのぼり詰めるほど、僧侶としての才能を発揮していたようだ。

その後、義持が義満の後を継いで4代将軍になり、次の5代将軍には義持の子どもの足利義量(よしかず)が就いた。

しかし、義量は病弱で大酒飲みだったため19歳の若さで急逝。義量に子供はおらず、男兄弟もいなかったため、義持が再び将軍として政治を行うようになる。

義持は彼なりに政治のことを考えていろいろと発言するが、周りの重臣たちに力があったため、彼の意見が聞き入れられることはあまりなかったようだ。

やさぐれた義持は酒に走り、次第に体調を崩していった。

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「くじ引き将軍」誕生

義持が危篤に陥る前に、周囲の重臣たちは義持に次の将軍はどうするかを確認した。

家来:「義持さま、次の将軍はどうしますか?」

義持:「勝手に決めてや」

家来:「え?」

義持:「だってさー、君らワシの言うこと聞かないじゃん? ワシが何言っても死んだら無視するのわかってるんだからね?」

…これはかなりの意訳だが、優秀な重臣が自身より力をもっていたため、やさぐれてしまった義持は、次の将軍を決めることを放棄したのだ!

次期将軍候補は義持の弟たち4人で、みんな出家して僧侶になっていた。その中で重臣たちが次の将軍に据えたがったのが義教。しかし、将軍が直々に決めたことならいざ知らず、一介の家来が次期将軍を決めたとなれば、他の兄弟が黙っていない。

そこで考え出されたのが、くじ引きだ! 義教をはじめとする義持の弟たち4人の名前を書いたくじを石清水八幡宮で引けば、「神の意志」ということになり、誰も文句をいえないだろう…という考えだ。

義教のくじを引けなかったら元も子もないじゃないか…と思うだろう。大丈夫、ちゃんと義教くじを引けるように細工しているから!

こうして重臣たちによる出来レースで6代将軍は義教に決まったのだ。

ちなみに、くじで次期将軍を決めることを危篤の義持に報告したときも…

家来:「義持さま、次の将軍はくじで決めようと思います」

義持:「別にいいんじゃね? やっちゃいなよ」

家来:「はい、ありがとうございます」

義持:「ただし、ワシが死んでからにしてね。ワシが君らに何か言っても無視されるのツライから」

…と、義持はとりあえず家臣に丸投げしたそうだ。

【追加トリビア】「くじ引き将軍」義教について

義教は、「くじ引きで将軍になった」というおもしろいエピソードがあるのに、学校であまり覚えるようにいわれないため、影が薄い気がする。ここでは、そんな足利義教についてご紹介するぞ。

改名につぐ改名

義教の幼名は春寅(はるとら)。幼いころに寺に入れられ、法名は「義円(ぎえん)」と名乗った。くじ引きで将軍になることが決まり僧侶でなくなると、初めは「義宣(よしのぶ)」という名前にしたそうだ。

しかし、「よしのぶ」という名前は「世忍ぶ」に通じるため縁起が良くないとして義教に改名。僧侶をやめるときに、もう少し考えて名前をつければよかったのにね…!

実はかなりの暴君

くじ引きで選ばれた際、義教は将軍になるのを躊躇していた。先代の義持が家来たちのいいなりになっていたのを知っていたからだ。

そこで義教は家来たちに「どうしても将軍になってほしいなら、私のいうことを絶対に無視しないこと。私は自分の思い通りの政治をする」と宣言し、そこから恐怖政治が始まった。

  • 家来の家督継承が、自分に都合のいいように行われるよう口を出し、従わない場合は刺客を差し向け暗殺。
  • 延暦寺の僧侶が気に入らないからと攻撃。僧侶たちは抗議のため寺に火を放って自害。(有名な織田信長の比叡山焼き討ちより140年も前に延暦寺を攻撃している!)
  • 義教に説教をしようとした僧侶の頭に焼けた鍋をかぶせたうえ、しゃべることができないように舌を切った。
  • お酌が下手だからという理由で、その場で侍女の髪を切り、尼寺へ送った。
  • 料理がまずいからという理由で、料理人を処罰した。

などなど、暴君ぶりがわかるエピソードが盛りだくさん。

室町6代将軍 義教は、当時の多くの人に「悪将軍」と呼ばれ、あの織田信長をして「悪御所」といわしめた稀代の暴君だった…! 歴史の授業で教えてくれないから全然知らなかったよ。

義持のときのように重臣に力をもたせないように「厳しい将軍アピール」をしていたようだが、ちとやりすぎのような。

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残念な最期

やりたい放題やっていた義教にはやはり敵が多かった。彼は次第に、家臣として仲良くしてきた者をも冷遇しはじめ、孤立していく。そんな中、次は自分が殺されるかも…と危機を感じた家臣が裏切り、義教の暗殺を企てた。

「うちの鴨が子どもを産んだのですが、それがめちゃくちゃかわいいから見に来てください。戦に勝ったお祝いもしましょう」という手紙を義教に送り、義教は意気揚々と家来の屋敷に足を運んだのである。

家臣は義教が酒を飲んで油断したところを襲い、暗殺を成功させた。悪将軍でもかわいい子鴨は見たかったんだな…。

トリビアまとめ

今回はくじ引きで将軍になった足利義教についてご紹介した。政治を取り仕切る将軍をくじなんかで決めてしまっていいのか!? …と思ったが、結局は周りの家臣たちにとって都合のいい者が選ばれるように細工されていた。

義教は周りから「くじ引き将軍」などと揶揄されていたようだが、当の本人は「私は神に選ばれたッ!」と、テンションが上がっていたようだ。

その結果、暴君となり好き放題やって、しまいには暗殺されてしまうという…なんとも残念なことに。

暴君ながら、子鴨のかわいさに惹かれて(もちろん他の意図もあっただろうけど)のこのこ敵地に赴いてしまったという点は、やっぱり人間なんだなーと思える。

これだけ大きなエピソードがあるのに、歴史の授業で義教が特に取り上げられないのは、なんだか不憫…。

尊氏・義満・義政・義昭ぐらいしか知らない人に、ぜひ義教のことも教えてあげよう!

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