世界中で絶大な人気を誇るブランド「ルイ・ヴィトン」。元は、荷造り用のトランクを作る職人だったルイ・ヴィトンが設立したブランドである。
バッグや財布がメジャーだが、見れば誰もがルイ・ヴィトンだと分かる独特なデザイン。これぞルイ・ヴィトンだ! と主張しているかのような「L」と「V」を重ねたモノグラム。このあまりにも有名なモノグラムのルーツが、なんと日本の家紋だというのだ!
日本人としては、なんとも誇らしい話である。今回は、世界中に自慢したくなるようなルイ・ヴィトンのモノグラムと、日本の家紋にまつわる雑学を紹介していくぞ!
【生活雑学】ルイ・ヴィトンのモノグラムは、日本の家紋がルーツ
【雑学解説】ルイ・ヴィトンのモノグラムは、家紋をモチーフに作られた
言わずと知れた高級ブランドであるルイ・ヴィトンだが、始まりは160年ほど前。創業者のルイ・ヴィトンが作った旅行用カバンが、万国博覧会で高い評価を得て、世界的に有名になった。そして、当時の王様や貴族にも愛される高級ブランドになったのだ。
しかし、この人気にあやかろうと、今でいうコピー商品が出回り、ルイは頭を悩ませていた。昔も今も、人間の考えることは似ている…。儲かっている商品にそっくりな物を作って、稼いでやろうという商売人が出てくるものなのだ。
ルイの息子で、ルイ・ヴィトン社の2代目を継いだジョルジュは、コピー商品防止のために今でも人気を誇る新作を発表した!
- ダミエ・ライン…二色の正方形が格子状に並んだ、日本の伝統的な市松模様がヒントとなった。
- モノグラム・ライン…日本の家紋をモチーフにして、ロゴや模様が作られた。
イニシャルの「L」と「V」を重ねたモノグラムや、ちりばめるように描かれた模様は、当時の職人が一つ一つ手書きで描き上げた。これでコピー商品は激減したという…。特に「モノグラム・ライン」はパリで大変な人気となり、ルイ・ヴィトンの大ベストセラーになったのだ。
こうなると、日本の家紋がかっこよく見えてくるのは私だけだろうか。
【追加雑学①】ルイ・ヴィトンだけじゃない!当時、ヨーロッパでは日本ブームだった
当時のヨーロッパでは、ジャポニズムと呼ばれる日本ブームが起きていた。日本の美術や文化が大きな刺激を与えたのだ。日本の伝統工芸品や美術品は大変な人気であり、熱狂的な日本熱が起こっていたというから驚きである。
ゴッホやモネも…
当時の日本ブームで影響を受けたのはルイ・ヴィトンだけではなかった。特に浮世絵は、ヨーロッパの画家たちに衝撃を与えたようだ。かの有名なゴッホやモネも魅せられ自分の作品に取り入れていったという…。
すごいぞ日本!
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【追加雑学②】ルイ・ヴィトンと家紋の出会い
では、ルイ・ヴィトンと日本の家紋はどこで出会ったのだろう…。
このころ欧米では、万国博覧会が催されるようになっていた。
1867年のパリ万国博覧会に実は日本も出展しており、このときにルイ・ヴィトン社の関係者が家紋を目にしたのだろう。家紋を斬新なデザインとして取り入れたことに、やはりセンスを感じてしまう…。
【追加雑学③】ルイ・ヴィトンのモノグラムは薩摩藩の家紋!?
日本が初めて参加したパリ万国博覧会に、江戸幕府・薩摩藩・佐賀藩がそれぞれ出展した。その際、薩摩藩が出展した「白薩摩」という陶芸品が大絶賛を浴びる。
このときに見た薩摩藩島津家の家紋をヒントに描かれたのが、モノグラムデザインの、丸の中に星を描いたマークだ。
これがルイ・ヴィトンの代表的なモノグラム柄だ!
このモノグラム・ラインのバッグや財布は、男女問わず非常に人気がある。
こうして見てみると、たしかに家紋に見えてくる。考えたこともなかったが、わりと和柄っぽいのね…。
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雑学まとめ
今回は、ルイ・ヴィトンのモノグラムについての雑学を紹介した。
今の私たちの生活や習慣・国の制度などは、明治時代に西洋から入ってきた文明が大きく影響している。
しかし、その一方で日本が西洋に影響を与えたものもたくさんあったとは…。単に海外の高級ブランドとしか思っていなかったルイ・ヴィトンが、なんだか身近に感じられて誇らしい。