座敷わらしというと、妖怪のなかでもポジティブな印象を持つ人が多いのではないか。言い伝えでは、見た者に幸運をもたらす、住みついた家に富をもたらすなどとされている。
実は筆者もその能力にあやかりたいと思い、駄菓子の詰め合わせを部屋の隅に供えておいたことがある。まあ、結局我が家には来てくれなかったが。…高級菓子のほうがよかったのか?
さて、このように一般的にはいい妖怪と認識されている座敷わらしだが、実はそんなにいい妖怪ではなかった!? …というのが、今回の雑学である。
【サブカル雑学】座敷わらしはいい妖怪ではない?
【雑学解説】岩手県遠野市の恐ろしい座敷わらし伝説
岩手県遠野市には、座敷わらしに関する伝説が2つ残されている。実はその2つともが、我々の想像する座敷わらしとは似ても似つかない、まがまがしい様相で描かれているのだ。
- 昔とある土蔵から、夜中に2~3日続けて恐ろしげなうなり声が聞こえており、それ以来その近辺に、「黒い獣か、子どものような何か」が徘徊しだした
- 夜、ある屋敷に泊まりに来たその家族の親戚が奥座敷に寝ていると、ふすまの隙間から白い手がスッと伸び、手招きをしていた
ひとつ目の話は本当に座敷わらしなのか? と思わされるが、ちゃんと座敷わらしとして言い伝えがされている。
ふたつ目に関しては、白い手にもいろいろあるし…子どもの手だったなら座敷わらしかもしれない。しかしなんとなく、近付いたらあの世へ連れて行かれそうな怖さを感じる。
たしかにどちらも座敷わらしと伝わってはいるが、決していい妖怪には思えないぞ! その姿がハッキリしないのがとにかく不気味だ。
座敷わらしの起源は恐ろしい
諸説ある座敷わらしの起源にも、恐ろしいものが多数存在する。以下よりいくつか紹介していこう。
口減らしで死んでしまった子供たちの霊魂
江戸時代の日本は子だくさんだったというが、これは無事、大人になれる子どもの数が少なかったからだ。誰かが跡取りになれればとたくさん産んだはいいが、貧しさのあまり、食費のかかる子どもを殺してしまうことも珍しくなかった。
そうやって死んでしまった子どもたちは、墓を作られることもなく、家の軒下などに埋められる。その霊魂から生まれた妖怪が座敷わらしだという。
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家を建てた大工の呪い
江戸時代の大工は、依頼主に気に入らない部分があると、作った家自体に呪いをかけることがあったのだとか。その方法は「木の欠片で人形を作り、その家の下に埋める」というもの。その呪いが座敷わらしとなって、建てた家に現れるというのだ。
依頼主を呪うだなんて…当時の大工はあまりいい扱いじゃなかったのか? とにかく呪いから生まれたというなら、幸運を呼ぶとは到底思えない。
遠野市の伝説やこれらの起源を合わせると、やはりいい妖怪ではないのか?
【追加雑学】ポジティブイメージな座敷わらしは作られたもの
幸せを呼ぶという話がかなり怪しくなってきた座敷わらし。ここでネタバラシだ。
世間一般のイメージである「幸せを呼ぶ座敷わらし」は実は古来からの伝承ではなく、とある民俗学者により作られたものだった。
東北地方に伝わっていた座敷わらしの存在は、明治時代の民俗学者・柳田國男が記した『遠野物語』により全国区に知られることとなった。
その際彼はこの遠野物語に収録する座敷わらし伝説に、上記で紹介したような話を一切載せず、かわいらしい子どもの妖怪の言い伝えのみを掲載したのだ。つまり言い伝えのうち、自分好みのものだけを世間に知らしめたのである。
あえて闇の部分を隠したことは、民俗学者のスタイルとしては疑問の残る節もある。しかしそのお陰で座敷わらしはハッピーな妖怪になり、一躍人気者になることができたのだ!
もしかすると世間からの注目を浴びて、悪者からイメチェンした座敷わらしもいるかも?
雑学まとめ
元を辿れば座敷わらしは幸運を呼ぶ妖怪ではなく、ほかの妖怪となんら変わらない、恐ろしい姿で描かれたものが多かった。
しかしながら柳田氏が広めたものは、伝承にも少なからず影響を受けているはずだから、今のイメージのすべてが間違いというわけでもなさそうだ。
まあどちらにしても正体がよくわからないので、あらためて座敷わらしが家に来なくてよかったと胸をなでおろす筆者であった。