母の日の贈り物として、定番なのがカーネーション。しかし、なぜカーネーションが定番となっているのだろうか? 花として人気の高いバラが定番になっても良いと思えるのだが、そう思うのは私だけだろうか?
母の日の定番の花がカーネーションになったのには、母の日が生まれた経緯に関係している。
この雑学を知ると、もしかしたら母の日にカーネーションを贈りたくなるかもしれない。
【生活雑学】母の日にカーネーションを贈るのはなぜ?
【雑学解説】カーネーションを母の追悼に配ったことが由来
母の日の由来となった出来事は、1907年のことだった。この日は、アンナ・ジャービスという女性の母親である、アン・ジャービスの追悼会だった。
アン・ジャービスというのは、アメリカの南北戦争にて、負傷者のケアをしていた女性だ。彼女は「マザーズデー・ウォーク・クラブ」という団体を立ち上げ、負傷者の衛生環境を改善させる運動をしていた。
このほかにも、平和活動や教育支援など、様々な活動を行っていた。
そんな彼女が亡くなって2年たった、1907年5月12日。アン・ジャービスの追悼式にて、アンナ・ジャービスが、参加者に白いカーネーションを配った。このカーネーションは、母だったアンの好きな花だったのだ。
そして、「母の日」がアメリカ全土でお祝いされるようになると同時に、カーネーションが母の日のシンボルとして親しまれるようになった。
きっかけが「母親が好きだった花」というのは、なんとも興味深い。もしも母親が好きな花がヒマワリやチューリップだったら、母の日の定番の花は違っていたのかもしれない。
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【追加雑学】日本の母の日の歴史
さて、それでは追加雑学として、日本における「母の日」の歴史を簡単に紹介していこう。
最初に日本に「母の日」が伝わったのは、1913年のことだった。青山学院に、アンナ・ジャービスから手紙が届いた。アンナの「母の日」に関する考えに共感した青山学院の女性宣教師たちを中心とした働きかけで、主にキリスト教会で行われるように。
そして、1931年に大日本連合婦人会が結成され、母の日を、「当時の皇后の誕生日である3月6日にしよう」という働きがあったのだが、その日に母の日が定着することはなかった。
さらに1937年の5月8日には、お菓子業界の森永が、「森永母の日大会」というイベントを開催した。
森永は、イベントの告知ポスターを貼った菓子店で招待券を配り、お母さんと子供たちを無料で招待。開催地である豊島園で、遊具で遊んだりボートを漕いだりと、親子で楽しむイベントとなった。
そして、戦争突入で一時は母の日のお祝いがなくなるが、1947年にアメリカと同じように5月の第2日曜日に母の日を設けることとなって今に至る。
最終的には、森永の営業作戦で広まったようなものだ。しかし、森永のイベント開催が無ければ、母の日は一部の人たちがするマイナーな行事となっていたのかもしれない。
雑学まとめ
母の日にカーネーションが定番となったのは、母の日の起源となった母親の追悼会にカーネーションが使われたことに由来する。その母親が好きだった花が、たまたまカーネーションだったのだ。
ちなみに、キリスト教では「聖母マリアが落とした涙からカーネーションが咲いた」という話がある。宗教的に見ても、母性愛の象徴としてカーネーションは適していたのだろう。
今回の雑学を知ると、母の日には母の愛への感謝として、1輪でもいいからカーネーションを贈りたくなる。
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