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弓道の持久戦。江戸期に流行した"三十三間堂前通し矢"とは?

雑学カンパニー編集部

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「三十三間堂前通し矢」という競技があったという雑学

三十三軒堂の図 画:哥川豊春

古くは武士の間で戦の訓練および心身の鍛錬として広まった「弓道」。現在では心身の修養のほか、スポーツとしても広く知られている。

この弓道の歴史をひも解くと、戦国時代末期から江戸時代初期にかけて「通し矢」と呼ばれる競技が存在していた。なんでも現在の弓道とは違い、かなりの長期戦にもつれ込む競技だったとか。

弓道というと、一瞬の集中力が問われるイメージがあるが…長期戦とはどういうことだ? この記事ではそんな、江戸時代初期に流行した通し矢の雑学をご紹介しよう。

【歴史雑学】「三十三間堂前通し矢」という競技があった

信長さん
『通し矢』とは、一昼夜にどれだけ矢を射通したかを競う、江戸時代初期に盛んにおこなわれた競技だぞ。
秀吉くん
一昼夜?!一日がかりで矢を射るとか、気分は戦場じゃないっすか!

【雑学解説】「三十三間堂前通し矢」ってどんな競技?

「三十三間堂前通し矢」とは、京都蓮華王院・三十三間堂の西側の、南北長さ約120メートルある本堂前の軒下でおこなわれた、矢を射通す競技のことである。本堂の前で矢を射通すことから、別名「堂射(どうしゃ)」「堂前(どうまえ)」とも呼ばれた。

通し矢の起源は正確に明らかになっていないものの、平安時代末期、蕪坂源太(かぶらざかげんた)という者が三十三間堂の軒下を実戦用の矢で射通したのが始まりとする説がある。

江戸時代以前までは、武士が弓矢の上達をはかる目的で実施されていた「通し矢」だが、時代が下るにつれ、射手の心身修養の目的にくわえて、矢をどれだけ射通せるかの数を競うようにもなっていった。

通し矢の記録を著した『年代矢数帳』には、数を競う最初の記録として1606年1月19日、清洲藩士・朝岡平兵衛が、京都三十三間堂で100本中51本を射通したと残っている。

秀吉くん
51本っすか…。まぁ信長さんなら100本中80本くらいは余裕っしょ!
信長さん
え?!…ん…あぁもちろんな…。

そんな遠し矢のなかでも花形種目とされたのが、「大矢数」だ。大矢数とは、一昼夜にどれだけの本数を射通したかを競う、江戸時代初期に盛んにおこなわれた競技の一種である。

熾烈なライバル関係にあった2つの藩

江戸時代初期に、大矢数の記録をめぐって熾烈なライバル関係を繰り広げる藩があった。「尾張藩」と「紀州藩」である。

1669年、尾張藩士の星野茂則(ほしのしげのり)が総矢数10,542本中、8,000本を射通し天下一となった。しかし紀州藩もだまってはいない。

1686年になると、紀州藩の和佐範遠(わさのりとお)が、総矢数13,053本中、8,133本を射通して、最高記録を更新。このように的中数をめぐって、両藩はライバル争いをおこない、三十三間堂は天下一の技を競い合う舞台となったのである。

まさか記録が10,000本にも迫っていたとは…。両者の体力と集中力には感服させられる。

信長さん
これほどの数の矢を射ることができるとは…2人ともオレの部下に欲しいぞ。

だがその後、記録の頭打ちや、武士階級の経済状態の悪化、時代の変化などにより、次第に大矢数は衰退していく。そして江戸中期以降は、ほとんどおこなわれなくなったという。

なお、大矢数の会場となった京都蓮華院・三十三間堂の壁には、現在も無数の矢の傷が残っている。行かれた際はぜひ、その痕跡を探してみてほしい。

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【追加雑学】京都三十三間堂では通し矢にちなんだ「大的大会」が毎年開催されている

江戸時代中期以降はおこなわれなくなってしまった通し矢。しかし、現在でも通し矢にちなんだ競技が開催されている。毎年1月に京都蓮華院・三十三間堂の弓場で開催される「大的(おおまと)大会」である。

新成人らが色鮮やかな晴れ着姿で参加するとして、たびたびニュースに取り上げられているため、ご存知の方もいるだろう。ここで2019年に開催された映像をご覧いただこう。参加者の真剣な眼差しが印象的だ。

秀吉くん
晴れ着姿の若い女の子の弓を射る姿…こりゃたまらんっすね!僕も射られたいっすよ!!

2019年の参加者は、なんと約1,600人にのぼったという。大矢数と異なり、この大会では60メートル先にある直径1メートルの的をめがけて矢を放つ

江戸時代当時は距離がこの倍も離れている的を狙っていたわけだから、武士のすごさを思い知らされる…。念のためいっておくが、大的大会は一昼夜を通しておこなわれたりもしないぞ!

ちなみにこの大会は、平安時代からの伝統をもつ儀式「楊枝のお加持(やなぎのおかじ)」が開催される同日に催される。

楊枝のお加持とは、三十三間堂でおこなわれる法要のことで、観音様に祈願した浄水を、楊の枝で参拝者に注ぐことで、諸病を除く効果があるとされる供儀だ。

京都の1月の風物詩にもなっているこの大会。晴れやかな衣装を身にまとい、弓を手に真剣に的をねらう参加者の様子を、一度は間近で観たいものである。

信長さん
俺、上京してから焼き討ちしたり本能寺で死んだりで京都にはろくな思い出がないが、久しぶりに京都に行きたくなったぞ…。

雑学まとめ

「三十三間堂前通し矢」についての雑学、いかがだっただろうか。江戸時代初期に盛んにおこなわれた「三十三間堂前通し矢」は、一昼夜にも及ぶ開催、8000本を上回る的中記録が残るなど、現代ではとても考えられない競技だった。

通し矢にちなんだ「大的大会」が今でもおこなわれているのも、当時の大記録があってこそではないだろうか。

しかし文章にすると何とも味気ない印象になる…。「大矢数」の面白さや奥深さが堪能できるマンガ作品を描いてくれる先生はどこかにいないものか…。もしかすると、大変な人気が出るかもしれないぞ!

信長さん
サル、お前最近全然弓矢なんて触ってないだろ?平和ボケせずに精進しろよ、このハゲネズミ。
秀吉くん
いきなり暴言?!…っていうか僕、サルなんっすか、それともハゲネズミなんっすか…?

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