外国でも日本語が通じることがある。「KAWAII」や「MANGA」などがその代表的なものだろう。日本ならではのものが外国でも通じることがあれば、意外な言葉が通じることもある。
それが、「TSUNAMI」。そう、地震などが起こったことにより、大きな波が起こるあの恐ろしい現象だ。
どうしてこの言葉が外国でも通じる言葉になっているのだろうか? それには、1人の作家が関係していた。
今回は、そんな「TSUNAMI」についての雑学を紹介しよう。
【自然雑学】「TSUNAMI」は世界共通語
【雑学解説】小泉八雲が伝えた世界共通語
小泉八雲は、本名をラフカディオ・ハーンといい、ギリシャ生まれの人物である。日本人女性と結婚し、日本の国籍を取得したことで「小泉八雲」と名乗るようになった。
日本では主に小説家として知られているが、日本学や日本民俗学など、様々なジャンルで活躍した人物でもある。
彼の著作で代表的なものといえば、怪談にまつわるものだろうか。有名なところだと「雪女」がそうだ。小泉八雲は欧米に日本を紹介する本を多数執筆しており、その中の1つに今回の話題にある「TSUNAMI」を広めた話がある。
その話が「生き神様(A Living God)」。人によっては「稲むらの火」と言えばピンとくるかもしれない。そこで「TSUNAMI」という言葉が海外で紹介されたので、「津波=TSUNAMI」という認知が広まったのだ。
小泉八雲が「生き神様」の話を海外に伝えていなければ、「津波」という言葉は別の英語に置き換えられていただろう。文学が言葉を広めるのにいかに大きな力を持っているのかが分かる話だと思う。
それでは、「生き神様」とはどんな話なのか…。詳しく紹介しよう。
「生き神様」のストーリー
舞台は現在の和歌山県。そこに浜口五兵衛(はまぐちごへえ)という村の長者がいた。ある年、稲が多く実り、お祭りが盛大に行われる予定だった。しかし、日が暮れたころ、大地震が起こる。
長者の五兵衛は、「この揺れは遠くで起こった地震だ。まさか…!」と嫌な予感がした。高台に家を構えていた五兵衛は、孫のタダに海の様子を見てもらう。
タダ曰く、「波が沖に引いていく。海の底が見える」
津波の前兆だった。
早く村人たちを避難させないといけない。しかし、老いた五兵衛は村まで走ることができない! 山寺の鐘を鳴らして知らせようと思うにも間に合わない!
タダに知らせてもらおうか…いや、タダはまだ幼い子供だ! もしかしたら津波が来るということをうまく説明できず、相手に伝わらないかもしれない!
悩んだ末に五兵衛が考えたのが、稲を燃やすことだった。孫が止めようとも、五兵衛は稲を燃やす手を止めない。どうして稲を燃やしたのか…。
それは五兵衛の住む村では、火事が起きたらみんなで消すのが決まりだったからだ。
つまり、わざと火事を起こして村人たちを高台にある自分の家に呼び寄せたのである!
五兵衛が思った通り、村人たちは全員集まってきてくれた。そしてそのあと、津波が村を襲ったのだ。
五兵衛がどうして稲に火をつけたのか…。その意味を理解した村人たちは、五兵衛を「浜口大明神」として、彼をまつる神社を建てたのだった。
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【追加雑学①】「生き神様」は実話をモデルにしてる!
津波の恐ろしさと、迅速な非難の大切さを教える「生き神様」。実は、実際にあった話をモデルにした話である。
五兵衛のモデルとなったのが、ヤマサ醤油7代目当主だった浜口儀兵衛(はまぐちぎへえ)。しかし、物語とは違い、神として祀られることを固辞しているなど違う部分はある。
儀兵衛は震災後、私財をなげうって広村堤防を修造(つくろい直すこと)した。この堤防は当時最大級のものであり、着工から91年後に起こった昭和南海地震の津波を食い止めたという実績を持っている。
上の動画は広川堤防の動画だ。一見すると何の変哲もない堤防だが、これが大地震による津波から、多くの人たちを守ったと考えると感慨深いものがある。
「生き神様」の五兵衛も機転を利かせた凄い人物だったが、モデルとなった儀兵衛も村の人たちのために偉業を成し遂げた人物だと思う。まさに尊敬に値する人物と言えるだろう。
【追加雑学②】海外の教科書にも載っている!
「生き神様」は1937年に「稲むらの火」というタイトルで、中井常蔵(なかいつねぞう)によって児童向けに翻訳・再構成された。
この「稲むらの火」は、なんと海外の教科書にも載っている。2004年にスマトラ島沖地震が起きた際も、防災教材として注目されたほどだ。世界中の多くの人たちが、この話を知っているということになる。
ちなみに、国内でも「稲むらの火」は1947年まで国語の教科書にも載っており、防災についての話として高い評価を得ていた。しかし、広村堤防が役立った翌年の1947年、教科書から「稲むらの火」は除外されることになってしまう…。
それから長い年月が経ち、現代でも「稲むらの火」が国語の教科書に復活することになったのだが、その復活した時期が2011年4月からだった…。そう、東日本大震災より後の話である。「あとの祭りではないか」と言いたくなる話だ。
自然の猛威に人は太刀打ちできない。その脅威は年月が経てば忘れてしまう。津波の脅威や避難の大切さを理解するためにも、こういった話は教科書にずっと残しておいてほしいものである。
雑学まとめ
「TSUNAMI」という言葉は世界共通語であるという雑学をご紹介した。
共通語になったきっかけは、作家・小泉八雲が書いた「生き神様」が海外で紹介されたから。この話は「稲むらの火」として再構成されたのち、海外の教科書に載せられるほど高い評価を得た。
日本でも、東日本大震災のあととはいえ、国語の教科書に載るようになった。津波の恐ろしさ、初動の大切さを教えてくれる「生き神様」。この物語を語り継ぐことも大切だと私は思う。
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