突然だが、私は埼玉県草加市の出身である。草加市といえば草加せんべいが名産であり、むしろそれ以外を思い浮かべる人などまず皆無だろう。
他の街に比べると、せんべい屋が異常なほど多い土地柄だけあって、私はせんべいをかなりたくさん食べてきた。そして、せんべいの形といえば丸いものが圧倒的多数である。歌舞伎揚げなどの四角いせんべいもあるが、やはり少数派といえよう。
それでは、なぜせんべいには丸い形が多いのか? それにはちゃんとした理由があるのだ。
今回は、草加市出身の私がせんべいについての雑学を解説していきたいと思う。
【食べ物雑学】せんべいはなぜ丸いのか?
【雑学解説】せんべいの歴史は1人のお婆さんから始まった
そもそも、せんべいの始まりは、日光街道と奥州街道の宿場町であった草加宿にある。
かつて草加宿の辺りでは稲作がさかんで、それを使った団子などが旅人に売り出されていた。そのなかでも「おせん」というお婆さんが作っていた団子は評判がよかったが、売れ残った団子は川に捨ててしまっていたらしい。
だが、それを知った客から「団子を焼いて売れば、長持ちするからいいのでは?」と提案され、団子を薄く潰してから焼いて醤油で味付けをしたところ、かなりの評判となったそうだ。そして、「おせん」婆さんが作った餅なので「せんべい」と呼ばれるようになったのである。
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つまり、せんべいが丸いのは、団子を潰して作られたのが理由だった!
知ってみると、とても単純な理由だが、納得がいくものである…と、ここで1つ謝らなくてはならない。実はここで紹介した解説は、草加市民なら常識なのだ。
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【追加雑学】ぬれせんべいは失敗作がキッカケで生まれた
草加せんべいは、パリッと焼いたあの硬い触感が魅力の1つだが、それとは対極的な柔らかい食感で人気を博しているのが「ぬれせんべい」である。
いわゆる王道のせんべいとは違うベクトルのぬれせんべいだが、その誕生のキッカケは意外なものであった。
ぬれせんべいを生み出したのは、千葉県銚子市にある「柏屋」というせんべい屋。この店では普通の堅焼きせんべいを作っていたが、1960年(昭和35年)頃から、醤油が染み込みすぎた失敗作のせんべいを無料で客に配り出したという。
無料配布していた失敗作のせんべいであったが、思いがけずに大好評となり、1963年(昭和38年)には「ぬれせん」として正式に商品化されるようになったそうだ。その後、ほかの店も同様の商品を開発し、ぬれせんべいは銚子名物として定着していったらしい。
そして、ぬれせんべいが全国的に有名になったキッカケといえば、銚子電鉄の経営難問題だろう。
銚子電鉄とは千葉県銚子市を走る全長6.4kmほどの短い鉄道であるが、平成に入ってからは利用者が激減し、経営難に陥っていた。そこで1995年(平成7年)から、地元のせんべい屋の協力のもとに、ぬれせんべいなどを売る食品事業を開始。
この事業は銚子電鉄の大事な経営資源となっており、もはや本業が何屋なのかわからない状態である。
そして、2006年(平成18年)に社長による横領事件が起こると、運転資金が危うくなり、鉄道車両の法定検査ができないという事態に。そこで銚子電鉄は自社サイト上で「電車修理代を稼がなくちゃいけないんです」とのメッセージとともに、ぬれせんべいの購入を呼びかけた。
すると、この呼びかけがネット上で話題になり、ぬれせんべいの注文が殺到。その売上でなんとか車両検査の資金を捻出したものの、その後も経営難は続いているようである。
思わぬキッカケで全国区となったぬれせんべいだが、美味しくなければ、そもそも話題にはならなかっただろう。草加せんべいとは違った形で銚子市の名物となったぬれせんべいだが、どちらのせんべいも美味しいので、ぜひ食べ比べていただきたい。
雑学まとめ
今回は自分の出身地にまつわる雑学を紹介できて、とてもスッキリしている。
だが、東京駅などで草加せんべいが「東京名物」として売られているのは、地元を軽んじられているようで腹が立って仕方ない。
地元民としては、できれば東京名物と紹介するのは止めていただきたい…と切に願うものである。
話題になった映画「翔んで埼玉」にも草加せんべいが映ったシーンがあった。見たことなくて興味ある方はどうぞ!
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