人間機関車。かつてそう呼ばれていた男がいたことをご存知だろうか。
その男の名は、エミール・ザトペックである。はじめて名前を聞いた、という人も多いだろう。
実は彼、オリンピックの長距離で3冠を達成したすごい陸上選手なのだ! 金メダルをとること自体すごいことなのに、まさか3冠とは…。今回は、伝説の陸上選手・エミール・ザトペックの雑学を紹介していくぞ。
【オリンピック雑学】長距離で3冠を達成したエミール・ザトペックとは?
【雑学解説】エミール・ザトペックが3冠を達成したヘルシンキオリンピック
エミール・ザトペックは、1922年にチェコスロバキア(現・チェコ)で産声をあげる。彼が陸上をはじめたのはひょんなことであった。19歳のとき、当時働いていた工場の実業団のコーチから「陸上競技の試合に出るように」と言われたのだ。
当初、本人はあまり乗り気ではなかった。いきなり「試合に出ろ」と言われてたら誰だって困惑するだろう。仕方なく試合に出場した彼だが、なんと100m走で2位に入ってしまう!
いきなり才能が爆発したわけだ。
そんな彼は1948年にロンドンオリンピックに出場し、10000mで見事金メダルを獲得する。そして、その4年後。ついに伝説の長距離3冠を達成するヘルシンキオリンピックがやってくる。
ヘルシンキオリンピックとは、1952年に現在のフィンランドで行われた夏季オリンピックである。エミール・ザトペックは自身2度目となるこのオリンピックにおいて、5000m・10000m・マラソンで金メダルを獲得した。
オリンピックにおける長距離3冠記録はいまだに破られていない! 彼がどれだけすごい人物かということが分かる。今後この記録に並ぶ選手が出てくるのか楽しみである。
ちなみに、エミール・ザトペックが「人間機関車」と呼ばれるようになった理由は、苦しそうな表情で喘ぎながら走るからだそうだ。彼の走りはこの動画で確認できるぞ!
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【追加雑学①】エミール・ザトペックはある日本人選手に憧れていた
エミール・ザトペックは、ある日本人選手に憧れていた! その日本人選手とは村社講平(むらこそこうへい)氏である。
村社氏は宮崎県出身の長距離陸上選手で、中央大学在学中にベルリンオリンピック(1936年)に日本代表として出場した。そして、5000mと10000mで見事4位入賞を果たした。メダルには届かなかったが、これを見ていたが少年時代のエミール・ザトペックは強く感銘を受けたそうだ。
村社氏は、大学在学中に箱根駅伝に出場したこともある。現役引退後は毎日新聞の運動部記者として活躍。エミール・ザトペックが3冠を達成したヘルシンキオリンピックでは、日本代表のコーチをつとめている。
【追加雑学②】エミール・ザトペックの妻もオリンピック選手
なんと、エミール・ザトペックの妻もオリンピック選手なのだ! エミール・ザトペックの妻、ダナ・ザトペコワ は、同じくチェコスロバキアの陸上競技選手であった。
彼女はヘルシンキオリンピック(1952年)の女子やり投げで金メダルを獲得。さらに、ローマオリンピック(1960年)の女子やり投げで銀メダルを獲得している。
まさか夫婦そろって同じオリンピックで金メダルを獲得したなんて。陸上競技界の歴史に名をきざんだ最強の夫婦である。
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雑学まとめ
今回は、オリンピックで3冠を達成した陸上選手、エミール・ザトペックの雑学を紹介してきた。長距離3冠記録はいまだに破られておらず、彼がどれくらいすごい選手だったかということがよく分かる。
そんなすごい選手が尊敬していたのが日本人選手というのはなんだか嬉しい。そんな彼らは、1981年に行われた多摩ロードレースで夢の競演を果たしている。これはエミール・ザトペックの強い要望を受けて実現したらしいぞ。
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