泥棒といえば、緑色にグルグル巻きを描いた唐草模様の風呂敷。口の周りにぐるりとヒゲを生やした人がこれを背負っていれば、もう「泥棒です!」と自己紹介しているようなものだ。
しかし…冷静に考えてそんな泥棒がいるはずがない。だってどう考えても目立つし、自分から泥棒のイメージがあるものを背負わなくっても…ねえ…。
…ん? なら、「泥棒=唐草模様の風呂敷」というイメージはどこから来たものなんだ?
それが実は、泥棒が実際に唐草模様の風呂敷を使っていた時代があったというぞ! 今回はそんな泥棒と唐草模様の風呂敷の関係にまつわる雑学を紹介する。
【生活雑学】泥棒が唐草模様の風呂敷を持っているのはなぜ?
【雑学解説】唐草模様の風呂敷は明治~昭和の大ヒット商品。どこの家にでもあった!
「泥棒=唐草模様」の理由については、NHK総合の情報番組「チコちゃんに叱られる!」2018年4月20日ぶんの放送にて、日本風呂敷協会の小山祥明さんが解説してくれていた。
なんでも泥棒に唐草模様の風呂敷のイメージがあるのは、明治~昭和にかけて、実際にこの模様の風呂敷が泥棒の御用達グッズだったからだという。
とはいっても、泥棒が七つ道具のように風呂敷を持ち歩いていたわけではない。
この時代、唐草模様の風呂敷は大ヒット商品で、どこの家にも置いてある代物だった。そのため、当時の泥棒は人の家に忍び込むと一番に風呂敷を探し出し、盗んだものを包んで持ち帰るのに使っていたというのだ。
唐草模様の流行のピークは昭和40年ごろで、なんと180cm幅の大判風呂敷が年間150万枚も売れていた。
現代じゃそんなでかい風呂敷を持っている人のほうが少ない気がするが、当時は全盛期のB'zにも匹敵するミリオンセラー。街を歩いてもみんな唐草模様の風呂敷を使っているから、盗んだあとのカモフラージュにもばっちりだったのだ!
さすがに泥棒がみんなその手口を使っていたというは誇張されている部分もありそうだが、泥棒にとって唐草模様の風呂敷が都合のいいアイテムだったことに違いはなさそうだ。
風呂敷の定位置はタンスの一番下。泥棒が最初に開けるのも一番下。
上記のような泥棒の盗みの手口は、実は当時のタンス文化にもそぐった合理的な手法だ。
古くから、タンスは上の段から「高価なもの→普段使いするもの」という順番にものをしまう風習があった。それこそ当時のカバン代わりだった風呂敷は普段使いグッズの代表格で、だいたいはタンスの一番下の段が定位置だ。
そして泥棒は盗みに入るとき、タンスは必ず一番下の段から開ける。
これは上の段を開けてから下の段を開けようとすると、いちいち上の段を閉めてから開けないと中身が確認できないためだ。泥棒はスピード勝負なので、空き巣に入った家で二度手間を踏んでいる暇はないのである。
そう、偶然にも風呂敷はこの泥棒の時短テクニックと相性がよく、たいてい彼らが一番最初に開ける引き出しに入っていたのだ! …なら、当時は風呂敷をイレギュラーな場所に隠しておくだけで防犯になったかも…?
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【追加雑学①】唐草模様の風呂敷はなぜ流行ったの?
さて、明治~昭和にかけて、唐草模様の風呂敷が泥棒の御用達グッズになった理由が当時のヒット商品だったからだというなら、なぜそこまで流行したのかも気になるところだ。これは唐草模様の以下のような特徴からだった。
- 唐草模様には「長寿」「子孫繁栄」などの意味があり、縁起がいいとされていた
- 模様がシンプルなため布を繋ぎ合わせても不自然にならず、生産がしやすかった
それぞれの理由を詳しく見てみよう。
唐草模様は縁起がいい
主に室町時代から使われ出した風呂敷は、兼ねてから無地なや縞模様など、シンプルなものがほとんどだった。
それが江戸時代には植物をモチーフにしたものが出回るようになり、また時代を追うごとに人々はその植物柄に縁起の意味を求めるようになる。料亭のコース料理の名前によく使われる「松・竹・梅」も縁起物の象徴だよね。
唐草模様もこの、植物のモチーフに縁起を求める風潮から流行り出したもので「長寿」「子孫繁栄」などの意味がある。そのため、嫁入り道具を包む布として花嫁に唐草模様の風呂敷を持たせることが多かったといい、これもどの家でも置いてある理由だ。
ただ…唐草模様と聞いて「そんな植物あった?」と思う人も多いのではないか。それもそのはずで、唐草という植物が実際にあるわけではない。
唐というのは当時の中国王朝のことで、中国から伝来した"つる草(つる性の植物)"のことを唐草と呼んだのだ。つる草は四方八方につるを伸ばしていくため、当時の人たちに生命力の強さや繁栄を連想させたのである。
つる草なんて現代じゃ雑草でしかないのに、ありがたがられていた時代もあるんだな~…。今じゃ完全に泥棒のイメージなのも皮肉なもんだ。
唐草模様の風呂敷は作りやすい
風呂敷に使われる反物という布地は、一反の幅が約38cmになっている。これに対して180cm幅の大風呂敷があることからわかるように、風呂敷はだいたいが布を繋ぎ合わせて作られている。
この布を繋ぎ合わせて作る製法には難点があって、あまり複雑な模様だと、繋ぎ目がちぐはぐになって、ダサイ仕上がりになってしまう。
その点、グルグルをたくさんあしらっただけの唐草模様はシンプルで繋ぎ目が目立たず、風呂敷を作りにはもってこいの模様だった。そのため大量に生産され、多く出回っていたというのも流行った理由のひとつである。
【追加雑学②】泥棒=ヒゲのイメージは喜劇俳優「大宮デン助」から
唐草模様の風呂敷と同じぐらい「泥棒といえば…」で思い浮かぶのが、口の周りに青々と生えた泥棒ヒゲだ。
私はなんとなく、泥棒みたいな愚かしい行為をする人は身なりもちゃんとしていないだろうし、清潔感がないことの象徴みたいな? などと思っていたのだが、泥棒ヒゲにはちゃんとパイオニアとなった人物がいた。
1940~70年代にかけ、浅草松竹演芸場や日本教育テレビ(現・テレビ朝日)の「デン助劇場」にて一世を風靡したコメディアン・大宮敏充さんだ!
彼が演じた"デン助"というキャラクターが泥棒に扮するシーンがあったため、その風貌がそのまま泥棒のイメージで定着したのである。
「デン助」こと大宮敏充(1913-1976)です。ある程度以上の年齢の方にはお馴染みでしょう。
ハゲヅラと腹巻の特徴的な役でホームの浅草のみならずNET(テレビ朝日)の「デン助劇場」で広く人気者となりました。萩本欽一やビートたけしなど、後の浅草芸人にも大きく影響を与えていると思います。 pic.twitter.com/rVxYFmOMgV— 戦前~戦後のレトロ写真 (@oldpicture1900) February 2, 2019
このキャラが強烈すぎて、デン助がまるで本名のようになり、みんなが"大宮デン助"の愛称で大宮さんを呼んでいたという。というか泥棒そのもののイメージにまでなってしまうって、影響力すごすぎ…。
ちなみに泥棒のシーンでは唐草模様の風呂敷もちゃんと持っているぞ。残念ながら泥棒のシーンは見つからなかったが、当時の映像があったので紹介しておこう!
江戸っ子っぽい勢いと、テンポのいい語り口がクセになる。欽ちゃんこと萩本欽一さんが、高校時代に弟子入りを志願したなんて裏話もあるぐらいの名コメディアンなのだ!
雑学まとめ
今回は泥棒が唐草模様の風呂敷を持っている理由に関する雑学を紹介した。
明治~昭和の泥棒が唐草模様の風呂敷をこぞって使ったのは、どこの家に忍び込んでも必ず置いてある便利アイテムだからだった。唐草模様はその人気ゆえに、不名誉なレッテルを貼られることになってしまったわけだ。
なるほど、盗んだあとの証拠隠滅には、風呂敷の処理も抜かりなくしておかねばならない…って、いよいよ喜劇の話みたいになってきたぞ!