村八分(むらはちぶ)とは、村社会の掟を破ったものに対して制裁を加えることを意味する。簡単にいうと、村社会でのいじめのことを指す。
いじめなんて受けたくないものだが、村八分は特に、村という狭い世界の中でいじめにあうため、かなり辛いものであるらしい。
しかし、なぜ村でのいじめのことを「村八分」というのだろう。わからないのは「八分」の部分だ。というわけで今回の雑学では、村八分の「八分」の由来についてご紹介しよう。
【生活雑学】「村八分」の「八分」の意味とは?
【雑学解説】村八分の意味と時代背景
昔の農村や漁村では、農耕や漁業といった収穫の作業は、村の人たち全員での共同作業を基本としていた。
そのため、収穫以外の日常的な作業にあっても、お互いに助け合う文化が形成されていたのだ。
昨今の日本では、核家族化が進み、ご近所さんとの付き合いも疎遠になり、孤立する家庭が増えていることが問題になっている。
高齢者の単身世帯でそのような状況に陥ると、非常にまずい。家の中で倒れても誰も気づかず、死体となって発見されるというケースも少なくない。
ということで、お互いに助け合う意識をもとうと声高に叫ばれているが、考えてみれば、昔の村社会では自然とできていたことだったのだ。
しかし、村の中にもいろいろな人がいるわけであって、そういつも仲良くしてもいられない。ときにはルールに従わない者なども出て、そうした人を仲間はずれにすることもあったようだ。
これがいわゆる「村八分」のわけだが、情か情けか、全ての行事から除け者にするわけではなく、仲間はずれにしない行事もいくつか残してあったそうだ。
それが村八分の語源と深く結びついていている。
日常生活のことも共同でおこなっていたと申し上げたが、それは、ちょっとした家事の手伝いや家の修理のようなものから、いわゆる「冠婚葬祭」にいたるまで、さまざまなものであった。
その行事を分類すると、「冠・婚・建築・水害・病気・旅行・出産・年忌・火事・葬式」の計10個に及ぶわけだが、村八分では、その中の2つ「火事・葬式」だけは、一緒になってやってあげていたそうだ。
優しいのか厳しいのかよく分からないスタンスだが、実際のところ、葬式と火災の2つを放置してしまうと、延焼したり伝染病の原因となったりしてしまうという理由があったらしい。
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【追加雑学】実際にあった村八分の事件
紹介した通り、村八分にあっても葬儀には来てくれるのが通常なのだが、なかには葬儀さえも無視されるというひどい事例もあったようだ。
奈良県天理市で起きた事例で、事の経緯は以下の通りである。
夫婦は1992年に地域に転入して以来、自治会費の協議費用を自治会に払い続けてきた。それなのに自治会は、夫婦が集会や祭りに参加することを認めなかった。
それどころか、市の広報紙や回覧板も届けず、全くの孤立した状況に置いたとのこと。こうした扱いに疑問を膨らませた夫婦は、2012年に協議費の支払いをやめた。
当然のことだ。そんなひどいことをする自治体に金など払う必要はないだろう。
そのことに腹を立てたのか定かではないが、翌2013年に行われた夫妻の母の葬儀には、自治会の役員をはじめ、周囲の住民は誰も来なかったのだ!
これは本当に許せない事態だな。被害者にとっては、はらわたが煮えくり返るような思いだっただろう。
しかし、村が少なくなった現代において、このような陰湿な事件が起こっているとは、人間とは怖いものだと感じてしまう。
「村八分」の雑学まとめ
村八分についての雑学をご紹介してきたが、いかがだっただろうか。村八分の八分とは、いろいろな行事のことなのだ。
具体的には「冠・婚・建築・火事・水害・病気・葬式・旅行・出産・年忌」という、村のみんなが共同で行う10の行事から「火事と葬式」の2つを除いたものである。
火事と葬式以外の8つの行事については手を貸さず仲間はずれにしていたことから、今のように、仲間外れを意味する言葉となったのだ。
それにしても、村八分には遭いたくないものだ。田舎暮らしは自然があって住みやすいと思っていたが、このような陰湿な人間関係があると思うと敬遠してしまう…。