1周29駅を約1時間で回る、東京の大動脈であるJR山手線。30番目の駅で開業する『高輪ゲートウェイ駅』の名称がダサいと改名希望の署名活動まで行われ、ネットで話題を集めた。
そんな山手線だが、東京・上野・池袋・新宿・渋谷・品川を渡り、東京駅に戻る環状運転をしていることはご存知であろう。
しかし、実際の山手線は東京駅が始発駅ではなかった!?
【生活雑学】山手線にも始発と終点がある
【雑学解説】山手線開業の歴史
JR東日本の前身でもある日本鉄道(のちの日本国有鉄道)、上野から青森までを結ぶ東北本線を建設途中であり、建設資材を運ぶために、品川から赤羽までを山の手にして線路を建設したのが始まりである。
当時は電車ではなく蒸気機関車での運行であるため、東京経由にしなかったのは蒸気機関車からの噴煙を避けるためといわれている。
また、品川駅構内には山手線起点を示す0kmポストが内回りホームに設置してあり、品川駅が山手線の起点であることが証明できる。
こちらが、現在の山手線にいたるまでを順に説明してくれる動画だ。
なぜ「山手線」と呼ばれるようになった?
山手線は、当時東京都の人口密集地であった下町を避けて、建設することとなった。山手線と呼ばれるようになったのは、山に近いところや住宅街のことを『山の手』と呼んでおり、そこから名前を拝借して、山手線と呼ぶようになった。
オフィス街や観光スポットを通る山手線であるが、恵比寿や駒込を降りて、一歩駅から離れるとマンションや住宅街に抜け出てくる。また空襲を逃れた住宅街も数多く存在し、まさに『山の手』に作られた路線だったのだ。
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【追加雑学】正式路線としての山手線は、品川から田端までの20.6km
山手線の正式な路線としては、品川から大崎・渋谷・新宿・池袋を経由し、田端までの20.6kmなのだ。
1885年に開業し、東京の都心や住宅街、会社勤めの通勤電車や観光客の足として活躍している山手線。今後も多くの人たちが山手線を利用することだろう。
環状運転が始まったのは開業から53年後
開業当時、山手線は品川から池袋までが山手線、池袋から田端までは豊島線と呼ばれていた。当初は東北本線で使用する資材を運搬するために運行が開始されていた。
しかし時代が進むに連れて人口が増え、乗客輸送としての運行が多くなり、1925年に御徒町駅が開業すると山手線は環状運転を開始。山手線が開業して53年後のことであった。
そのため、路線名を統一するため、田端から品川の区間も『山手線』という名称が使用され、現在の山手線の名称と運行形態が出来上がった。
また東海道本線と東北本線は、長年東京駅もしくは上野駅を発着駅としていたが、近年上野東京ライン、湘南新宿ラインの開通によって直通運転を開始。これによってJR関東圏内を一本のレールで運行するネットワークが完成したのだ。
環状運転が始まる前は『の』の字運転だった
山手線が環状運転を始まるまでは、『の』の字をかたどった運転方法をしていたのをご存知だろうか。運行経路はこうなる。
『中野ー新宿ー御茶ノ水ー東京ー新橋ー品川ー渋谷ー新宿ー池袋ー田端ー上野』
中野から東京までは現在の中央線が運行しており、1919年旧万世橋駅から東京駅まで開通した結果、『の』の字運転がスタートしたのだ。
今となっては、中央線が走っている線路に山手線が通っていたというのは、誰も想像できない話だろう。
山手線の雑学まとめ
東京の大動脈である山手線に、起点と終点があったという驚きのトリビア。誰もがあたり前に利用している山手線の意外な雑学、誰かに披露すると一目置かれるかも!
現在の山手線にいたるまでの歴史も知ることができたので、今度の休日、このページを片手に山手線をぐるりと回り、各駅周辺をぶらりとプチ旅行してみようと思った筆者であった。