オリンピックの表彰式といえば、国歌だ。
世界の頂点に立ったときに流れる国歌は、表彰台に立つ選手にも見ている観客にも誇らしげに響き、いいようのない感動を与える。
その瞬間、メダルは選手個人の名誉だけでなく、国全体の名誉となる。国を背負って戦うアスリートとその国の栄光が重なる素晴らしい瞬間だ。
しかし、日本が初めて金メダルを獲得した瞬間、君が代はなんと途中から流れてきたのだ。今回は、そんな驚きの雑学について迫ってみようと思う。
【オリンピック雑学】日本人初の金メダル受賞の表彰台では「君が代」が途中から始まった
【雑学解説】オリンピックで日本人の「予想外」の金メダル
1912年、ストックホルムオリンピックにアジアで初めて参加して以来、アントワープ大会・パリ大会と選手を送り込んだ日本。
1920年のアントワープ大会では、熊谷一弥が男子テニスのシングルス、熊谷・柏尾誠一郎ペアがダブルスで初めてのメダル(銀メダル)を獲得する。
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着々と経験を重ねていくものの、遠いヨーロッパで主に開催されていた当時のオリンピックでは、日本は注目されていない国だった。欧米人とは体格にも差があり選手もまだまだ少なかったので、これは仕方ないともいえる。
そして迎えた1928年アムステルダムオリンピック。日本は陸上と水泳を中心に43人の選手が出場した。そして、日本史上初の金メダル獲得に至ったのだ。
陸上競技の三段跳びでのことだった。優勝候補だったフィンランドやオランダの選手たちを抑えて、当時早稲田の学生だった織田幹雄が自身の新記録でもある15メートル21を記録し優勝したのだ。
日本人初めての金メダリスト誕生という輝かしい瞬間だったが、主催者側ではまさかの出来事。緊急事態となる。日本人の優勝をまったく想定していなかったのだ。
そのため、表彰式で掲げる旗や流す国歌も用意しておらず、現場はてんやわんや。
国旗は応援用の旗を借りて急遽掲げたため、2位や3位の国旗よりはるかに大きなものがはためくちぐはぐな事態に。「君が代」の演奏も「さざれ石の」から始まるというアクシデントに見舞われる。
それほど織田をはじめとした日本選手団は、この大会で番狂わせな活躍を見せたのだ。
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【追加雑学①】アムステルダム大会にはもう1人の日本人金メダリストがいた
日本初めての金メダリストとして織田幹雄を紹介したが、実は同じ大会で、もうひとり金メダリストが誕生しているのだ。
競泳男子200メートル平泳ぎでの鶴田義行だ。鶴田は予選、準決勝と進むにつれてタイムを更新していき、決勝では当時の世界記録保持者を抑えて金メダルとなった。
決勝が行われたのが8月8日、織田が優勝を決めた三段跳びの決勝が8月2日だったため、奇しくも日本初の金メダリストとはならなかった。惜しい。
鶴田はこのあとも競泳界で大活躍し、アムステルダム大会の翌年には200メートル平泳ぎで世界記録を樹立する。1932年のロサンゼルスオリンピックにも出場し優勝、二冠を達成した。
なお、最終的にアムステルダム大会で日本選手団は、金メダル2個・銀メダル2個・銅メダル1個の活躍を見せた。ちなみにこのうち銀メダル1個は人見絹枝。日本人初の女性メダリストもこの大会で生まれたのだ。
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【追加雑学②】日本人が最もたくさんメダルを獲得した種目って?
アントワープオリンピックで熊谷一弥が日本初の銀メダルを獲得してから1世紀、日本のアスリートは進化し続けて、今では毎回たくさんの選手がメダルを獲得している。
これまでのオリンピックで日本人がいちばん多くメダルを獲得した種目はなんだろうか。
- 夏季オリンピックでは、体操98個・柔道84個・競泳80個。
- 冬季オリンピックでは、スピードスケート21個・スキージャンプ12個・フィギュアスケート7個。
体操が圧倒的に多いのがわかる。たしかに日本の体操は強いイメージ。毎回たくさんメダルを獲っている気がする。柔道は日本発祥のスポーツだし強いのも納得だ。
それにしても、こんなに得意なスポーツがはっきりと出るのは面白い。
雑学まとめ
今回の雑学はいかがだっただろうか。日本初の金メダルは予想外の出来事だった。
国旗も国歌も用意されないほどに注目されていないなかで、見事に2つの金メダルを獲得した日本のアスリートたち。
世界に引けを取らない堂々とした活躍っぷりだ。2020年の東京オリンピックでも、日本のアスリートたちの熱い闘いに期待したい。