「い~い湯だな~♪」と思わず歌いだしたくなる銭湯。最近ではめっきり数が減ってしまったが、それでも日本人と銭湯は切っても切り離せない仲ではないだろうか。
さて、銭湯といえば壁一面に描かれた富士山を思い浮かべる方も多いと思うが、この富士山、一体いつから描かれているのだろうか? というか、なんで富士山なんだろう?
う~ん、次から次へと疑問が出てくる。そこで今回は、銭湯に描かれた富士山の雑学を紹介していくぞ。銭湯好きの方は特に、注目してくれ。
【生活雑学】銭湯に初めて富士山が描かれたのはいつ?
【雑学解説】富士山が初めて銭湯に登場したのは1912年(大正元年)
銭湯に初めて富士山が描かれたのは、1912年(大正元年)。東京都千代田区猿楽町に「キカイ湯」という銭湯があり、そこの経営者の「子どもたちが銭湯に喜んで入ってくれるような銭湯にしたい!」という思いから実現したのが始まりだ。
当時は今のように一般家庭にお風呂がなかったため、人々の生活に銭湯は欠かすことのできない存在だった。別に銭湯に絵がなくてもお風呂には入れるが、やはりどこか味気ない。
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そこで、1日の疲れをとる銭湯で子どもは楽しく、大人にはゆっくりしてもらいたい、という粋な計らいで、銭湯の壁に絵が描かれるようになったというわけだ。
静岡県出身の画家に依頼したから、富士山の絵になった!?
銭湯の壁に初めてペンキ画を描くように依頼されたのは、静岡県出身の洋画家・川越広四郎氏である。
銭湯の壁に絵を描くという初めての試み。画家としては光栄だが、同時に何を描けば良いのかも非常に悩んだ。小さな子どもからお年寄り、男女関係なく喜んでくれるもの…。何があるんだろう。
そこで川越氏は、自分の故郷にある富士山をふと思い出した。富士山だったら老若男女問わず愛されている日本のシンボル。銭湯のお湯につかりながら目の前に富士山があるなんて最高じゃないか!!
と、思ったかどうかは今となっては分からないが(恐らくそうであろうといわれている)、そんないきさつで富士山が銭湯の壁に登場したのである。
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【追加雑学①】富士山の背景画には3つのタブーもある
銭湯と富士山というコンビは大当たりで、そこから先は、関東の多くの銭湯でも富士山が登場するようになった。ちなみに関東では銭湯の壁といえば富士山、というほど定番になっているが、関西にいくと必ずしも銭湯には富士山が描かれているというわけではない。
銭湯の富士山だが実は、描いてはいけない3つのタブーがある。
- 猿…客が去る
- 夕日…家業が沈む
- 紅葉…葉が落ちる、赤くなることから売上減少
…なるほど。銭湯といえども客商売。背景画であろうとも縁起が悪いものは避けたいと思うのは当然だ。
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【追加雑学②】銭湯専門のペンキ絵師は全国でたったの3人!
ペンキ絵師の中でも、銭湯という大きなキャンパスにペンキで絵を描くのはまさに職人技。その高い技術から、現在銭湯専門のペンキ絵師は全国でたったの3人しかいないと思われている。まずはその職人技を実際に見てほしい。
実に素晴らしい! これぞ職人技というにふさわしい。
この動画で職人技を披露しているのは、3人いるペンキ絵師の1人・丸山清人氏である。丸山清人氏といえば、元弟子・勝海麻衣氏(2019年4月5日に師弟関係解消)の盗作疑惑が記憶に新しいのではないだろうか。
この騒動をきっかけに、銭湯絵師を取り巻くごちゃごちゃとした人間関係も浮き彫りになった。結局のところ、誰が本当のところを言っているのかは分からないが、どの業界も人間関係は複雑だということを物語っている。
まぁ、何はともあれこの素晴らしい職人技だけは、後世に残していってほしいと心から思う。
【追加雑学③】銭湯が新しいビジネスにつながった
銭湯の壁に富士山の背景画を飾るというこの発想、これをきっかけとして新しい広告ビジネスも一時期広がっていた。
気になるビジネス内容はというと、広告代理店が銭湯専属絵師を抱え、広告料金が改定する時期にあわせ、無料で銭湯の絵を描き替えるというもの。
大正時代は現代と比べるとテレビやラジオが普及していなかった。そのため、多くの人々が集まる銭湯は格好のビジネスチャンスだったというわけだ。いつの時代も商売上手な人はいると感心してしまう。
雑学まとめ
銭湯の富士山についての雑学を紹介してきたが、いかがだっただろうか?
昔と比べると、今では銭湯に行く機会もめっきりと減ってしまったかもしれない。今後銭湯へ行き、富士山の背景画に出会ったとしたら今回の雑学を思い出し、富士山の絵に思いを馳せてほしい。今まで以上に、その芸術作品に感動できるはずだ。